第四楽章5節
揺らめく月の光が、星々と共鳴する。
そよぐ風が、鬣を優しく撫でた。
その毛先の一つ一つが、夢の中へと泳ぐルナの鼻を擽る。
「はむはむ…。」
それは、前兆の音色。
風が静寂へと手放した。
鬣は、その体躯に沿うように、ゆっくりと彩られる。
「ふう…。」
鼻を擽る毛先を失い、ルナは安寧の音色を取り戻した。
ただ、穏やかな風は、静寂と音色の狭間を揺れている。
穏やかに雲が流れ、空は朧月を奏で始めた。
緩やかに靡く鬣が、柔らかく舞う。
それは、再び、ルナの鼻を擽った。
「くしゅん。」
その旋律に、全ての影が飛び跳ねた。
空が暁を奏で始める。
穏やかな音色は、寄り添う二つの影を優しく包んでいる。
それを囲むように、馬の魔獣は夢の淵を漂う。
やがて、一頭がその体躯を立たせ、朝露の彩る草を踏みしめた。
それに呼応するように、幾つもの影が、空へと伸びる。
その長閑な旋律に、私は現に触れた。
「おはよう、みんな。」
横を見ると、ルナの微笑みが寝息に揺れている。
「あなたは、ユニちゃんで、あなたは、コンちゃん。」
可憐な吐息に、夢の中が紡がれる。
「たくさん乗せてくれてありがとう…。」
きっと、夢の中でも馬に乗っているのだろう。
ルナの奏でる幸せの色彩は、無垢なる残響に詩う。
私は、それを眺めながら、青に触れ始めた空へと伸びた。
陽光が空を舞い、広がる草原が煌めき出す。
私は、僅かに彩られる土に、枯れ草を敷き、集めておいた木の実を並べた。
「あなた達は、好みじゃないかもしれないね。でも、私たちは、これが好きなの。」
微笑みを彩りながら、枯れ草に火をつける。
その道具は、ユズリハが打ってくれた色彩。
それが奏でる小さな火は、私たちの旅を豊かにしてくれた。
それは、宵闇を照らし、今は、芳しい旋律へと誘ってくれる。
木の実の弾ける小さな音色に、馬の魔獣たちが、顔を近づけた。
「少し危ないから、あまり近づきすぎないでね。」
私は、穏やかな微笑みを奏で、頬に触れた馬の魔獣の毛並みを撫でた。
その子がゆっくりと顔を下げると、次の毛並みが、私へとすり寄る。
私は、木の実の加減を見つめながら、次々と触れる毛並みを撫でていく。
「あなた達も、撫でられるのが好きなのね。」
その微笑みの音色が、木の実の優しい香りへと溶けていく。
「もうそろそろね。」
少し弾んだ囁きと共に、新しくすり寄る毛を撫でる。
そこに芽生える違和感。
それは、これまでとは違う柔らかさと、艶やかな香り。
私は、この旋律を、よく知っている。
「ルナちゃん、おはよう。」
私は、撫でている色彩に触れるように、微笑みを向けた。
「おはよう、ステラちゃん。」
ルナは、馬の魔獣に混ざって、撫でられるのを待っていた。
「ちゃんと、並んでいたのね。偉いね。」
「うん。ステラちゃんのなでなでは、幸せになれるから、みんなにもお裾分けしたの。」
「ルナちゃんは、優しいね…。」
その可憐な微笑みに、私は思わずルナの背を包んだ。
焼き上がった木の実をお皿に分ける。
「あなた達も食べるかな。」
私は、そのお皿を馬の魔獣へと捧げたが、少し香りを嗅いでは、私に頬を擦り寄せるだけで食べようとはしない。
「やっぱり大きな牙があるくらいだもの、お肉の方がいいわよね…。」
「宝珠なら、食べるかも…。」
「ルナちゃん、宝珠は食べ物じゃないの…。もう私たちも他の方も食べちゃってるけど…。」
「おえ…。もう出しちゃった…。」
私の紡ぐ音色に耳を傾けながら、ルナは口の中に指を入れていた。
嘔吐く旋律と共に、瞳から雫が零れ、宝珠を成す。
それを手のひらに彩り、ルナは寂しそうに見つめた。
「食べる。」
問うように、私へと差し出すルナ。
私は、その誘惑に負けそうになりながら、その手のひらを両手で包もうとした。
「あ…。」
重なる音色。
いつの間にか顔を出していた馬の魔獣、それは、昨日、ルナを乗せていた子。
その子が、宝珠を食べてしまった。
「ユニちゃん、食べたかったのね。」
ルナは、その鬣を撫でながら、穏やかに微笑んだ。
「その名前、本当に付けていたのね…。」
ルナの寝息に奏でられた名前、ユニとコン。
「という事は、この子が、コンちゃんなのかしら。」
私の頭に頬を擦り寄せる子、それは、昨日、私を乗せてくれた子。
その鬣を撫でながら、私は囁いた。
「うん。この子はね、足音がコンコンいうの。でも、どうして知っているの。」
「ルナちゃんが、寝言で言っていたのよ。」
私の音色に、ルナは微笑みを彩ったまま固まった。
「ほ、他に何か言ってたのかな…。」
赤く染まるルナの頬を、ユニの毛が優しく撫でた。
「そうね。ルナちゃんは、いつも可憐な音色を奏でてくれているよ。」
私もまた、ルナの頭を優しく撫でた。
「それよりも、ユニちゃん、宝珠を食べちゃったけど、お腹を壊したりしないかしら…。」
私は、ユニを見つめ、ため息を紡ぐ。
「きっと、平気なの。私たちも食べちゃったけど、元気いっぱいだもの。」
ルナの可憐な笑顔に、私は、そうなのかもしれないと、確信してしまった。
「ステラちゃんは、コンちゃんにあげないの。」
ルナの無垢な問いかけが、私の耳を撫でる。
やっぱり、私も、あれをしないといけないのね。
その想いを包み込み、私は、恐る恐る口の中へと指を入れた。
「おえ…。」
瞳から溢れ出る雫が、宝珠を成し、手のひらで受け止める。
純白に混ざり合う金色、ルナの雫と変わらぬ色彩。
「た、食べてみる…。」
それを捧げながら、私はコンに問いかけた。
重なり合う視線、その瞳は煌めいている。
だからこそ、これから紡がれるであろう色彩を、私は描くことができた。
「やっぱり、食べちゃうのね。」
コンの毛を撫でながら、私は微笑んだ。
「そういえば、どうしてユニちゃんは、ユニちゃんという名前にしたの。」
旅路への支度を整えながら、私はルナへと問いかける。
「何となくなの。」
テラからもらった袋に、焼いた木の実を詰め込みながら、ルナは無垢な微笑みを奏でた。
「そろそろ、行こうか。」
私たちは立ち上がり、ユニやコン達を撫でていく。
「お別れの時だね…。」
ルナが、瞳を潤わせながら、静かに囁く。
「寂しいけれど、みんなは白妙、私たちは国境に向かっているもの…、ごめんね。」
私は、頭を下げるコンの首筋へと腕を回した。
囁いた私の音色に、コンは頬で頭を撫でてくれる。
ルナが、ユニと頬を交わせ、小さく吐息を奏でた。
その時は、もう目の前に迫る。
ゆっくりと離れる手が、名残惜しさを彩っている。
やがて、ユニとコンは、振り返り、連なる影を見つめ始めた。
その蹄の旋律がコンチェルトを織り成し、陽光に揺れる。
「またね。」
私たちは、静かに手を振り、願いを込めて囁いた。
その連なる影が私たちの足元から、少しずつ離れていく。
それでも、ユニとコンは、その場を離れようとはしなかった。
「あなた達も、寂しいと思ってくれているの。」
問うように、私は囁く。
気づけば、幾つもの雫が、草むらを彩っていた。
ただ、一向に動こうとしないユニとコンに、私たちは顔を見合わせる。
「ねえ、ユニちゃん、コンちゃん、みんなが行っちゃうの…。」
小さくなりゆく影の連なりを、いつまでも見つめ続けるユニとコン。
「もしかして、私たちと一緒に来てくれるのかな。」
私は、ユニとコン、そしてルナの瞳へと、映す色彩を移ろわせながら奏でた。
それに呼応するように、ユニとコンが振り向く。
そして、ゆっくりと頷いた。
「どうして…。」
私は、無垢なる疑問に、音色を零した。
「ユニちゃんもコンちゃんも、この子達の想いで旅路を選びたいみたいなの。」
ルナが、ユニの頬を撫でながら、微笑みを囁く。
「ずっと気になっていたのだけれども、ルナちゃんって、魔獣の言葉がわかるの…。」
私の彩る問いかけに、ルナは、笑顔で頷く。
「みんなじゃないけれども、宝珠で繋がると、何だか伝わってくるの。」
私も、ルナの宝珠を呑み込み、私の宝珠もまた、ルナが呑み込んだ。
そして、コンやモフも、私の宝珠を呑み込んでいる。
それでも、心を読み取ることなんてできない。
それは、ルナだけが持つ色彩。
そして、湧き上がる一つの疑問。
「もしかして、私の心も見えているのかな…。」
「ちゃんとわかるわけではないの。でも、恋してくれてるのは、いつも伝わるの。」
私は、口の開いたままの顔が、真紅の熱に爆ぜるのを感じた。
「なので、いつも幸せなの。私も、同じ気持ちだもの。大好きだよ、ステラちゃん。」
頬を薄紅に染めた、ルナの微笑みが、私の意識を吸い取っていく。
幸福と恥じらいの混ざる旋律に、私は空を見つめながら意識を手放した。




