第四楽章4節
白い砂塵が、その彩りを覆う。
ただ、その砂塵が無くとも、そこには、かつての色彩は残ってはいない。
それは、強大な禁呪によって齎されたもの。
その旋律は、ひとつの都を呑み込み、一夜にして崩壊させた。
そして、その旋律は、二人の少女が産み落とした二つの宝珠に、抱えきれない力を孕ませた。
その宝珠は、一つへと混ざり、一つの色彩を閉じ込める。
その中で蠢き続ける永遠が、閉じた世界に夢を繰り返す。
故に、その宝珠は、静寂の都に不協和音を奏で続けた。
それは、ひとつの形無き魔獣を誘う。
その魔獣は、小さな影。
かつて人族に捕縛され、リュパンの宝物庫に押し込められていた灯火。
その歪な色彩は、何の瞳にも映ることなく、地を這う。
彼は、形を欲していた。
誰かに愛される形を、いつも求めていた。
そこには、ただ無垢だけが彩られている。
ただ小さな夢だけを、抱いていた。
そして、その夢は、宝珠に孕んだ夢へと溶けていく。
彼が触れた形、それは、この都で錬金術師を自称した影。
それは、愛されることのない影。
全てを失ったが故に、取り繕う者さえ居らず、立てば石を投げられ、歩めば刃を向けられる。
宝珠に魅せられ、それを呑み込んだ刹那、その色彩が芽生え始めた。
彼は、彩られた指に、手に、足に、雫を零した。
その歓喜の音色が空へと響き、幾つもの雫を呼ぶ。
その混ざり合う雫が、彼の体を履い、身を震わせた。
崩れた屋根の下、その身を丸くして温もりを探す。
「あ、う…。」
溢れる音色。
それが、自らのものであると気づいた時、彼は穏やかに微笑んだ。
だが、それを突き刺すように、肢体の中を声が響く。
「奪え、取り返せ、全て私のものだ…。」
その意味は、彼にはわからない。
だが、その悍ましさだけはわかる。
ただ、それが、自らの全てを蝕み始めていることに気づくことはなかった。
微睡みが、彼を包む。
それでも、寒さが和らぐことはない。
身も守るように拾った布を纏い、遠くで眺めた夢を見る。
それは、たくさんの微笑みに囲まれて、温かい手と触れ合う。
そこに、立つことができたなら。
ずっと叶わなかった夢。
故に、宝珠に誘われた。
その追憶が、心に描いた夢であっても。
それは、強く、鮮明に描かれた想い故に。
「手…、足…。」
薄れゆく意識の中で、その瞳を彩る脈動に微笑みを奏でる。
そして、柔らかな心地の園へと沈んでいった。
「リュパン殿…。」
その音色に、彼は現を手繰り寄せた。
「リュ…パン殿…。」
反復する旋律に、自らが音色を奏でることができるようになったと思い出す。
「リュパン殿、リュパン殿。」
その意味を知ることもなく、微笑みながら繰り返す。
だが、それを瞳に映す表情は、不快へと染まりゆく。
その名を呼んだのは、白妙の第一師団グランディオーソの視察兵。
ただ、その騎士団長を筆頭に、彼らは白妙を離反していた。
故に、目の前に蹲る男が、かつて王宮をも手を焼かせたものであっても、手を差し伸べるはずだった。
「リュパン殿、この混乱で、理性を失ったのか…。」
少しずつ彼の器となった宝珠の中の記憶が、彼へと入り込む。
それは、耳を撫でる旋律の意味を教えてくれた。
「理性…、リュパン…、混乱、リュパン…。」
ひとつひとつを心へと沈めていく。
「リュパン殿…、保護しますので、こちらへ。」
目の前に差し伸べられる鋼の色彩が、空を舞う雫を弾く。
「名前…、リュパン…。僕の…。」
それは、初めて得たもの。
その喜びが、心を彩り、肢体へと広がる。
「リュパン殿、手を。」
「触れる。…いいの。触れる。」
夢に見た音色。
誰かに触れる。
誰かに触れられる。
誰かと触れ合う。
やっと、それが、叶う。
心の中で、静かに開かれた扉。
そこへ流れ込むのは、宝珠に囚われた想い。
リュパンの旋律。
黒く澱んだ、ひとつの不協和音。
それは、瞬く間に、全てへと広がる。
「全て…、私の…物。返せ。」
冷たく濁った瞳が、騎士を突き刺す。
「去れ。」
その音色と共に、騎士の肢体が溶け落ちた。
残された鋼が、音色の中へと崩れる。
それを手に取り、肢体を押し込めていく。
「汚らしい…。」
吐き捨てるように紡ぐ、濁った音色。
それでも、何も無いよりは良い。
その旋律だけが、リュパンを彩る器の意識を動かしていた。
ただ、その器には、行く宛はない。
ただ砂塵の中を彷徨い、土を貪る。
それは、無垢なる想いが奏でる色彩。
全て、私のもの。
故に、生まれたばかりの旋律に、その見境は芽生えてはいなかった。
それを覆したのは、二つの足と、一つの腕。
それは、リュパンが、ステラとルナから奪ったもの。
陽光が薄く差し込む地下の跡地に、それは彩られていた。
それが意味するものを、この器は知らない。
ただ、全ては私のものという真実だけが、彼を突き動かした。
残された赤いせせらぎは、器の口を伝い、踏み締めた土を彩る。
それは、柘榴を咲かせるように、器の中に咲き乱れる。
「ステラ…、ルナ…。」
次々と奏でられる幾つもの記憶。
それは、器の持つものではない。
取り込んだ宝珠から漏れ出した、欲望の旋律。
未だ、地獄を巡り続けるリュパンの残穢が、ここに響き渡る。
「私の…、愛しい…人形……。」
二人の居場所は、溶け込んだ宝珠が奏でてくれる。
リュパンの形を成したそれは、遠い空を見つめ、ゆっくりと足跡を奏で始めた。
その空の下、二つの影は、再び草むらの中に隠れていた。
「いっぱい居るね…。」
「ルナちゃん、あんまり頭を出すと、見つかっちゃうよ。」
私は、ルナの裾を引っ張りながら、小さく奏でる。
「見つかったら、食べられちゃうかな。」
その裾から、ルナの震えが伝わる。
「うん。きっと、食べられちゃう。」
その音色に、ルナはそっと草むらへと沈み込んだ。
その連なりは、巨体を揺らす馬。
だが、そこには鋭い牙と、土を抉る爪が彩られている。
それらは、ただゆっくりと、白妙の都へと、足跡を刻んでいた。
「長いね…。」
私たちが、そこに隠れたのは、陽光が頂に至る前。
そして、今、その陽光が、山々へと隠れようとしている。
「ねえ、ステラちゃん…。」
ルナが、私を見つめ、小さく囁いた。
「乗ってみたいの…。」
「え…。」
何となく不安は奏でていた。
馬の魔獣の連なりを彩るルナの瞳が、少しずつ煌めきを帯びていた頃から。
ただ、それを本当にしようとするとは、思いもしなかった。
「ねえ、ルナちゃん…、今度にしよう…。」
私を見つめるルナの瞳に、雫が生まれ始めた。
その色彩は、私の心を揺り動かす。
「こっそりだよ、こっそりだからね。一番、小さい子にしよう…。」
私は、ここで旅路が終わるかもしれないと、少しだけ覚悟を奏でた。
「ありがとう。行ってくるね。」
それは、まるで、舞踏会に赴くお姫様のように輝いている。
しかし、それを見送るわけにはいかない。
ルナは、歩くことさえ、一人では困難を彩る。
故に、逃げるときは、私が背負うしかない。
「平気だよ。きっと、みんな優しいの。」
後ろを歩く私に気づいたルナは、笑顔を奏でながら振り返る。
その背後で、馬の魔獣が私たちを見つめ、ゆっくりと近づいてくるのを知り、私は震え上がっていた。
「ルナちゃん、逃げよう。背中に乗って。」
私の奏でる音色に、ルナは背後に気づいた。
ルナが振り向くと同時に、馬の魔獣が、私たちへと駆け出す。
私は、ルナの手を引こうと腕を伸ばす。
それよりも先に、ルナは、馬の魔獣に抱きついた。
「ルナちゃん…。」
「かわいい。」
私の音色をかき消すように、ルナの旋律が、空を穿った。
その反響に、馬の魔獣たちが飛び跳ねる。
ルナへと集まる馬の魔獣をかき分けて、私はルナの元へと潜り込んだ。
そこに彩られていた全てに、私は固まった。
「かわいいねえ。」
それは、馬の魔獣たちが頭を下げ、ルナに撫でられようと鬩ぎ合っている色彩。
「やっぱり、みんな優しい子だったの。」
私に気づいたルナは、穏やかな微笑みと共に振り向いた。
「どうして…。」
私は、ただ、引き攣る笑顔を彩ることしかできない。
馬の魔獣に跨り詩うルナと、馬の魔獣に揺られ、それを見つめる私と、それに連なる馬の魔獣の影。
「楽しいね。」
ルナの黄色い音色が響く空は、茜色へと染まり、馬の魔獣に溢れた影を、穏やかに伸ばしていた。




