第四楽章3節
漆黒の国の王ロベリアは、悩んでいた。
故に、花の国へと赴く。
それは、王への相談の為。
「お久しぶりです、ロベリアさん。」
出迎えたのは、執政官。
「随分と逞しくなったね、アリウム。」
穏やかな音色が、執務室に響く。
窓辺に飾られるのは、黄色のアルストロメリア。
それは、花の丘に咲き乱れる、この国の象徴。
小さな城砦は、かつての戦争、ブランノワールの名残を彩り、静かな王宮として、旅人の憩いとなっていた。
その潤いは、国を強くする。
勇者テラと魔王メルが手を取り合い、共に紡いだ灯火の営みは、白妙と漆黒に次ぐ強国として、知らぬ者は少なくなっていった。
砂塵と化した白妙の都を逃れ、第一師団グランディオーソの領地を新たな都として構えた白妙の王ケーニヒだけは、それを認めず、ただ静かに時を待っていた。
だが、ロベリアの悩みは、そこにはない。
生活に根付く、深刻な問題。
それは、魔獣の秩序の喪失にあった。
そして、これまでは漆黒の国に留まっていたはずが、白妙にまで及んでいる。
何より、何者かが白妙へと魔獣を誘っている節があるという色彩が、彼女を突き動かしていた。
それが齎すもの、それは、ブランノワール戦争の再勃発。
それだけは、防がなくてはならない。
故に、ロベリアは、ここに来た。
「私たちの軍、漆黒の布では、どうにもならなくてな…。私たち魔族は、剣も道具も得意としない。そこで、花の国の盾にも、協力してほしい。」
小さな背に、漆黒の髪が靡く。
だが、彼女の瞳は、揺るがない。
それを見つめるアリウムが、静かに奏でた。
「わかりました。ヴィオラ騎士団長に、相談します。必ず、助けてくれますよ。」
その微笑みに、ロベリアも、ようやく微笑みを奏でた。
「ところで、メルさんに会って行かれますか。」
「もちろんだよ。」
大好きな幼馴染に会うことを拒むなど、ロベリアにあるはずもなかった。
砦内、弔いの庭。
そこに彩られた挿し木は、既に大樹の片鱗を見せている。
ロベリアは、その指に彩られた指輪をかざし、魔力を奏でる。
それは、テラとメルの聖域への扉。
淡い光が、ロベリアを包み、すべての色彩を覆った。
それは、やがて雪の如く溶けゆき、静寂の森が奏でられる。
ステンドグラスが織り成す極彩色は、その道の先に揺れ、花々が囲むように揺れている。
ここに佇む甘い香りに瞼を閉じると、せせらぎが耳を撫でた。
「何も変わらないね。」
その全てを貫く旋律もまた、何も変わらない。
「メル様、また服をこんなに汚して、何をしてきたのですか。」
それは、いつも、レーヌの音色から始まる。
「お花に蜜をわけてもらおうと思ったら、蜂さんが…。」
メルが、テラの後ろに隠れながら震えている。
「何度目ですか。また追いかけられて、転んで、泥だらけにして、そして、洗濯をするのは私です。大体、元魔王ともあろうお方が、いつまで経っても蜂に怯えて、威厳はどこにいったのですか…。いえ、威厳など、初めからありませんでしたね…。ですが、聖域を一歩でも出れば、そこはただの森です。漆黒の国の中央部なのですよ。どこで誰が見ているかもわからないのに、そんな事では、また外出禁止にしますよ。そもそも、全てをアリウムさんに任せているとはいえ、貴女は花の国の女王でしょう。テラ殿が灯火を失って、ここに在り続けているのも、俗世に干渉しないという制約のもとで成り立ってるのです。わかりますか。本来ならば、メル様が、花の国を見て行かなければならないのですよ。本当に、もう…、娘であるフルール様の方が、余程、女王としての才覚を見せていますよ。こんな事では、いつか、ノア様から、どちらが母かわからないと想われるどころか、メル様が妹のように扱われてしまいますよ。テラ殿もです。貴方が、しっかりと子守…メル様を見ていないから、こんな事になるのです。夫としての自覚を、もう少し…。」
「あの…。」
ロベリアは、勇気を振り絞った。
それでも、たった一言を奏でるまでに、悠久を感じるほどの時の流れを失った。
「あら、ロベリア様。お久しぶりです。お茶をお淹れしますね。」
レーヌが、冷たい温もりを奏で、微笑む。
「ありがとうございます。レーヌさん。」
聖域の庭を出るレーヌの影を見届け、メルがロベリアに抱きついた。
「ロベリアちゃん、助けてくれてありがとう。」
瞳から止めどなく零れ落ちる雫に、ロベリアは、ひとつ吐息を奏でた。
「ロベリアちゃんが来なかったら、今日のお月様を見逃すところだったもの…。」
いや、あの旋律は、二度目の月さえも見逃すだろう。
ロベリアは、その想いを奏でることを、必死に抑えた。
継ぎ接ぎのアルストロメリアが飾られた色彩。
その小さな空間に、一つのテーブルが彩られている。
そこに香るのは、温かいアップルの音色。
純白の茶器を持つ手は、透き通るように輝く。
それを、薄紅色の揺れる吐息へと運ぶ。
漏れるように、一つを囁き、メルはロベリアを見つめた。
「何か、悩んでいるの。」
その無垢な問いかけに、ロベリアは、思わず微笑んだ。
「メルちゃんは、何でもお見通しね。」
「えへへ。もしかして、次のお誕生日会のケーキが決まらないのかな。」
メルは、誇らしげに奏でる。
「やっぱり、今のは勘違いだったみたいね。」
ゆっくりと茶器を置き、ソーサーへと音色が漏れる。
「どうして…。」
メルは、テラに縋るように、雫の溢れる瞳を奏でた。
「メル、そんな事で、深刻に悩む方が珍しいよ。」
テラは、メルの頭を撫でながら微笑んだ。
「私、いつも何日も悩むのに…。」
メルは、テラの腕に頬を擦り寄せながら、雫を零し続ける。
「それは、メルが優しいからだよ。」
テラの微笑みに、メルは瞳を輝かせ、穏やかに微笑んだ。
「テラが褒めてくれるなら、何でも嬉しいな。」
テラの瞳には、可憐な天使が舞い降りていた。
「私の前で、メルちゃんと戯れないでくれるかしら…。」
レーヌよりも遥かに冷たい瞳を、ロベリアは奏でる。
その矛先は、言うまでもなく、テラ。
それに気づいたテラは、慌てて、姿勢を正した。
「もしかして、魔獣のことかな。」
テラは、灯火を手放してからは、ここから出ることはできなくなった。
だが、灯火を持つ者が、ここに来ることはできる。
故に、あらゆる情報が、テラの元へと集まっていた。
それは、元勇者であるが故に、そして、花の国の王であるが故に。
「恐らく、魔獣を白妙へと誘っているのは、白妙自身。」
テラは、静かに紡ぎ始めた。
「漆黒の領地や、花の国近辺であれば、私たちも手を出せる。」
だが、白妙の領地で騎士団を使えば、侵略行為と見做される。
「でも、白妙に住み始めた魔獣は、私たちにも、漆黒にも、どうすることもできないよ。」
それを行えば、瞬く間に世界は戦場と化す。
それだけは、絶対にできない。
花の国も、漆黒の国も、白妙の国でさえも、先の戦争の傷さえ癒えていないのだ。
「白妙…、いや、ケーニヒは、きっと、魔獣の動きを、漆黒の策略と謳う。」
ロベリアは、強い眼差しを奏で、テラへとぶつける。
「ブランノワール戦争が、再び起こるのは、時間の問題だ。」
ロベリアの音色に、静寂が奏でられた。
「ならば、準備を整えよう。こちらから、その時を早める必要はないと思うよ。」
テラは、穏やかに、だが、鋭い眼差しで、紡ぐ。
「花の国として、協力は惜しまない。でも、その範囲は、漆黒の国と花の国に限る。それでもいいかな。」
「…そうだな。白妙に住まう者も心配だが、無闇に手を出して、戦争を誘発しては、元も子もない。それで、お願いしたい。」
二人は、握手を交わし、微笑みを奏でる。
呆けた彩りで眺めていたメルも、慌てたように、そこに手を重ねる。
「…ケンカはだめだよ。」
覗き込むように、二人を見つめ、メルは小さな囁きを奏でる。
「これは、仲直りの握手じゃないよ。」
テラは、穏やかな微笑みを奏でながら、メルの頭を優しく撫でた。




