第四楽章序節
それは、白に満ちている。
そこに揺らめくのは、荘厳の黒。
それは、灯火を持つことも、失うこともない。
ただ、そこに在り続け、世界を見ているだけであった。
歯車が動いたのは、小さな音色が始まり。
それは、一つを与えられた刹那。
かつて刻まれた名は薄れ、忘却へと舞う。
故に、それを与えられたという揺るぎない真実が、全てを変えた。
「マオちゃん。」
そう囁いたのは、魔族の少女。
その日、悠久に在り続けた聖なる龍は、友に触れた。
「ここに来ても、ずっと寝ているんだね、君は…。」
広げれば、城一つは覆うであろう羽の傍らで、青年が微笑みを奏でる。
「何だ、また来たのか。」
薄く目を開けた龍は、その姿を瞳に映し、再び閉じる。
「そろそろ、起きないの。」
青年が、少し不服そうに尋ねた。
「ロアよ、何も急ぐことはあるまい。現し世とは違い、ここは何も変わらん。」
「そうだね。でも、僕は、時間を持て余しているんだ。」
青年は、ため息を吐きながら、龍の頬を撫でる。
「話し相手になってほしいのか。だが、私は眠い。後にしてくれ。」
「ここに来てから、ずっと寝ているでしょう。」
「私は、老いた古龍なんだ。起きている方が珍しいとは思わないのか。」
「君には、老いも何もないでしょう…。空を冠する聖龍なんだから…。」
呆れたように音色を奏でる青年に、龍は、顔を背けた。
「禁忌を破った今、私は、聖龍ではない。」
ゆっくりと顔を上げた龍が、青年を見下ろす。
「それに、今の名は、マオだ。これを、私は気に入っている。」
「気に入っているのは、名前じゃなくて、その名前を与えてくれた友達でしょう。」
誇らしげに奏でる龍に、青年は微笑んだ。
「何だ、寂しいのか。ロアよ、お前も、私にとっては、大切な友人だ。」
「ありがとう。でも、君は、その子のために、砂へと消えることを選んだ。」
青年は、微笑みを奏でながら、少し寂しさを彩った。
「そうだな。だが、それは、私の時代が終わったということでもある。」
龍が、再び、ゆっくりと目を閉じ、夢の中へと触れ始める。
「神獣オルムブランシェが灯火を手放し、君まで砂塵へと消えた。残された魔獣は、どうなるのかな。」
問うように囁く青年に、龍は顔を上げる。
「抑える者が居らんからな。…好き放題するだろうな。」
「止めに行かなくていいのかな。」
青年は立ち上がり、龍へと微笑む。
「お前が行けばいいだろう、ロア。」
「僕にできることは、加護を与えることだけだよ。ここからは、出られない。」
「ならば、新しい勇者を探せばいい。私も、ここから出ることは、できん。」
「君は、依り代さえあれば、出ることができるじゃないか。」
青年は、擽る様に、龍を撫でる。
それを見下ろす様に眺める龍が、ため息を奏でた。
「この力に耐えられる器など、そう生まれるものではない。」
「そうだね。でも、きっと、もうすぐ生まれるよ。」
「何だ。お前は、私に行けというのか。」
「それが、君の運命だろう。いつでも、応援しているよ。」
「励ましの言葉なら、不要だ。」
龍のため息が、突風となって過ぎ去る。
「勇者の加護なら、役に立つかな。」
青年は、龍の花を撫で、優しく微笑んだ。
「お前は、精霊に力を貸してやろうなどと、烏滸がましいことを言うのだな。」
「何を、今更…。いつだって、僕は、我が儘だからね。」
「まあいい。お前の、そういうところも気に入っている。」
龍は、伸びるように翼を広げた。
「ロア、また暫く会えなくなるぞ。」
「いいよ、ここから見てるから。」
微笑み合う瞳が、柔らかく溶け合う。
やがて、龍は、その翼を羽ばたかせ、白の空へと飛び立った。
「次に会うときには、きっと、全てを終えることができる。シエル、任せたよ。」
小さくなる影を見つめ、青年は優しく微笑んだ。
古き友の、かつての名を奏でながら。
ここは、白だけの聖域。
それは、時の無い、悠久の刹那の狭間。
一人の青年が、穏やかに佇んでいる。
彼は、二つの色彩との再会を、静かに待ち続けた。




