第三楽章4節
森の奥の小さな広場。
そこに彩られるのは、幾つもの香りが揺らぐ紅茶と、二人で焼いた数えきれないクッキー。
それを囲む様に、穏やかな幸福が、惜しむことなく奏でられている。
「ねえ、ユズリハ。君は、ステラちゃんに恋してたんじゃなかったの。」
プラムの紡ぐ、たった一つの音色に、ユズリハは紅茶で虹を描いた。
「あの二人の色彩を見て、まだそれを言うのかな。憧れてはいるけど、恋ではないよ。」
ユズリハは、口元を拭きながら、静かに答えた。
「本当に、そうかしらね。いつもユズリハの口から紡がれるのは、ステラちゃんのことばかりだったわよ。」
「それ、絶対に本人に言わないでね。ルナちゃんにも…。」
「どうしようかしらね。それで、ユズリハは、ステラちゃんが好きなの。」
冷たい視線を彩りながら、プラムは静かに問う。
「好きだよ。でも、恋じゃないよ。二人は、僕たちの恩人で、僕たちの光なんだ。でも、それ以上に、大切な友達だよ。」
ユズリハは、穏やかに微笑む。
「そう。」
プラムは、静かに微笑んだ。
「それで、誰かに恋してたりはしないの。」
プラムの紡ぎたい想い。
それが、問いとなって、ユズリハの耳を撫でる。
「…してる。……でも、プラムには、言えない…。」
ユズリハは、頬を赤く染め、目を伏せた。
「何よ、それ。」
プラムは、その色彩から瞳を揺らすことなく、ため息を奏でた。
「ちゃんと、その時が来れば伝えるよ、プラム。」
その瞳を離さない様に、ユズリハは、強く見つめ返す。
「そ、そう。」
今度は、プラムが、目を伏せた。
「ねえねえ、こっちのクッキーも美味しいの。食べて。」
ルナが、動かぬ足を擦り寄せて、二人へと奏でた。
手に持つのは、二つのクッキー。
野いちごがたくさん配らわれた芳しい香り。
「一緒に食べよう。」
私は、残る一つを持ち、ルナの隣に座った。
ルナは、ユズリハとプラムに一枚ずつクッキーを渡す。
それを頬張る二人を見つめ、私たちは、微笑みの安らぎに身を委ねた。
私は、一つのクッキーをルナへと渡し、ルナはそれを割る。
「ステラちゃん、お口。」
そう微笑むルナに、私は小さく口を開いた。
そこへ運ばれる、大きな欠片。
甘い香りが、口の中へと広がる。
私は、ルナから、もう一つの欠片を受け取る。
「ルナちゃん。」
待っていたかの様に、私が言葉を紡ぎ終えるより先に、ルナは口を開いた。
分かち合うクッキーの甘美が、私たちを包んでくれる。
「幸せだね。」
私たちは、静かに微笑み合った。
「ユズリハ、貴方も、あれをしてくれてもいいのよ…。」
プラムが、小さく囁く。
「あれって、どれ…。」
ユズリハが、不思議そうに、首を傾げた。
「何でもないわよ。」
プラムのため息が、ここに集う小さな世界を、柔らかく包み込んだ。
陽光が、少しずつ空淵へと泳ぐ。
連なる足跡の音色が、穏やかな森に詩う。
「やっぱり、村を出ると、この椅子では移動が困難だね…。」
ユズリハは、ルナの座る椅子を見つめ、囁いた。
「おんぶしてた頃より、とっても楽なの。ありがとう。」
私は、言葉では足りない感謝を、一つの音色に乗せた。
「ありがとう。とても嬉しいよ。でも、まだまだ改良の余地はある。それに、とっておきを作っている最中なんだ。」
誇らしげなユズリハの音色が、私とルナを優しく包んだ。
「でもまずは、この椅子の改良からだね。」
村に戻り、その手が奏でる旋律を想い、ユズリハは、強く頷いた。
私とルナが、村の広場の椅子に隣り合うのを、ユズリハは微笑みながら見つめる。
手元にあるのは、見たことのない工具と、ルナに贈られた椅子。
「車輪を大きくしよう。でも、そうすると、前輪が動かなくなって、回旋が…。いや、単純に前輪は小さいままでいいじゃないか。後輪の柔らかさも保ちたい。でも、それでは、悪路への対応が…。そもそも、重くなりすぎると、ステラちゃんが大変になる…。装飾を削る……いやいやいや、僕にとって二人のイメージは、黄色のアルストロメリア。それだけは外せない…。ああ、考えなくてはいけない事が、山の様に増えていく…。大人の力を借りるべきか…、父さんの助言を…。いや、これは、僕一人でやりたい事。僕の大切な、やるべき事なんだ…。」
「ユズリハくんって、こんなにおしゃべりする子だったのね。」
私は、微笑みながら、それを見つめている。
彼もまた、たくさんの辛いことを抱えてきた。
それを、私は見たわけではない。
それでも、ここに辿り着いた事が、全てを奏でている。
それでも、彼は、この村で、たくさんのものに触れ、紡いできた。
彼が詩う全ての音色に、それが絡み合う。
それが、私にとって、とても嬉しい色彩となった。
「きっと、想いが溢れているの。嬉しいね。」
ルナは、そんな私を見つめ、穏やかな音色を紡いだ。
それの完成は、暁とともに奏でられた。
「できた。」
その村を劈く旋律に、村のすべての灯火が飛び跳ねた。
「も、もしかして、ずっと起きてたの…。」
恐る恐る扉を小さく開け、覗き込んだ外の色彩に、私は息を呑んだ。
「ステラちゃん、おはよう。できたよ。」
再び村を劈く旋律が、すべての村人を覚醒へと導く。
「ステラちゃん、きっと鶏肉と生クリームは最高のマリアージュなの。でも唐辛子を齧ると、もっと素敵な音色を奏でるの。さあ、踊りましょう…。」
ルナだけは、まだ夢の中で、幸せを奏でていた。
「今日は、何して遊ぶの。」
ほとんど閉じた瞼を擦りながら、ルナは私の背に身を委ねる。
「何して遊ぼうね。」
小さく囁きながら、ルナを背負い、小屋を出る。
「でも、遊ぶ前に、ユズリハくんからの贈りものを見に行こう。」
私たちは、広場の椅子へと歩んだ。
村人が囲む中、それは、神々しいほどに、陽光を浴びて輝いている。
大きな後輪と、小さな前輪。
それらを繋ぐ複雑な色彩が、地から伝わる揺らぎを吸い取る。
座すべき場所に施された厚い布には鳥の羽が詰め込まれている。
そして、その支柱全てに配らわれた黄色のアルストロメリアの彫刻。
それは、柄にまで及び、その柄には、肘を委ねる受け皿まで彩られていた。
そして、何より、私たちの瞳を寄せ集めるのは、支柱から生えた、壮麗たる純白の羽と、そこに彩られた漆黒の紋様。
それは、黄色の影を縁取り、幾つものアルストロメリアが咲き乱れている様に映る。
その大きさたるや、椅子そのものを飲み込もうとしている。
「それ、カンパニュラさんに見せてないでしょう…。」
「どうして、わかったの。」
プラムの囁きに、ユズリハは、不思議そうに問う。
「その羽…、いえ、カンパニュラさんが見た時に、その答えは、わかるはずよ…。」
プラムは、ため息を奏で、首を緩やかに振った。
「ねえ、羽がかわいいの。」
ルナが、目を輝かせる。
「うん。それに、描かれたアルストロメリアが、とても素敵ね。」
私は、頷きながら、微笑みを奏でた。
「もう完成したのか。」
私たちを包む様に、柔らかな音色が広場を彩る。
カンパニュラが、様子を見にきてくれた。
そして、彼の瞳を支配したのは、大きな羽が生えた動く椅子。
それを目にした刹那、カンパニュラは、固まった。
「ほらね、作り直しよ…。」
プラムは、ユズリハの肩に手をおき、優しく紡いだ。
「何と素晴らしい。特にこの羽、何と言うか…、私の中に眠っていた少年心を呼び覚ましてくれる…。」
カンパニュラの猛々しいほどの旋律が、村を劈いた。
「そういえば、この人たち、親子だったわ…。」
崩れ落ちるプラムが、力無く奏でる。
そんな色彩を知ることもなく、私とルナは、互いに、腕の中に身を包み合い、カンパニュラの音色に頷いていた。
だが、結局、その壮麗で煌びやかな、笑えないほど重い翼は、村人の説得で外された。
その翼は、この村を産んだ二人の聖女が、伝説として語り継がれる象徴として、これからも村人の集いし館に飾られる事となる。
それを紡いだ本人が、やがて大人となり、それを見る度に赤面しても尚、変わる事なく。
ただ、それを知る者など、この時は、誰一人として居ない。
何より、やがて大人になり、それを見て赤面するであろうユズリハが、その翼を椅子から取り外されることへの阿鼻叫喚を、村へと劈き続けた。




