第三楽章2節
「本当に、ごめんなさい。」
小屋の扉を静かに開けた瞬間に、鼓膜が破れそうになる。
先ほどの女性が、顔を真紅に染めて、頭を下げていた。
「どうして…。謝るような事は、何もされていません…。」
私は、戸惑うままに、音色を紡いだ。
「プラム、大きな声を出して、どうしたの。」
「あ…、ユズリハには、まだ早いわよ。聞いてはいけないわ。」
彼女が、顔を真紅に染めたまま、顔を上げ、声を張る。
その視線の先へと、私は振り向いた。
「ユズリハくん…、やっぱりユズリハくんだったのね。貴方が助けてくれたんだね。ありがとう。」
聞き覚えのある音色、その穏やかな表情、私は懐かしさに微笑みを彩った。
「ステラさん、ルナさん、ご無事でなりよりです。どうぞ、食事の用意ができております。」
「ユズリハ…、何その変な話し方…。」
微笑む私の横から、プラムと呼ばれる彼女が、笑い声を反響させた。
「ステラさんとルナさんは、僕と父さんだけじゃない。ここのみんなにとっての恩人なんだ。プラムも頼むから、礼儀正しく…。」
穏やかでありながら、賑やかな彩り。
もう得られないと思っていた旋律に触れる。
私の頬を静かに雫が伝う。
「な、何よ。だから、謝ったじゃない。二人の時間を邪魔しちゃって…。」
「そういうところだよ、プラム。そういう時は、見て見ぬふりするんだ。」
何か、勘違いされている気がする。
それが何なのかは、わからない。
でも、念の為に事実を伝えることにした。
「あの、私たち、寝てただけだよ…。」
「寝て……。ええ、大丈夫です。ステラさん、分かってます。本当にわかってますから、大丈夫です。僕は何も見ていませんし、何も知りません。本当です。ちゃんと、わかってます。心配しないでください。本当に、わかってます。」
ユズリハが頬を少しずつ紅潮させながら、寄り添いの音色を止めど無く奏でてくれる。
きっと、安心させたくて、一生懸命になってくれているのだろう。
「ありがとう。」
私は、微笑みを奏で、私の手に寄り添い、支えられて立つルナを、そっと腕で包んだ。
「温かい…。」
目を伏せ、穏やかに微笑むルナ。
私は、その可憐な彩りに頬を薄紅へと彩った。
気付くと、村の人々が集まっており、彼らもまた、その頬を薄紅へと染めていた。
「みんな、私のルナちゃんを取らないでね…。」
彼らは、ただルナの可憐さに頬を染めただけ。
そう分かっていながら、私は思わず囁いてしまった。
自らの、その声に気付き、慌てて周りを見ようとした。
信用していないと、誤解を与えてしまったのではないだろうか。
私の奏でる必要のない旋律によって、みんなを不快にさせてしまっただろうか。
謝らなくては、ただの私のわがままだと、伝えなければ。
ゆっくりと、顔を上げる。
この瞳に最初に映ったのは、彼らの握られた拳だった。
やっぱり、怒っている。
それは、仕方のないこと。
可憐なルナを、独り占めしようとしているどころか、取らないでなどと、みんなを疑うような言葉を奏でてしまったのだから。
「ごめんなさい、そういう意味じゃ…。」
私は、思い切って、顔を上げ、彼らを見渡した。
「いいんだよ。分かっているから。無理に弁明しなくても、大丈夫。私たちも、大人だから。」
そこには、微笑みながら何度も頷く、彼らの少し不思議な彩りが奏でられていた。
「ありがとうございます…。私、本当に子供です…。」
私は、集まった彼らの優しい音色に包まれて、小さく囁いた。
「ステラさんは、大人です。少なくとも僕よりは…、蜜も知らぬ僕よりは……。」
頬に美しい雫を零しながら、ユズリハが力強く奏でてくれる音色。
そんな彼の頭を、プラムが叩いた。
私は、その余りの光景に、唖然としていると、彼女は、ユズリハの耳を掴み、村に響く音色を奏でた。
「女の子に何てこというのよ。そんなだから、いつまで経っても、ユズリハは大人の階段を登れないのよ。」
ユズリハとプラムの賑やかな旋律を、私は少し羨ましく思う。
私も、いつか大人になる。
その階段が何なのか、私にはまだわからないけど、こうして歩み出すことができたのだから、いつかそこに辿り着ける。
私は、ルナを肩に寄せ、その彩りを見つめながら、二人で微笑みを分かち合った。
「羨ましい…。」
ユズリハの囁く音色が響く頃、プラムが再び頭を叩く快音が、村に響いた。
一つの木に、二人寄り添う。
陽光が空の頂を描く頃、豊かな香りが、村の民を包んだ。
「このスープは…。」
配された器をルナが持ち、二人で覗き込む。
忘れもしない。
あの日、テラが与えてくれたスープと同じ。
「私にとって、これは、特別な食べ物なのです。」
穏やかに紡ぐカンパニュラ。
その与えられたスープとお肉の挟まったパン、それを彼と彼の息子の四人で分かち合った。
その記憶が、柔らかな湯気に彩られる。
次に私に配された器。
私は、左手で、それを受けようとする。
ルナは、自らの器を地に置き、共に受けてくれた。
私は、ルナが居なければ、器を受け取ることさえ難しい。
「いつも、ごめんね。」
私は、ルナに微笑みかける。
「私なんて、ずっとおんぶしてもらっているの。」
ルナの柔らかな微笑みが、私を包む。
「ステラさん、ルナさん、お聞きしたいことが…。」
カンパニュラは、私たちを瞳に彩り、静かに紡いだ。
「ステラさんは右手、ルナさんは両足、何か困難な事が…、その、うまく動かせないとか…。」
「はい。私もルナも、これを少し動かすことはできますし、感じることもできます。でも、力は、ほとんど入りません。」
私は、全てを話せるほど、強くはない。
でも、隠せることではなく、隠すつもりもない。
「深くは、聞きません。ただ、私たちに、お手伝いできることはありそうです。」
そう囁き、カンパニュラは、ユズリハを呼んだ。
「まだ未熟な愚息だが、この村で最も道具を作るのが上手い。少しの時間を、私たちに与えてください。旅を急いでいるわけではないのでしょう。」
急いでいるわけではない。
ただ、リュパンが、いつここへと辿り着くかわからない。
それだけが、心を焦らせていた。
「分かりました。私たちも、少し、ゆっくりしたいと思っていたのです。それに、貴方たちと再会できて、すぐに離れてしまうのは、寂しいです。」
その時間が何を齎すのかは、私にはわからない。
だが、私たちに手伝えることが、何かあるのかもしれない。
何より、ここが好き。
私たちは、ここにしばらく留まることを選んだ。
この村は、鍛冶屋の村と称する。
故に、最も優れた職人であるカンパニュラが、人々を束ねていた。
だが、彼の思想には、もう刃は無い。
人が人として生きていく。
そのための手段を彩る。
それが、新しい鍛治としての道。
それは、村全てに彩られている。
最初に、私たちに贈ってくれたもの。
それは、動く椅子。
砂塵に埋もれた地や、草木のゆらめく地では、その彩りは栄えない。
だが、この村は、すべての地を最初に整備した。
故に、この動く椅子が、ルナの足となり、私たちは、動き回る自由を得た。
「リュパンが奪ったものは、財産だけではありません。中には、病に伏せて歩けぬ者も居ました。」
カンパニュラの瞳が、今は無き白妙の都を睨み付ける。
「ですが、彼が教えてくれました。私の、私たちのすべき事を。この椅子と村が、その第一歩です。」
彼の目が、私たちを優しく映す。
「お二人が与えてくれた膨大な資金が、それを可能にしました。」
その椅子を支える為の柄には、アルストロメリアが刻まれている。
黄色く咲いた彩りが、ささやかな絢爛を奏でている。
それは、私の左手が握りやすいように、全てを調整されている。
そして、添える右手を固定する為に金具が施され、そこには、柔らかな布が配われていた。
全て、私たち二人のために作ってくれたもの。
その色彩が、私たちが、世界で一番の幸せものだと、何よりも強く奏でてくれる。
「こんな素敵なものまで…、本当にありがとうございます…。」
「宝物をもらっちゃったの。ありがとう。お誕生日みたいだね。」
私の雫を、頭で受けながら、それに気づく様子もなく、ルナは微笑んだ。
「これだけでは、まだまだ受けた恩を返せていません。それでも、これ程までに喜んでもらえて、ユズリハも嬉しく思うでしょう。」
この動く椅子は、歩けなくなった者のために、ユズリハが作った幾つもの色彩の一つ。
それを、私たちが使いやすい様に改良してくれた。
ルナが座り、私が寄り添う。
そこに生じる僅かなずれを、カンパニュラが探り、ユズリハが紡ぎ直す。
全てが整えられは動く椅子は、これまでの旅路が嘘でえるかの様に、足取りを軽くしてくれた。
私たちは、新しく与えられた翼を羽ばたかせ、この村を二人で歩く。
優しい風が空を舞い、茜色に彩り始めた空へと煌めく。
星々が生まれ始める頃、私たちは、村の外れの広場に佇む。
そこ在る岩は、動く椅子に座るルナと同じ高さへと誘ってくれる。
私の肩に頬を預けるルナの頭に、私の頬を預け、囁いた。
「お月様が綺麗だね。」
ルナは、少し顔を上げ、優しく微笑む。
「お星様もきらきら綺麗なの。」
私たちは、幸せだ。
明日、この灯火を失ったとしても、その刹那まで、いや、その後さえも、そう言える。
私とルナは、頬を寄せ合い、雫を分かち合った。




