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夜想曲『花の国』  作者: ことは
第一部『花の国』
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第一楽章8節

弔いの詩。

私は、一足早く、その集落へと足を踏み入れた。

その彩りは、何一つ変わらない。

ただ、そこにあったはずの息遣いだけが、音色を失っている。


アリウムの村。

そこは、笑顔が咲き乱れる安息の地だった。

それを失ったのは、全て、私のせいだ。


祈りが届かずとも、私は、それを決してやめない。

失われたものが還らずとも、私は、それを決して離さない。

私は、アリウムと共に、ここに眠る鮮やかな旋律を連れて行くことを、願い、乞うた。


駆け寄る小さな足音が、私の耳を撫でる。

頬に伝う雫を掻き消し、私は笑顔を彩り振り返った。

私を抱いてくれる、いくつもの小さな手。

この子たちの旅路を紡ぐのが、私の願い。

「さあ、みんなの宝物を集めておいで。新しい街へ引っ越そう。」

黄色い声を見送ることしか、今の私にはできないけれども。

不意に私を包む華奢な手。

柔らかな吐息が、私の髪に触れた。

「私には、その雫を隠さないでね。」

優しい温もりが、私を包む。

「メルは、何でも知っているね。」

「いつも、テラを見ているもの…。」

数えきれない足音が、私たちを前に止まってしまったことに、気づくことはなかった。



花の丘への旅路、その歩みを進めるほどに、道は険しくなる。

国境の最果て故に、人の息遣いは途絶える。

それは、誰も立ち入ることのできない聖域。

そう呼ばれているのは、誰も寄せ付けぬ爪が、いくつも彩られているから。


その片鱗、いや、その最たる爪と、対峙した記憶。

それは、私を支えてくれた音色、…かつての仲間を、全て消し去った。

神から授かりし聖剣の眠る地、そこに棲まう翼。

それだけは、近づいてはならない。


「その傷、龍の爪ですね…。」

リリブランシェの声が、心に反響する。

「彼を空に崇めれば、その日は幸福に満たされる。誰もが知るおまじないです。」

その金色の目は、透き通り、私さえ写さない。

「しかし、触れることは許されません。それは、神に触れるに等しいことですから…。」

わかっている、我が友よ。

同じ過ちは、繰り返さない。

今の私を支えてくれる音色は、平穏を愛する旋律なのだ。


彼らは、もう十分に傷つけられた。

私の目に映る全てを、これ以上、傷つけさせたりはしない。



少しずつ、拠点を繋ぐ道は長くなる。

魔族の往来がなければ、安息地も失われるのは、仕方のないこと。

だが、悪いことばかりでもない。

視察の道のりが長くなるほど、メルとの時間が増えるのも、また事実なのだ。


「散歩の時間が増えたわね。」

木々に木の実を分けてもらいながら、メルは微笑んだ。

「そうだね。でも次の拠点までの距離が長くなるのは、心配だ…。」

「一緒に、がんばろうね。」

木漏れ日が、私たちに優しく微笑んだ。

「この辺りの子たちは、美味しい木の実を実らせてくれるの。」

大きな袋を開き、煌めく瞳を彩りながら、私を見つめる。

「それに、たくさん分けてくれるのよ。」

木の実と蜜の焼き菓子、その芳しさだけで、心は満たされる。

メルは、私に一つ差し出し、彼女も頬張った。

「今日、分けてもらった木の実も、早くクッキーにしたいわ。子供たちも、喜んでくれるの。」

「メルのクッキーは、どれも美味しいからね。」

柔らかな甘美が、心身を溶かしてくれる。

「拠点までの道が長くなるほど、みんなの疲労も強くなる。」

視察の道のりが長くなるのは、悪いことばかりではない。

「今は、たくさん休んでもらおう。」

小鳥の囀りに、私たちの音色が溶けていく。



「今日は、少し外れた道を辿ってみよう。」

私の提案に、メルは微笑む。

これまで探した道のりを進んでも、しばらく拠点は見つかりそうにない。

あまり拠点を繋ぐ道が長くなるのは、家族の負担になる。

少し迂回してでも、安全に辿り着きたい。


木々から覗く空が、少しずつ開かれる。

それは、荒野が近い事を教えてくれる。

影に潜む爪は、少なくなるだろう。

だが、最も恐ろしい爪は、空を羽ばたく。

その旋律を、私は一度も忘れたことがない。


青天を彩る陽光に、突如、その旋律が貫いた。

「隠れて。」

私は、メルの手を引き、木陰に隠れる。

全身に反響する鼓動が、どうか漏れぬ様にと願う。

その思いが、その旋律を強くする。

魔力は全く感じない。

存在感すら、全く感じさせてくれない。


だが、その様は、全てを炭へと変える。


虹色の瞳が、全てを吸い込む。

その腕が、全てを砕く。

その爪が、全てを切り裂く。

その体躯が、全てを擦り潰す。

その翼が、全てを闇へと誘う。


その首筋に残る、微かな傷跡が、私の記憶を反響させる。


「彼が齎すものは天災と思い、ただ耐え凌ぐしかありません。」

神獣リリブランシェでさえ、畏れを抱く存在。

あの時、私に勇者の加護がなければ、仲間と共に散っていた。


どうか、このまま立ち去ってくれ。

その想いだけが、私の全てを彩った。



「ねえ、見て。あの翼、魔王城より大きそうね。」

私は、慌ててメルの頭を抱き寄せる。

「隠れて。お願いだから。」

声を顰め、どうか彼に届かぬ様にと囁く。

「でも、あの子、悲しそうよ。」

私に合わせて、声を顰めるが、その瞳は煌めきを増している。

「メル、聞いてくれ。彼に触れてはならない。ただ、過ぎるのを待つんだ。」

私は、メルの肩を抱き、囁く。



木々の深くへと駆ける。

そこに潜む爪など、最早、些細なこと。

いや、もうこの辺りに潜む様な爪など、存在しないだろう。


影が、青天を覆い尽くす。

それが、私たちを包んでいる。

その旋律が、耳を貫く。

そこに潜む、畏怖の闇。

それは、私の足を焚き付ける。


このままメルの足に合わせていては、容易く追い付かれる。

私は、メルを抱え、木々の中を押し進む。

気配の有無など、信用ならない。


確か、この辺りに洞穴があったはず。

一縷の光を掴み、そこへ飛び込んだ。


ここならば、入ってはこれまい。

「なぜ、クッキーの袋を投げつけた…。」

整わぬ息を抑えながら、メルを見つめる。

「ごめんなさい…。近づくなって言われたので…つい…。」

メルの吐息が、贖罪を奏でる。

「そうではなくて…。」

「あの子、お腹が空いているのかなって…。でも、違ったみたい…。本当に、ごめんなさい…。」

私の吐息が、小さく漏れた。


「メル、もう少し食事を増やした方がいい…。」

「どうしてかしら。」

メルは、不思議そうに首を傾げる。

無理もない。

私も、何故、今、そんな事を囁いたのかわからない。

「抱えた時に、驚愕したんだ。あまりにも軽すぎる…。」

私の音色に、メルの頬が薄紅を奏でる。

「その…、魔法で軽くしたの…少しだけ…。」

私は、ようやく笑みを取り戻すことができた。

「なら、無にまで軽くしてほしかったな…。」


空を駆る旋律が、遠くに響いた。



「迂回するしかない。」

拠点に戻り、私は選択を迫られた。

だが、迂回すれば、これまでの旅路より長い道が続く。

何より、花の丘へ辿り着くには、猛々しい海を渡るか、火の吹く山脈を越えるしかない。

私とメルが居れば、命を繋ぐことはできるだろう。

だが、傷を遺す旅路となる。

それだけは、させられない。

ならば…。

「彼が去るのを待ちましょう。」

私は、オルタンシアに進言した。

答えは、わかっている。

だが、その危険を伝えたかったのだ。


私たちは、拠点を木々で覆い、空の彩りを遮った。

そして、迂回せざるを得ない場合を考慮し、準備を進める。

干し肉を増やし、木の実を煎る。

予期せぬ事態に備えて、全ての家族に剣を伝える。


唯一の楽しみは、芳しい焼き菓子を囲むひととき。

微かに盛れる月の彩りを頼りに、安息の吐息を漏らした。



一刻が幾星霜に感じる日々を、一つの場所に彩る。


私は独り、視察へと向かった。

息を顰め、木々に潜み、耳を研ぎ澄ます。

そして、その彩りの差異を観る。

葉音が静寂を奏でる。

しかし、存在を突き付けられれば、その気配を知ることができる。

まだ、遠くない場所に、彼は居る。

ただ穏やかに、静寂を奏でながら。


この旋律は、いつまで続くのだろうか。

静寂が体を癒しても、家族の心が蝕まれていく。

空の色すらわからぬ拠点に戻り、私は、笑顔を彩った。

「遠くない場所に居るが、我々には気付いていないようだ。」

僅かに咲く花が、黄色く揺れる。

「メルは、どこに…。」

私の心に、不安が過る。

それを包む様に、柔らかな音色が背中を撫でた。

「おかえりなさい、テラ。それと、ただいま。」

振り向くと、泥だらけになったメルが立っていた。

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