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夜想曲『花の国』  作者: ことは
Secondo movimento『月の詩』
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第二楽章5節

私とルナは、馬車へと乗せられた。

その絢爛な佇まいに、私は戸惑う。

「ねえ、ステラちゃん、椅子がふかふかしてるよ。」

ルナは、私の手に引かれて乗り込んだ刹那、嬉しそうに音色を奏でた。

私は、膝を握る手を見つめ、再び始まる悪夢に抱かれていた。


馬車は、思っていたよりも早く停まる。

降りる様に促され、石畳へと足を下ろした。

小さな風が、私の髪を靡かせる。

そこに香る、花の色彩。

私は、もう二度と、それを愛でることはできないかもしれない。


それは、ルナにも降り掛かる。

その前に、逃さなくては。


私が、逃がさなければ、こうはならなかった。


その旋律が、私から意志を奪い去る。

ただ立ち尽くし、揺れる私の影だけを見つめた。

「こちらへ。」

その言葉に顔を上げる。

私の瞳に彩られたのは、知らぬ館。

リュパンのそれよりは小さいが、この都でも有数の大きさを誇る。

それは、乗せられた馬車とは違い、絢爛な彩りを持たない。

壮麗というよりは、荘厳なる佇まいを奏でていた。



リュパンの別荘。

私の心にのしかかるのは、かつて、リュパンが口にした旋律。

あの鉄格子は、鳥籠に過ぎない。

本当の監獄は、別にある。


まだ見ぬそれが、此処にある。

私は、その不協和音に、押し潰された。


ゆっくりと進める足跡は、重く、感覚を見失う。

通された部屋は、カーテンで覆われた窓から差し込む光に白く染まる。

壁に飾られた絵画は、愛を詩う女神の戯れ。

他に、絢爛なる装飾はない。

ただ、テーブルに置かれた花だけが、優しい香りを紡いでいた。


「ご主人様にお会いになるのなら、その格好は、許されません。」

静寂の音色が、私たちを此処へと立たせた執事から奏でられた。

その音色に呼応する様に、給仕達が部屋へと入る。

「知らないお姉さんばかりだね…。」

ルナは、私の耳へと静かに囁いた。


執事は、給仕達に何かを伝え、部屋を出る。

扉の閉まる音が、背に響く。

そこに生まれる刹那の静寂。


やがて、給仕の一人が、私たちへと近づく。

私たちは、彼女に促され、見に纏う全てを失った。


「また、薄紗を着るのかな…。寒くて苦手なの…。風邪ひかない様に気をつけなきゃ…。」

体を測られながら、ルナが、怯えた様に音色を奏でる。

「それで済むのなら、良いけど…。」

ルナを心配させたくない。

故に、言葉を紡がぬ様に努めていた。

それでも、私は、思わず零してしまった。


私たちは、私たちの心によって、抵抗を許されることはなかった。

ただ、全てを委ね、瞼を閉じ、紡がれる彩りを待つことしかできない。

背中を這う粘質、その後に彩られる滑らかな温もりに、私の肩が跳ねる。

その未だ知らぬ感触に、落石を受けてから彩られていた痛みさえも溶かしていく。

握りしめた拳が、止まらぬ震えに溺れた。


「あははははは。お姉さん、擽ったい。あはははは。」

ルナの無垢な音色が、静寂の部屋に響く。

その旋律だけが、私の拠り所。

だが、私は瞼を開ける勇気など無い。

ルナがどんな目に遭っているかなど、私の瞳に刻まれたら、私は正気を失うだろう。

私は、ただ、ルナの無事だけを祈った。


やがて、身を包む柔らかな布が、肢体を這う。

手に触れたのは、忘れもしない、薄紗の音色。

私は、瞼を劈く恐怖の残響に、思わず瞼を開く。


そこに刻まれた色彩に、息を呑んだ。


漆黒に煌めく絹。

そこに配われた金糸の刺繍。

それらを恥じらう様に、纏う薄紗が揺れる。


「お姫様…。」

私は、鏡に映るそれを見て、思わず音色を奏でた。

「ステラ様、お似合いですよ。」

私の傍に立つ給仕が、優しく微笑みかけた。


私は、戸惑いのままに、動けずにいる。

「ステラちゃん、聞いて。お洋服を着せてもらうと、擽ったいの。」

ルナの無垢な旋律に、意識を取り戻し、彼女を見る。


まるで透き通っているかの様な純白の絹。

それを包み込む様に配らわれた薄紗を彩るのは、白銀の糸の刺繍。

「天使…。」

私は、それを纏う可憐なルナに、思わず見惚れていた。



「準備は整いました。こちらへ。」

その音色に従い、私たちは、部屋を出る。

整然と続く廊下には、いくつもの絵画が飾られている。

横目に覗く一つ一つの絵画には、私の見たことのない彩りが奏でられている。

「何だか、懐かしい風景…。」

ルナが、その数々の絵画を間近で見つめ、そっと囁き、次へと舞う。

まるで、幸せを運ぶ小鳥の囀りの様に、廊下を彩る。


廊下に配された給仕が、その色彩を笑う。

それは、私の心に刻まれた残響を思い起こさせる。

あの日々の中、給仕室で、私に向けられたのは、嘲りと軽蔑、そして、怨嗟。

その笑の音色とは、全く違うものであっても、私は、そこへ目を向けることができない。

私は、ただ俯き、廊下の先だけを見据えた。


不意に、唇に触れた甘美な香り。

それを持つ手に目を向ける。

「ステラちゃんも、一緒に食べよう。」

ルナが、優しく微笑みかける。

「どうしたの、これ…。」

受け取ったのは、柔らかく、そして、蕩けるように甘く香る焼き菓子。

「あのお姉さんがくれたの。」

その先に立つ、廊下に配された給仕。

彼女の微笑みが、私を見つめている。

「中々買えない、取っておきって言ってたの。」

ルナは、瞳を輝かせて、それを頬張った。

「あまあい。」

ルナの、天使の歌声が、廊下に響き渡った。

それにつられて、私も少し頬張る。

口の中に広がったのは、これまでにない優しい香りと、芳醇な柔らかさ、そして、繊細な甘美。

ルナと分かち合おうと残した焼き菓子を、もう一口だけ頬張り、残りをルナの口へと運んだ。

「ステラちゃん、いいの。」

私の指から頬張った焼き菓子を、嬉しそうに食べるルナ。

その笑みが、何よりのエッセンスとなった。


思わず笑みの溢れた私は、ルナの手を握る。

「ルナちゃん、ここが何処だかわからないけれども、貴族のおうちだと思うの。少しだけ、一緒に歩こう。」

私は、ルナに穏やかに微笑んだ。

「うん。」

絡み合う指と共に、ルナの煌めく笑顔が、私を包んだ。


やがて、廊下の先の扉へと辿り着く。

その前には、執事が立っている。

「お待ちしておりました。どうぞ。」

その音色と共に、扉が開かれる。

そこに立っていたのは、見知らぬ男性。

その質素な身なり故に、彼の気品が煌めいている。


彼は、私たちを見た刹那、頭を下げた。

「何と、お詫びすれば良いのか…。本当に、申し訳ない。」

私とルナは驚き、互いに目を合わせた。

「あの…、どういうことでしょう…。」

私は、彼に視線を送り、恐る恐る伺う。

「息子から、聞きました。」

奏で始めた彼の影に見える色彩。

それは、見覚えのある顔。

「ナファル、ちゃんと挨拶しなさい。」

雫を流し続けたが故の、赤い目が、私たちを伺ってていた。

「お姉ちゃん、ごめんなさい…。僕のせいで、怪我しちゃって…。」

私は、思わずナファルへと駆け寄り、抱きしめた。

「違うよ、ナファルくん。私が勝手にしたことなの。何も気にしないで。」

私は、ナファルを包み込み、頭を撫でる。


「申し訳ない…。名乗るのを忘れていました。私は、クリビアと申します。貴女たちは、息子の言っていた通り、本当に美しい。その心も、そのお姿…いや、これ以上を言うと、妻に怒られるから言えないが…。」

そう奏でながら、クリビアは、手を差し出す。

そこに彩られているのは、私たちがナファルへと贈った二つの宝珠。

「この宝珠、受け取ることは、できません。」

彼の穏やかで力強い眼差しが、私たちを見つめる。

「これを、どこで手に入れましたか。もし、拾ったものであるならば、その場所に戻しておくと良いでしょう…。」

私たちの知らない、宝珠の意味を、彼は知っている。

私は、彼の振る舞いに、そう感じた。


「それはね、ナファルくんにあげたの。クリビアさんも、ほしいの。」

部屋中の凡ゆる物の香りを嗅いで回っていたルナが、振り向いて奏でる。

その問いの答えを待とうともせずに、ルナは、口の中へと指を入れた。

「はしたないから、だめよ。」

「おえ…。」

慌てた私の旋律は、時すでに遅かった。



ぽろりと零れる宝珠と共に、クリビアは崩れ落ちた。

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