第二楽章序節
元勇者は、白妙の都の今を目の当たりにし、雫に揺れる。
行き交う広場の彩り、賑わう市場の旋律。
その絢爛なる香りが届かぬ路地裏には、数多の朽ちゆく灯火が、地を這う。
「こんなにも、綻んでいたなんて…。」
思わず溢したテラの音色は、それが元勇者だと気付かぬ影に纏う。
施しを乞う数多の手が群がり、その一つ一つに、愛するメルの焼いたクッキーを渡していく。
だが、これでは足りない。
故に、この地に入るために、商人を装った装飾である短剣を売り捌いた。
それを全て買い上げたのは、先見眼を持つ自称錬金術師のリュパン。
そうして得た金銭で、次なる施しと彼らが立ち上がるための術を買う。
それを抱え、路地裏に戻るも、受け取られていくのは、施しのみ。
最早、彼らには、この刹那を喰い凌ぐことしか、残されていない。
そして、テラは知らずにいた。
この蠢く影のほとんどが、リュパンに奪われた者たちの抜け殻であることを。
彼の目的は、白妙の宮殿での謁見。
そこで、剣ではなく言葉で交わり、この戦争を止める。
その先に待つのが、全ての崩壊であることも、分岐する彩りの一つであると、知っている。
それでも、守るべきもののために、独り、此処へ舞い戻った。
それが、自らの灯火を手放すことに繋がろうとも、それを厭わない。
彼は、勇者の加護を捨てた勇者。
人族と魔族の共存を、手放した聖剣の代わりに掲げた男。
そして、今は離れた地に居ようとも、その夢を与え、テラに生きる意味を奏でたメル。
彼女の想いと温もりが、彼の勇ましい足跡を、より強固なものへと彩る。
だが、その時は、今ではない。
この次の刹那、灯火を失う器が、この広大な路地裏には、多く在る。
故に、テラの持つ全てが赦す限り、それを掬い上げていく。
それが、テラが勇者たる所以。
その無自覚の旋律が、多くの営みを存えさせた。
暁に眠る月に触れる宵闇に、二つの影が寄り添う。
防壁の門を潜るために、その機会を探る金色の瞳。
それに寄り添う、灰色の瞳は、この世界の色彩を、淡く受け止める。
二つの影に、空腹は無かった。
それは、食べぬことに慣れていたことよりも、寄り添い合うことに満たされているが故。
その微笑みは、二人だけの世界で、優しく溶け合う。
故に、テラに群がる手の中で、彼女たちだけは、それを見ることさえなく、安息を奏でている。
故に、テラは、二人へと歩み寄った。
手渡したのは、野菜に満たされた二つのスープと、柔らかな肉の挟まる二つのパン。
「ごめんね。これしかないんだ。」
テラが、優しく微笑む。
「あの、私たち、何も返せるものを持っていないのです。なので…。」
ステラが、恐れる様に奏でる。
「ご飯は、みんなで食べる方が、おいしい。だから、好きでやってるんだ。受け取ってほしい。」
ステラは、言葉を返せず、震える手で受け取った。
その温もりが手を伝い、心が優しく揺れる。
「君たちは、食べ盛りの歳だろう。本当は、もっと買いたかったんだけどね。」
テラの微笑みが、柔らかく奏でる。
それを見つめるステラと、二人を交互に見るルナ。
「ねえ、お兄ちゃんも、一緒に食べよう。」
メルが、思いついた様に嬉しそうに声を弾ませた。
「ありがとう。私は、妻が焼いてくれたクッキーがあるから、それを食べるよ。」
そう言いながら袋から取り出したクッキーをステラとルナに手渡し、テラも頬張る。
「もし、君たちがしたいことがあれば、教えてほしい。」
その音色に、ステラとルナは、顔を上げた。
「それが、明日に歩ける糧となるなら、私は、それを手伝いたいんだ。」
その温もりに触れた瞬間、ステラとルナの頬に雫が伝う。
「あのね、ステラちゃんはね、幸せになるの。」
ルナが、縋る様に、瞳を輝かせる。
「どうしたら、なれるのかな。」
ルナの細い腕が、陽光に透き通る。
その繊細な指が、テラの袖に触れる。
「そうなんだね。ステラちゃんの幸せは、何かな。」
テラは、優しく微笑む。
「私は、ルナちゃんが幸せなら、それが幸せです。」
ステラの偽りの無い想い。
それを、奏でる金色の瞳が、テラを映す。
テラは、それを見つめ、優しく紡ぐ。
「二人とも、お互いの幸せが、一番の幸せなんだね。」
そう言って、テラは一つの袋を差し出した。
「今は、それを守るために、何をすべきかわからないかもしれない。」
テラが静かに奏でる音色。
「その袋は、何かすべき時、何かしたい時に、開けてごらん。」
ステラが受け取った、その袋はその大きさよりも、ずっと重い。
それが奏でる燻んだ金属音が、二人の道を切り開く旋律を彩る。
「本当は、もっとあげたいけど、これしか残ってなくて…。」
テラは、ゆっくりと立ち上がる。
「でも、きっと、少しは役に立つと思うから。」
その柔らかな旋律と共に、手を振る彼の手が、ステラとメルの目には、何よりも大きく感じた。
「またね。」
その微笑みを残して、テラは去っていく。
「ありがとうございます。またね、お兄さん。」
ステラとルナの重なる音色が、その背中を優しく包んだ。
テラの温かな足跡を見送り、二人はスープを手に取る。
「おいしいね…。」
柔らかな微笑みが、寄り添う頬に優しく彩られた。




