第一楽章終節
新月の宵。
廊下に響くのは、鉄格子の開く音色。
それは、足跡を奏でる。
光のない廊下に、それは音もなく響く。
この先に待っているのは、地獄。
例え、そうだとしても、迷いなどない。
鉄格子が、錆びた音を奏で、ゆっくりと這いずる。
静寂の中に開かれたそれは、一つの彩りを放つ。
そこに眠るのは、純白なる可憐。
それを覆うのは、宵に紛れた影。
その手が、透き通る肌に触れる。
白銀の髪が揺れ、その手を撫でる。
その口が、小さく囁く。
それに呼応する、微睡みの音色。
ゆっくりと揺らす手に、薄く開かれた灰色に輝く瞳。
「ステラちゃん、おはよう…。同じ部屋になったの。」
無垢なる問いが、ルナの微笑みに奏でられ、私を優しく包んだ。
「ルナちゃん、給仕服に着替えてほしいの。」
私とルナには、二つの服が与えられている。
それは、薄紗と、歪な彩りの給仕服。
それらは、どちらも、飼い主の欲を満たすためのものに過ぎない。
だが、給仕服は、幾分も、私たちを守ってくれる。
故に、ルナが、それを纏うことを願った。
「お客様が来られたの。」
穏やかに問うルナの微笑みに、私は、もう何でもいい、全てがどうでもいい、このままこうしていたいという心に支配される。
だが、私の決意は、ルナの温もりを以てしても、揺らぐ事はない。
「違うよ。一緒に、逃げよう。」
着替え終えたルナの手を取り、私たちは、駆け出した。
魔族を象徴する漆黒を纏い、ルナの手を握る人族。
人族を象徴する純白を纏い、私の手を握る魔族。
そんな境界線など、初めから無い。
確かに存在する、互いの温もり。
間も無く、人族と魔族の争いが燃え広がる白妙の都。
その地の、月も星も見えぬ空の元、二つの影が足跡を彩る。
「ルナちゃん、平気。」
私は振り返り、ルナを見つめる。
「うん。ステラちゃんは、平気。」
ルナの微笑みの問いに、私は頷いた。
見つかれば、私たちは、終わる。
でも、それでも、光は見失っていない。
それを手繰り寄せる様に、静寂に眠る都を、私たちは駆け抜けた。
この都を護る防壁。
そこにある、外への扉。
そこを抜ければ、私たちの新しい世界が待っている。
それは、煌めく希望。
ようやく掴んだ願いが、私たちに夢を与えてくれる。
それは、もう、瞼を閉じなくても見ることができる夢。
それを、ルナと共に奏でることができる。
もし、これまでの全てが、この夢のために存在したのなら、私は、全ての足跡に後悔はない。
そして、共に歩んでくれるルナを守り続けることの幸せが、私に前を向かせてくれる。
振り返ると、ルナが微笑んでくれる。
それに呼応する様に、気づけば、私は、心から微笑んでいた。
「幸せだね。」
絡み合う指を包む柔らかな温もり。
そこに繋がる二つの灯火。
それを大切に包む重なる心。
故に、互いの口から紡がれた音色は、共鳴し、溶け合った。
斑らに彩られる影を伝い、ゆっくりと進む。
次の影へと駆け出した刹那、私の腕が強く引かれた。
脳裏に過ぎる、飼い主の歪な影。
私は、慌てて振り向いた。
そこには、派手に転ぶルナの姿があった。
「ごめんね。大丈夫、ルナちゃん…。」
私はルナに駆け寄り、抱き締める。
「平気。私、あまり目が見えなくて…。ごめんね。」
ルナの優しい微笑みが、私の心を撫でた。
「ごめんね…。逃げることばかりで、ルナちゃんのこと、ちゃんと考えられていなかった…。」
雫が、私の頬を伝う。
「私のことを想ってくれたから、逃げたのでしょう。」
ルナは、その透き通る肌を抱きしめる、私の背を、優しく包み込んだ。
「いつだって、ルナちゃんのことしか、想ってないよ。」
私は、ルナと頬を重ね合い、二人の雫を分かち合う。
「乗ってほしいの…。」
私は、ルナに背を向け、私に重なる様に願う。
「わ、私、重いよ…。」
ルナの慌てる音色が、小さく響く。
「ルナちゃんと、重なりたいの。お願い…。」
恐れる様に、重なりゆくルナの肢体。
その柔らかさが、私の肢体を包む。
その温もりが、私の心を撫でる。
その鼓動が、私の鼓動に溶け込む。
その色彩が、二人が繋がったことを奏でる。
「温かいね。」
ルナの頬が、私の背に触れた。
その音色が、私の背を伝う。
その微笑みが、私の背を彩る。
故に、私は幸せを微笑みに奏でていた。
ほんの僅かな時を遡れば、私に触れる全てが不快だった。
なのに、今は、その一本一本の白銀の髪でさえ、私を至福へと導いてくれる。
私は今、色に溢れた世界に生きている。
私は今、音色に満ちた世界に生きている。
私は今、この世界の光を抱いている。
私は今、ルナと共に、此処にいる。
ゆっくりと、立ち上がり、ルナの軽さに驚く。
でも、重なる想いと、溶け合う心と、繋がる温もりは、何よりも重く、何よりも大切で、何よりも幸せ。
「行こう。」
私は、小さな音色を、力強く奏で、その一歩を踏み出した。
この刹那が、ずっと続くのなら、これ以上の幸せなんて、世界中の誰も知らないだろう。
私は、今、それを手にした。
それは、あの地獄の中で見続けた、たった一つの夢。
私は、今、それに包まれている。
夢は、いつか醒める事を忘れて。




