選択と決意
昼休み。
アキラはパンを片手に、教室の隅で女子数人と雑談していた。
「それでさー、マジでウケるんだけど」
「いやそれ絶対嘘でしょ」
自然な距離。
自然な空気。
――ただ一つ違うのは。
「あいつ、なんであっち側にいんの?」
男子のひそひそ声。
「前からあんなだっけ……?」
視線が集まる。
中には少し顔が赤くなってる生徒も。
でもアキラは気づかない。
----------------------------------
教職員棟の多目的トイレから出てくるアキラ。
そこに、壁にもたれて待っている影。
「遅い」
「うわっ、アヤ!?」
見上げると、ニヤニヤとした顔があった。
「まだそこ使ってんの?」
「別にいいだろ……」
「いいけどさー」
くすっと笑う。
「もう女子トイレでよくない?」
「は?」
一瞬、言葉の意味が飲み込めなかった。
「女子はみんな分かってるし」
さらっと言う。
「むしろ今さらでしょ」
「……はあ!?なに言ってんだよ!」
思わず声が大きくなる。
「いやほんと」
肩をすくめる。
「男子の方がむしろ気づいてないだけ」
----------------------------------
「ねえアキラちゃん」
袋を差し出す。
「はい、これ」
「……なにこれ」
カサリと音を立てる袋。
受け取ると、やけに柔らかい。
「制服」
「は?」
「女子の」
一瞬、思考が止まる。
「ふざけんな!」
「いやいや今さらでしょ」
「私服で普通に着てたじゃん。慣らしだよ慣らし」
「なににだよ!」
「決まってんじゃん」
ニヤニヤと笑う。
----------------------------------
―ピロン。
================
ノブ:
アキラしらないか
アヤ:
アキラちゃんなら被服室にいるよ
アヤ:
たぶんね
ノブ:
なんだよそれ
アヤ:
行けばわかるって
ノブ:
そうかサンキュー
================
カーテンの向こう。
布の擦れる音。
「……着たぞ」
カーテンが開く。
一瞬、空気が止まる。
「……」
アヤが、言葉を失う。
「ちょっと」
ミカが小声で言う。
「これ、やばくない?」
「……なんだよ」
落ち着かない様子でスカートの裾を引く。
「学校でこんなん着るの、落ち着かねえって」
鏡を見る。
——少しだけ、言葉を失う。
(……は?)
―ガラッ。
「おーい、アキラここかー? 借りてたノートさ——」
「おまっ、いきなり入んなよ!!」
「……」
数秒、視線が合う。
「……わりい」
一瞬、言葉が遅れる。
―バタン。
「ノブっち、ちょっと赤かったよね?」
アキラの顔が、一瞬で熱くなる。
「は、はあ? 何言ってんだよ……!」
声が裏返る。アヤはニヤニヤと片目を細める。
「ふーん、やっぱりね~」
アキラは思わずスカートをぎゅっと握る。
「やっぱ無理!無理無理!」
くるりと背を向けて、逃げるようにカーテンの向こうへ。
「あらら、和泉くん。もったいなーい」
「破壊力すごかったもんね」
ミカがくすくす笑う。
「そりゃあんなのみちゃったら、田中くんも惚れちゃうよ」
「もう少し見てたかったよねー」
ナオも頷く。
アヤは、くすっと笑って、
「……あーあ」
小さく呟く。
「これ、絶対めんどくさくなるやつだ」
------------------
制服を脱ぎながら、
「……っ」
(なんだよ、あいつら……)
顔の熱が引かない。
さっきのノブの顔が脳裏に浮かぶ。
「…っ。無理無理無理」
手が止まる。
(……なんで、あんな顔すんだよ)
--------
着替え終わると、アキラは制服を雑に畳んでアヤに押し返す。
だが――
そのまま、紙袋ごと戻ってきた。
「いいから、あんたが持ってなさい」
「へ?……なんで」
「明日それで来なよ」
軽い口調。
「そしたら女子トイレも一緒にいけるっしょ」
「着るわけねーだろ!!」
即答。
アヤはニヤニヤする。
「ふーん?」
くるっと背を向けて、
「まあいいけど」
ひらひらと手を振る。
「その顔で断るの、説得力ないけどね」
「はあ!?」
アキラは思わず紙袋を見下ろす。
――しばらくしてから、乱暴に肩にかけた。
----------------------------------
「よお」
校門で手を振るノブ。
「……なんだ、着替えたのか?」
「あたりまえだろ!」
思わず声が強くなる。
ノブは一瞬だけ目を丸くして――
「そうか……」
少しだけ、視線を逸らした。
「似合ってたぞ」
「は?」
一拍遅れて、言葉の意味が落ちてくる。
「なんて……?」
「似合ってたって言ったんだよ」
「……っ」
顔が、一気に熱くなる。
「アキラ」
ノブはまっすぐに言う。
「もっと自信持てよ」
「……どういう意味だよ?」
視線を逸らしたまま、絞り出す。
ノブは少しだけ困ったように笑って、
「そういう意味だよ」
(……なんだよ、それ)
胸の奥が、少しだけ騒がしくなる。
----------------------------------
ある日の放課後。
「和泉、ちょっといいか」
呼び止められる。
進路指導室。
担任と、もう一人――保健室の先生がいた。
「進学の話なんだがな」
書類をめくる音。
「……制服のこと、どうするつもりだ?」
一瞬、意味が分からない。
「……え?」
沈黙。
そこで、保健の先生がやわらかく口を開いた。
「和泉くん」
視線が合う。
「今の体の状態で、そのまま男子として進学するのは……少し難しいと思うの」
言葉を選ぶような声音。
「学校によっては、対応が追いつかない場合もあるし」
ごほん、と担任が咳払いをする。
「高校によっては、規定もある」
淡々とした口調。
「今のままだと、トラブルになる可能性が高い」
静かに、言い切る。
その言葉だけが、やけに重く落ちた。
――逃げ場はない。
「……でだ」
担任は間を置いてから、机の上の資料を一枚めくる。
「先生がいくつか候補を探しておいた」
パラリ、と学校案内のパンフレットを差し出した。
「ここなんかどうだ? 私立だが私服通学も許可されている。校則も比較的柔軟だ」
真新しい真っ白な校舎。自由気ままな服を着た、笑っている生徒たちの写真。
「少し偏差値は高いが、今の和泉の学力なら問題ないはずだ」
「……」
指先が、紙の端に触れる。
私立。
偏差値。
通学距離。
頭の中で、条件が並ぶ。
そのはずなのに――
(……ノブは)
ふと、顔が浮かぶ。
道場で笑ってた顔。
バカみたいに真っ直ぐなやつ。
この前だって――
『似合ってたぞ』
胸の奥が、わずかに痛む。
(あいつ、公立志望だよな……)
一緒に帰って。
くだらない話して。
試合の話で言い合って。
当たり前みたいに続くと思ってた日常が、急に現実味を失っていく。
ページの上の高校は、知らない場所だ。
知らない人間しかいない場所。
そこに、自分だけが行く。
(……は?)
喉の奥が、ひどく乾く。
「……どうした」
担任の声で、はっとする。
「いえ……」
視線を落とす。
少しだけ迷ってから、口を開いた。
「あの、そこって……」
一拍、言葉が詰まる。
それでも、無理やり絞り出す。
「ノブ、……いや、田中でも、行けそうですか?」
一瞬、空気が止まる。
担任は眉をひそめ、書類に目を落とす。
「……田中か…。アイツは、少し難しいだろう」
淡々とした、現実的な答え。
その一言が――
胸の奥に、重く沈む。
(……そっか)
分かってたはずなのに。
「和泉なら問題ない」という言葉と、
「田中は難しい」という言葉が、
同じ重さで並ばない。
(……一緒に、行けねえのか)
指先が、わずかに震える。
パンフレットの紙が、かすかに音を立てた。
----------------------------------
次の日。
教室は、ざわついていた。
ざわめきというより、落ち着かない空気が張りついている。
「さっきさ、校門で……」
「……え、マジで?」
「いや、でもさ……」
小声が、あちこちで途切れる。
――扉が開いた。
いつもの時間。
いつもの並び。
田中と一緒に、和泉が入ってくる。
――。
一瞬で、空気が止まった。
誰かが息を呑む音。
女子の一人が、小さく声を漏らす。
「……かわいい」
それを合図にしたみたいに、
「ちょ、待ってやばくない?」
「似合いすぎでしょ」
「え、なにあれ……」
今度は女子側が一気にざわめき出す。
男子たちは、何も言えない。
ただ、見ることしかできない。
視線だけが、痛いくらいに集まる。
――和泉は、女子制服だった。
スカートの裾を、ほんの少しだけ気にする仕草。
けど、俯かない。
視線も逸らさない。
ただ、まっすぐ前を見て歩く。
その横で、田中が少しだけ周囲を睨む。
牽制するように。
守るように。
その時。
「……和泉」
担任が教室の入口から声をかけた。
和泉が足を止める。
担任は近づいて、小さく何かを耳打ちする。
表情は読めない。
和泉は一瞬だけ目を伏せて、
「……はい」
短く返事をした。
そのまま、担任に連れられて教室を出ていく。
ざわめきだけが残る。
「今の……どういうこと?」
「マジで着てきたの……?」
男子の声は低く、落ち着かない。
女子は興奮気味に、
「でも似合ってたよね」
「むしろ前より……」
ひそひそと続く。
田中は席に着いたまま、何も言わない。
ただ、机に肘をついて、じっと扉の方を見ていた。
――時間だけが過ぎる。
チャイムは鳴ったのに、ホームルームは始まらない。
誰も、席を立たない。
妙に長く感じる沈黙。
やがて、扉が開く。
担任と一緒に、和泉が戻ってきた。
視線が、一斉に集まる。
和泉は――
女子制服のままだった。
さっきと同じ格好で、
何も変わらない顔で、
そのまま自分の席へと歩いていく。
椅子を引く。
スカートを軽く抑える手の動き。
座る。
それだけなのに――
時間が少し、止まったかのように感じられた。
机の上に散らばる教科書や筆箱。
ちらりと見やる隣の男子も、視線を戻すことができない。
和泉は何も変わらず、ただ教卓を見据えている。
その視線だけで、教室のざわめきを押しとどめてしまうようだった。
担任は教卓に立つ。
一瞬、教室を見回す。
けれど――
何も言わない。
「……じゃあ、始めるぞ」
それだけ言って、
いつも通りにホームルームを始めた。
----------------------------------
その日、オレはアヤに借りた制服を"使う"決心をした。
着替えて、姿見を見て、溜息を吐いたが、ブラシで髪型を軽く整える。
階段を降りると、お母さんが目を点にして「アーちゃん、あなた……」と言っていたが「うん」と一言だけ告げて家を出た。
ノブにはLINEであらかじめ伝えておいた。
迎えに来たノブは、一瞬目を瞠ったが、すぐに「おはよう、行こうか」と手を差し出してきた。
「おう」とオレはノブの手を取る。
校門が近づく。
みんなの視線が集まってくるが、平静を装う。
これは戦場だと言い聞かせる。
視線は揺らさない。
廊下を通る。視線が痛い。
「平気かアキラ?」というノブの声。
チラリとノブを見て頷く。
胸の奥がじわりと痛む。
教室の前まで来る。
中のざわめきが聞こえる。
入った瞬間にどんな視線が集まるのか――想像して、足が止まりかけた。
ノブが手を引いたまま、教室のドアを開けようとする。
ノブの袖を掴んだ。無意識だった。
手が少し震えてる。
ノブはオレの顔を伺っている。
目を瞑る。深呼吸する。
(大丈夫だ)
頷いた。
ノブはドアを開いた。
----------------------------------
「……和泉。ちょっと別の部屋で話をしよう」
ホームルーム直前、アキラは先生に呼び止められた。
教室のざわめきと、自分に向けられる視線の余韻がまだ残っている。
(……まあ、言われるよな)
これだけ目立てば、何か言われるのは当然だ。
そう思っていた。
だが――
「和泉、やっぱり女子として公立に行くのか?」
その一言は、予想よりもずっとまっすぐだった。
アキラは肩をすくめる。
視線が自然と落ちる。
スカートの裾を掴む指先が、わずかに震えていた。
「……」
「すまんな。先生があんなこと言ったから、和泉に無理させたのかもな」
少しだけ、間が空く。
「オレは――」
言いかけて、詰まる。
ほんの一瞬だけ、喉の奥が引っかかった。
「……いえ、"私"は、別に無理してません」
言い直す。
そのたった一文字が、やけに重い。
担任は、その違和感に――気づいたのか、気づかなかったのか。
表情は変わらない。
「……そうか」
短く頷く。
「もし和泉が本当に辛ければ、私立のあの高校でもいいんだぞ?」
試すような声ではない。
本気で逃げ道を差し出している声だった。
「いえ」
今度は、間を置かない。
「"私"は、田中と同じ学校に行きたいので」
顔を上げる。
ほんの少しだけ。
けれど視線は逸らさない。
その瞳の奥にあるものを、担任は見たのかもしれない。
「……そうか。わかった」
担任は一度だけ、教室の方を見る。
ざわめきは、まだ続いている。
すぐに視線を戻すが――今度は、目を合わせなかった。
わずかに外した位置、肩のあたりを見る。
「和泉のことは、みんなには言わないほうがいいだろうな」
「ありがとうございます」
小さく息を吐いて、
「そうしていただけると、嬉しいです」
軽く頭を下げる。
その仕草は、どこかぎこちなくて――
でも、ほんの少しだけ、誇らしげだった。
「……ああ」
----------------------------------
アキラが教室へ戻り、席に付くとノブが振り返り、ひそひそと話しかけてくる。
「……アキラ、先生に何言われたんだ? ……やっぱり、別の高校勧められたのか?」
アキラはくすくすと、いたずらっぽく笑った。
「……安心しろよ」
少し間を置いて、真剣な表情に変わる。
「お前と同じ学校、受けてやるから。……落ちんなよ、バカ……」




