それでもオレは
朝。
アキラは、いつも通りの時間に家を出た、
——はずだった。
(……なんでいるんだよ)
家の前。
壁にもたれかかるようにして、ノブが立っていた。
「よう、アキラ」
軽く手を上げる。いつも通り。なのに―
直視できない。
とっさに髪を整える。急いで出たから髪とかあんまり気にしてなかった。
「……ノブ。なにしてんだよ」
「別に。アキラ待ってただけ」
当たり前みたいにサラッと言う。
「ほら、さっさと行くぞ」
歩き出すノブの隣を、仕方なくついていく。いつも通りだ。
結局、昨日のことが、頭から離れなくて、寝るのが遅くなってしまった。
目の下にクマとかできていないだろうか?
——その時。
トラックのエンジン音。
「危ねえぞ、アキラ」
ぐい、と腕を引かれる。
自然な動きで、車道側に出るノブ。
いつもと同じ。
何も変わっていないはずなのに——
(……なんだよ、これ)
心臓が跳ねる。
「ちゃんと前見ろよ」
軽く言われる。それすら近い。
(前からこんなんだったか……?)
いつも子供扱いされていると思っていた、それ。
幼馴染で、やっていることは昔から同じ――はずなのに。
全部が、違って見える。
顔が、じわじわ熱くなる。
「……どうした?、顔赤いぞ? また風邪でも引いたか?」
「そ、そんなんじゃねーよ!」
声が裏返る。
ノブが少し困ったように笑う。
——そのまま、ほんの一瞬だけ視線を逸らす。
「無理すんなよ」
何でもないみたいに言う。
さっき掴まれた腕の感触だけが、やけに残っていた。
教室。
部活に走っていったノブを見送ると、席に着いた瞬間、アキラは机に突っ伏した。
「はあ…無理……」
小さく呟くアキラ。
(今日どんな顔してたらいいんだ?)
と自問自答している。
「おはよー、アキラちゃん」
いつもの能天気なアヤの声がやけに耳に響く。
「……うるせえ」
「もうノブっちとは、仲直りした?」
相変わらず顔を埋めたまま。
そんなアキラの様子をうかがうアヤ。
「……なんだよ仲直りって。別にケンカとか、してねえし」
"してねえ"と言った瞬間——
あの唇の感触が蘇る。
「~~~~っ!!!」
机に突っ伏したまま、足をばたつかせる。
「……ぷっはは、なにそれ」
アヤが小さく吹き出す。
「ほおほお、これは」
楽しそうに呟いてから、
「昨日、ノブっちと何かあった?」
とニヤニヤしながら横から覗き込む。
「なんもねえし!」
クルリと反対側を向きながら否定するアキラ。
その声はやけに大きい。
髪の間から覗く耳が、わかりやすく赤い。
「ふーん?」
アヤの口元が、ニヤッと吊り上がる。
「……もしかして、キスとかされた?」
「はっ?!! そ、そそんなわけねーだろ!!」
ガバッと起き上がる。
顔が真っ赤だった。
昼休み。
弁当を食べ終えたあと、二人は並んで廊下を歩いていた。
他愛もない話をしている——はずなのに、
どこか噛み合っていない。
「……でさ、その時――」
ノブが何かを話しかける。
「あ、ああ……」
アキラはうなずくが、視線は足元に落ちたまま。
会話が、続かない。
沈黙が、やけに長く感じる。
(……なんだよ、これ)
さっきからずっとこんな調子だ。
隣を歩いているだけで、妙に意識してしまう。
距離はいつもと同じはずなのに、
やけに近く感じる。
「……アキラ?」
ノブが少しだけ顔を覗き込む。
「なんでもねえ」
ぶっきらぼうに返す。
その声が、ほんの少しだけ上ずっていた。
すれ違う生徒の視線が、妙に気になる。
笑っているわけでもないのに、
ひそひそと何か言われている気がして——
(……気にしすぎだろ)
わかってる。
けど、頭から離れない。
その時。
「よお」
軽い声が、横から割り込んできた。
「お前ら、なんか前より仲良さそうじゃねーか?」
桜庭だった。
ノブはすっと前に出る。
「……なんだ桜庭、また締められてえのか?」
すると桜庭は降参のポーズでわざとらしく後ずさる。
「おおお、怖い怖い」
「……からかってんのか?」
「そうじゃねーけどよ」
「何が言いてえんだよ?」
桜庭は一瞬ノブを見るが、すぐに視線を外す。
勝てない相手には、踏み込まない。
そしてアキラに視線を移す。
「……なあ、和泉」
「おい、桜庭、てめえ」
ノブが一歩出る。
が、
「どけよ、田中」
低く遮る。
「俺は和泉に言いてえことがあんだよ」
一瞬、空気が張り詰める。
視線が、まっすぐアキラに向く。
「前さ」
わざと間を置く。
「お前、言ってたよな」
「"オレは男だ"って」
「……」
「……なあ、和泉」
一歩、近づく。
「今のお前さ」
一瞬、桜庭の視線が下がり、また戻る。
「一体なんなんだよ」
——一瞬、呼吸が止まる。
オレはもうナベシャツを付けていない。
膨らんだ胸はもうごまかしようもなく、男であることを否定している。
(……まあ、そうだよな)
胸の奥で、何かがすとんと落ちる。
怖い。
けど——
「……うるせえな」
顔を上げる。
桜庭を、まっすぐ見る。
「そうだよ」
一歩、前に出る。
「悪いかよ……」
「あァ?」
桜庭の眉が、ぴくりと歪む。
一歩、踏み出す。
「……なんだよ、その態度」
苛立ちを隠さない声。
「お前が"おかしい"んだろうが!」
声が、わずかに荒れる。
「なにデカい口効いてんだよ!」
ノブが間に入ろうとする。
その腕が、わずかにアキラの視界に入る。
——けど。
「あん時は、オレも知らなかったんだよ!」
「……けど」
一瞬、言葉が詰まる。
頭の隅に、ミサオさんの顔がよぎる。
もう辿ることのない、オレのもう一つの未来。
「……っ」
わずかに息を吸う。
「仕方ねえし、受け入れるしかねえんだよ」
まっすぐ、見返す。
「悪いかよ?!」
「……っち」
桜庭は、ほんの一瞬だけアキラを睨みつける。
だが——
すぐに視線を外した。
「……興味失せたわ」
気だるそうに吐き捨て、上履きをキュッと鳴らして去っていった。
「大丈夫か? アキラ」
少しだけ間を置いて、
「……すまん、ノブ。心配かけたな」
「無理すんなよ?」
「いや」
小さく首を振る。
「ちゃんと言えなかったこと、言えてスッキリしたわ」
「……そうか」
ノブはそれ以上、何も聞かなかった。
「サンキュな。ノブ」
「おう」
――その時。
後ろから、慌ただしい足音が近づいてくる。
「ノブ先輩!」
「山下? どうした」
チヒロはアキラの姿に気づくと、はっとして一歩引いた。
「……お邪魔でしたか?」
「いや、別に」
アキラは軽く首を振る。
「それより、どうしたんだよ」
「そうでした!」
ぱっと表情を引き締める。
「二年生が怪我しちゃって、先生がノブ先輩呼んでこいって!」
「なにやってんだあいつら……」
ノブは小さく舌打ちしてから、アキラを見る。
「悪い、行ってくるわ」
「お前、部長になったんだろ」
アキラは肩をすくめる。
「気にすんなよ。行ってこい」
「……おう」
一瞬だけ、視線が合う。
それだけで、十分だった。
「じゃ! アキラさん、ノブ先輩お借りします!」
ぺこりと頭を下げて、チヒロはノブの腕を引くようにして走り出す。
その背中を、アキラはしばらく見送った。
「……いいやつだな。チヒロちゃん」
ぽつりと呟く。
「でしょ?」
いつの間にか、隣にいた。
「おやおや~?」
ニヤニヤとした声。
「いいの? チヒロちゃんに取られちゃうんじゃ?」
「はあ?」
アキラは顔をしかめる。
「なに言ってんだよ」
「だってさぁ~、あんな素直でまっすぐな後輩ちゃんに、頼られて、引っ張られて〜?」
わざとらしく肩を揺らす。
「男の子としては、そっちの方が――」
「うるせえな!」
食い気味に遮る。
「別にそんなんじゃねえし!」
耳が、ほんのり赤い。
アヤはそれを見逃さない。
「ふーん?」
くすっと笑う。
「じゃあさ」
少しだけ顔を近づけて、小声で言う。
「昨日の"あれ"は、どうだったの?」
「っ!?」
アキラの動きが止まる。
「な、ななな、なんのことだよ!」
「えー? キスしたんでしょ?」
「してねえって言ってんだろ!!」
声がひっくり返る。
廊下に響く。
周りの視線が一斉に集まる。
「……あ」
「……あーあ」
アヤが楽しそうに肩をすくめる。
「バレバレじゃん」
「てめえ……!!」
真っ赤になって詰め寄るアキラを、ひらりとかわす。
「ま、いっか」
アヤはくるりと背を向ける。
「ちゃんと進展してるみたいだし?」
ひらひらと手を振る。
「頑張りなよ、アキラちゃん」
そのまま教室の方へ歩いていく。
取り残されたアキラは、しばらくその場に立ち尽くし――
「……なんなんだよ、あいつ……」
小さく毒づく。
けど。
その口元は、少しだけ緩んでいた。




