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重なる境界

「だって、男の子よ?」


ノブは思わず母の姿を確認する。

その後姿はいつも通り。


「……かーちゃん。なにが言いてえんだ」


その口調には、どこか棘があった。


「あたしは、別にあんたを責めてるわけじゃないのよ」


一拍。


「先日ね。ユズハさんに会ったの」


ノブは目を見開く。


「……」


「でね、最近あんたに彼女できたって言ったら」


「教えてくれたの」


「アキラちゃんの事」


「あたし、思い出してね」


「そういえば、あんたによくくっついてる子いたわねって」


沈黙。


「それで考えてみたの」


一拍。


「あんた、昔からそういうとこあるから」


一拍。


「また自分で背負おうとしてるのかもって」


「違う」


ノブはすぐに否定した。


――即答だったはずなのに、少しだけ遅れた。


「違うよ」


もう一度言う。


今度は、自分に言い聞かせるみたいに。


(でも、その声は自分でも少しだけ軽かった)


母はタオルで手を拭い、急須にお茶を淹れる。


テーブルへ並べる。


向かいに座る。


湯気が、ゆっくり立ち上る。


母は、何も言わない。


ノブは視線を逸らす。


湯のみの縁に、指をかける。


でも、口は開かない。


――。


一瞬言葉を選び、言う。


「……別に、変じゃねえだろ」


一拍。


「俺が決めたことだ」


言い切ったあと、少しだけ間が空く。


「……あいつが苦しんでて」


言葉が一度、途切れる。


「それでも頑張ってて」


「だから……」


小さく息を吸う。


「俺が側にいなきゃって思った」


「……悪いか?」


母はお茶に口をつける。


――。


息を吐く。


一拍。


「……そう」


短く、それだけ。


それから、湯のみをそっと置く。


「じゃあ、あんたはそうするのね」


視線はノブに向けないまま。


「だったら、それでいいんじゃないの」


間。


「ただね」


そこで初めて、少しだけ声の温度が変わる。


「“決めた”って言うのなら」


一拍。


「あとで誰かのせいにするのはやめなさい」


「最後まで、自分でしっかり持ちなさい」


ノブもお茶に口をつける。

顔は俯いたまま。喉が鳴る。


「……しねえよ」


ぽつり。


顔を上げる。


「……もう、逃げねえ」


「そう決めた」


その目は逸らさなかった。


母は小さく頷き、もう一度湯のみを手に取る。


「……そう」


それだけ言って、またお茶を飲んだ。


--------------------------

数日後。


広い空は、最初から夏の色をしていた。

白く焼けたアスファルトの上に、蜃気楼みたいな熱が揺れている。


駅のホームには、湿った風が吹いていた。


「……暑っ」


ノブが小さく吐く。


「朝からこれかよ」


「海だからね」


アヤが軽く笑う。

その隣で、ミカとナオがはしゃぎ気味にスマホをいじっている。


ホームの端。


電車が来る音が遠くから近づく。


――ゴォォ……。


金属の塊が、空気を押し分けて滑り込んでくる。


風圧。


髪が一瞬だけ持ち上がる。


「来た来た!」


アヤが一歩前に出る。


その少し後ろで、アキラは立っていた。


無意識に、ノブの腕を引く。


「……海か」


ぽつりと呟く。


ノブは横目で見る。


「お前、ちゃんと日焼け止め塗ったか?」


「塗ったけど」


一拍。


「……なんか、落ち着かねえな」


その言い方は、いつもの軽さじゃなかった。


電車のドアが開く。


一斉に乗り込む人の流れ。


アヤが先頭で入る。


ミカとナオが続く。


ノブは後ろからアキラの腕を軽く引く。


「ほら、行くぞ」


「……ああ」


車内。


冷房の風が強すぎて、逆に肌寒い。


窓の外は、まだ街。


ビルの隙間に、青い空が切り取られている。


アキラは窓際に立っていた。


ガラスに映る自分を見る。


――知らない顔ではない。


でも、少しだけ違う。


「……なあ」


ノブが隣に来る。


揺れに合わせて、距離が少しだけ近づく。


「お前さ」


アキラが振り向く。


「最近ちょっと、変じゃない?」


一拍。


電車が揺れる。


吊り革が、きしむ。


アキラは――


笑おうとして、やめる。


「……またそれ?」


軽く言う。


でも、声がほんの少し遅れる。


ノブは気づかないまま続ける。


「いや、なんか」


言葉を探す。


「気ぃ使ってるっていうかさ」


アキラの視線が、落ちる。


窓の外。


流れていく景色。


「……別に」


小さく、息を吐く。


一拍。


「……でも、それって変?」


ノブが詰まる。


答えが出ない。


沈黙。


電車の音だけが、間を埋める。


その間に、


アキラは視線を逸らす。


(……言いすぎたか)


胸の奥に、小さな引っかかり。


でも、言葉にはならない。


「オレさ」


ぽつりと。


窓の外を見たまま。


「ノブが困ってるなら、戻すよ」


言い切る。


――そのあと、少しだけ間。


ノブは、すぐ返せない。


何を返せばいいのか分からない。


アキラは、笑おうとして、


うまくいかない。


「……でも最近さ」


小さく、続ける。


言葉を選ぶみたいに。


「オレ、よく分かんないんだよね」


一拍。


「ちゃんとしてると」


少しだけ、息を吸う。


「これで良いんだって、思えるっていうか」


そこで止まる。


言い切らない。


「……でも」


ほんの少しだけ、声が落ちる。


「それ、見られてる気もして」


ノブが一瞬、顔を上げる。


アキラは、目を合わせない。


「別にさ」


続ける。


淡々と。


「悪いことしてるわけじゃないんだけど」


一拍。


「……なんか」


言葉が、少しだけ揺れる。


「ずっと、試されてるみたいで」


「……ちゃんとしてないと、見られてるっていうか」


言葉が途切れる。


電車の速度が、少しずつ緩む。


揺れが変わる。


その流れで、


アキラの肩が、ノブに軽く触れる。


避けない。


そのまま、少し寄りかかる。


一瞬。


アキラの匂いがする。


ノブの呼吸が、ほんの少しだけ止まる。


「……お前」


口を開く。


でも、すぐには続かない。


一度、飲み込む。


「……いや」


言い直す。


「お前が頑張ってんのは、分かった」


視線は前。


アキラを見ない。


「……でもさ」


少しだけ、間。


「俺の前でくらいは」


言いかけて、詰まる。


うまく言えない。


言葉を探す。


「……なんていうか」


一拍。


「そんな、ちゃんとしてなくていいだろ」


少しだけ、声が低くなる。


「無理してる感じ、すんだよ」


間。


「見てて、落ち着かねえし」


ぽつり。


「……それに」


続けるか迷って、


でも止まらない。


「そうじゃないと」


言葉を選ぶ。


「俺がいる意味、わかんなくなるだろ」


その言葉に、アキラがハッと顔を上げる。


一瞬。


何かを言いかける。


でも――


言葉にならない。


口が、少し開いたまま止まる。


「……あれ」


小さく漏れる。


自分でも分かっていない声。


視線が揺れる。


「……ごめ」


出たのは、先に謝罪だった。


理由も分からないまま。


喉が詰まる。


「……なんか」


息がうまく吸えない。


「止まんなくて」


指先で目元を押さえる。


遅れて、涙が落ちる。


ノブは一瞬、動けなかった。


(泣くとか、そういうのじゃないだろ)


頭ではそう思うのに、体が追いつかない。


気づいた時には、手が伸びていた。


肩に触れて、そのまま引き寄せる。


「……いいって」


短く言う。


「無理すんな」


それだけだった。


強くもないし、上手くもない。


でも、それ以上は必要なかった。


アキラは一瞬だけ抵抗するように肩を揺らして――


そのまま、力が抜ける。


電車がカタン、と音を立ててカーブに入る。


揺れの中で、ノブはただ黙っていた。


アヤはそれを視界の端で捕らえた。


(え、ちょ……)


口が開きかける。


「あーノブっち!アキラちゃん泣かせ――」


そこまで出て、


止まる。


一拍。


アキラの肩が震えているのが見える。

ノブの腕は、軽く回ったまま離れない。


(いやこれ……違うやつだ)


アヤは口を閉じる。


代わりに、視線だけを泳がせる。


スマホの画面を意味もなく点けたり消したりして、


「えーっと……」


と、小さくだけ漏らす。


そして何事もなかったように、窓の外を見る。


(今のは、いじったらダメなやつ)


電車は、次の駅に向かって進んでいく。


揺れの中で、誰も大きな声を出さないまま。

空気だけが、少しだけやわらかく変わっていた。


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