偽りのない、誰か
夏休みの午後。
強い日差しがアスファルトを白く焼いている。
遠くでセミの声が重なって、空気はどこか重たい。
ハンズの袋を両手で持ったノブ。
「……買いすぎだろ」
「ちょっと見てたら、ついね」
アキラは横で笑う。
首を少し傾けて、上目遣いに。
軽い声。
少しだけ、前を向いたまま。
「ほら、それ軽い方だから」
言いながら、ノブの腕の荷物を人差し指でツン、と突つく。
「いや普通に重いって」
「ごめんごめん」
アキラはすぐ謝る。
合わせるように両手を顔の前で軽く合わせる。
アヤは、店を出た後、その一連の動作を、少し後ろから見ていた。
一拍。
ノブは一旦荷物を置いて汗を拭う。
アキラは隣で、ハンカチを四つ折りのまま、そっと額に押し当てている。
「おまたせー」
アヤが努めて明るく声をかける。
紙袋をぶら下げて、二人の間に割って入った。
間近で見るアキラの、少し照れたような顔。
(なんか……可愛いぞ?)
アヤは、無意識に自分の髪を弄ぶアキラの手元を凝視してしまう。
「ねえ」
アヤの声が、少し上ずる。
「なんかさ、ちょっと変じゃない?」
「いや、俺は普通だぞ」
ノブが即答する。
「ふつうでしょ」
アキラも笑う。
その笑顔が、あまりに完璧で、どこか作り物のような……。
セミの声が、急に遠のいた気がした。
(待って。この感じ)
(前にも、あった)
「いや、別にいいんだけどさ」
歩き出しながら、アヤは自分の声を落ち着けるのに必死だった。
「前にもさ、こんな感じあった気がして」
「どの時だ?」
ノブが少しだけ食いつく。
アヤは一瞬だけ、足を止める。
振り返ったアキラの、スカートの裾を直す仕草。
ほんの一瞬。
「んー……忘れた」
すぐに歩き出す。
スマホをいじるふり。
画面は、暗いまま。
アヤはそこに映る自分の顔が、ニヤけているのが分かった。
(……いや)
(気のせいかな)
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ノブの部屋。
机の上に広げられた参考書。
エアコンの風が、ゆるく紙を揺らしている。
「ここ、違うよ」
アキラがノートを指でなぞる。
「この式、さっき言ったよね。展開する前に――」
言葉は丁寧で、落ち着いている。
「……ああ」
ノブは短く返す。
ペンを走らせる。
少しだけ、強い。
「だからここで――」
「わかってるって」
被せるように言う。
一瞬、沈黙。
アキラの手が止まる。
「……ごめん」
すぐに引く。
その言い方が、やけに素直で。
ノブは顔を上げる。
「……なんだよ、それ」
「え?」
「いや、なんか」
言葉を探す。
うまく出てこない。
視線を逸らして、頭を掻く。
「前さ」
一拍。
「そんな感じじゃなかっただろ」
「……ちゃんとやってるだけだろ」
間。
ノブは眉をひそめる。
「そういうのじゃなくてさ」
言葉が詰まる。
何が違うのか、うまく言えない。
でも確かに、違う。
目の前にいるのに、
少しだけ遠い。
「……なんか、距離あるっつーか」
ぽつりと落ちる。
アキラの指が、ノートの上で止まる。
視線は落ちたまま。
「……そんなことないよ」
少しだけ、間を置いて。
「ほら、次やろ」
ページをめくる音。
やけに軽い。
ノブはそれを見ながら、
何も言わなかった。
ノブはそれを見て、
ペンを持ち直す。
ページには、さっきの式の続き。
書きかけのまま、止まっていた。
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「じゃ、また明日」
手を振り、ニコリと笑うアキラ。
エクボが浮く。
「おう」
いつも通りのやり取り。
アキラは軽く手を振って、玄関前の階段を降りていく。
その背中を、ノブはしばらく見ていた。
――カチャン。
ドアを閉める。
静かになる。
一拍。
ノブはそのまま玄関に立ったまま、動かない。
さっきまで、確かにそこにいた気配が、
ゆっくりと薄れていく。
「……なんだよ」
ぽつりと零れる。
靴を脱ぐ。
揃えないまま、廊下を進む。
自分の部屋。
ドアを開ける。
机の上には、開きっぱなしのノート。
さっきまで二人でやっていた痕跡。
椅子を引く。
座る。
ペンを手に取る。
――進まない。
ノートの上の文字を目で追う。
でも頭に入ってこない。
「……違うんだよな」
何が、とは言えない。
夏祭りのユズハの言葉が、ふと浮かぶ。
『アキラくん、頑張ってるみたいね』
首を振る。
「……頑張ってる、か」
理由は出てこないのに、胸の奥だけがざわつく。
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翌日。
「……あー、糖分切れた」
アキラのその一言で、二人は煮詰まった参考書を放り出し、近所のコンビニへと向かった。
冷房の効いた店内の、白すぎるほどの蛍光灯の下。
アキラは迷うことなく、新作の甘いラテと、小さな焼き菓子をカゴに入れた。
自動ドアが左右に開く。
――ウィーン、という乾いた機械音。
店内の冷気と、外に溜まった熱帯夜のような熱気がまとわりつく。
「お待たせ」
アキラが、まぶしそうに目を細めて一歩踏み出す。
逆光。
夏の強い陽射しがアキラの背中から差し込み、その輪郭を白く、ぼやけさせた。
緩くなった制服のシャツが風に孕み、一瞬、その身体が驚くほど薄く、透けて見える。
ビニール袋を提げた指先。
以前なら無造作に掴んでいたはずの袋を、今はどこか、丁寧な所作で持っている。
アスファルトの照り返し。
アキラが首筋に張り付いた髪を、指先でさらりと払う。
ノブは、それを知っているはずなのに。
――知らない動きに見えた。
ノブの足が、止まる。
「なあ」
ノブが足を止める。
「お前、最近ちょっと変じゃないか?」
「……は?」
アキラは普通に振り返る。
その顔は、いつも通りだ。
「なにそれ」
「いや……」
ノブは言葉を探す。
探して――見つからない。
さっきの一瞬が、頭から離れない。
(さっき、確かに)
(……違った)
でも今目の前にいるのは、同じ顔で、同じ声で、同じ温度で笑っている。
なのに。
アヤの言葉が浮かぶ。
『前にもさ、こんな感じあった気がして』
ハッとアキラを見る。
「……お前」
喉がひっかかる。
「……誰だよ、お前」
言い切った瞬間、自分で一番動揺する。
アキラは一瞬だけ止まる。
そしてすぐに、困ったように笑う。
「ほんとに何言ってんの――」
遮る。無意識に。
「その、しゃべり方も、距離も、謝り方も」
「前はそんな気ぃ使うやつじゃなかっただろ」
沈黙。
アキラは一瞬だけ視線を落とす。
そして――
「……じゃあ」
ぽつりと。
「どうすればいいんだ?」
ノブが詰まる。
一瞬、昔のアキラが見えた気がした。
「どうすれば“前みたい”になれる?」
アキラの声は、責めてない。
ただ確認してるだけ。
アキラは小さく息を吐いてから言う。
「オレさ」
アキラは一瞬、言葉を探すように目を伏せる。
「ノブが困らないようにしてるだけなんだけど」
そのあと、小さく付け足すように。
「……それって、変?」
一拍。
風が抜ける。
その沈黙の中で――
アキラの表情が、ほんの一瞬だけほどける。
「……いや」
小さく、笑いかけて。
「今の言い方、なんか変だな」
その“戻り方”が自然すぎて、逆にノブは息を止める。
(今の)
(いつものアキラだ)
「オレ、最近ちょっとさ」
一拍。
アキラは視線を少し落とす。
「ちゃんとやろうとしてて……」
言いかけて、そこで一度止まる。
言葉を選び直すみたいに、息を吸う。
「……でも、それでノブを困らせてるなら」
少しだけ間が空く。
「わりい」
「……いや」
「でも、最近のオレ、そんなに嫌か?」
「……嫌ってわけじゃねえけど」
ノブは即答したあとで、言葉に詰まる。
(違う)
(そうじゃねえ)
嫌とかじゃない。
ただ――
(俺だけ、ずっと置いてかれてたのかよ)
「……なんか、分かんねえ」
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ノブの家。
キッチン。
――カチャ、カチャリ。
規則正しく、けれどどこか事務的な音が静かなキッチンに響く。
ノブの母が洗い物をしながら、何気なく言う。
「最近―」
水道の音がやけに大きく感じられる。
「……あの子、よく来るわね」
ノブはスマホをいじるふりをしながら、
「まあな」
と返す。
――キュッ、キュッ。
スポンジが皿をこする音が続く。
「いい子よね、あの子」
母は一度もこちらを見ない。
「……だろ」
一瞬、皿洗いの音が途切れる。
静寂。
「でも……」
再び水が流れる。
「それでいいの?」
ノブは眉をひそめる。
「何が」
スポンジの音が少しだけ強くなる。
「……あの子のこと」
一拍。
「ちゃんと分かってるの?」
母は振り向かないまま、淡々と落とす。
「だって、男の子よ?」




