願いとおせっかい
とある廃屋の裏庭。木漏れ日が差し込む古びた祠。
(………おや。乱れた。常世の守りにほころびが……。 ふふふ。面白い。であれば――)
なにかの存在が人知れず呟いた。
―― チリン。
どこからか響く鈴の音。
刹那、風が強く吹き荒れ、木の葉を空高くへと舞い上げた。
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アキラの部屋。
ジオラマ制作中のアキラ。机の上で黙々と作業する。しかし部屋着でだらけたままの胸が当たり、兵士が落下してしまう。
「じゃまだなあ」
翌朝。
アキラはナベシャツを装着するが、今日は上手くフックがかからない。
ミシリ、と肋骨が鳴るような感覚。激しく動くと息が苦しい。
少し緩めるが、脇の隙間から肉がはみ出てきて収拾がつかない。
ナベシャツで押さえつけていても胸が成長してしまっている事実にショックを受ける。
その夜。
アキラは夢を見ていた。
やけに近い距離で、ノブが笑っている。微笑み返すオレ。
頭に触れる手のひらがやけに心地よくて――
(……なんだこれ)
自分から、少しだけ体を預けていることに気づく。
ドクン、と胸が鳴った。
その瞬間、目が覚めた。
「……は?」
意味がわからない。
なんだ今の。
なんでオレが、あんな風に――
「……きっしょ」
そう呟いて、布団をかぶり直した。
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教室。
「あれ?」
潰れたぬいぐるみキーホルダーを見つめ、残念そうな顔をするアヤ。
「あーあ、顔のとこ変になっちゃってる……。これ取るのに1000円くらい掛けたのに」
中の糸が切れたのか、目のくぼみが無くなってしまっていた。
「ちょっと貸してみろ、アヤ」
オレは裁縫セットを取り出して、ぬいぐるみの首から針を通し、目の部分の布に引っ掛け、糸を調整しながら少しだけ凹ませる。
ぬいぐるみは無事に元通りになる。
「すごーい! さすがアキラちゃん!」
(オレの胸もこんな風に凹ませれればいいのに)
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いつもよりアキラは表情が消え、浮かない顔だ。
ノブが心配するが、恥ずかしいのか何も答えたがらない。
一方、ノブも悩みを抱えていた。
アキラと同じ高校に通いたいが、部活の実績だけだと推薦で公立の入学は難しい。
最低基準の学力が必要だ。
ノブは短期集中の塾に通いはじめていた。
その時だった、ショウウィンドウのガラスに反射して、見慣れた姿が写っていた。
ほっそりした体に、なぜか女の子のような可愛い服装をひらひらと靡かせている。
ノブの脳髄に衝撃が走る――。
そしてとっさに振り向く。
見間違うはずが無い。なぜならノブにとって大事な存在。
「アキラ、おい、アキラ?」
ノブが呼びかけたが、アキラは無表情でノブに一瞥もしない。
そして足早に通り過ぎ雑踏の中へ消えていく。
「忙しかったのか? でも、……すげー可愛いかったな」
しかしハッとそれを否定するように頭を振る。
「……いや、何言ってんだ俺」
アキラはアキラだ。ただのダチだろ。
それなのに、さっきの姿が妙に焼き付いて離れない。
ノブはしばらくアキラの消えた方向を見つめ――
気づけば、無意識に人混みの中を目で追っていた。
「……やっぱり人違いだよな」
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次の日、アキラは学校を休んでいた。
特に休む話は聞いていない。
疑問に思ったノブはアヤに昨日の話をする。
「え、ノブっちも見たの? 実はうちのサークルの子も、女の子の格好したアキラちゃんを昨日街で見かけらしいの」
しかしアキラは声をかけても気づかずに、何処かへ行ってしまったそうだ。
二人は気になってアキラの家に行く。しかし今日は何故かユキさんもおらず、留守だった。
「変ね?アキラちゃん、何かあったのかしら?」
「まさか、アキラ。何かに巻き込まれたのか!?」
「ノブっち落ち着きなさい。まだ決めつけるのは良くないわ」
このままでは、解らないし心配しても仕方がないと、結局二人はそのまま解散した。
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翌日。
二人の心配を他所に、アキラは普通に学校に登校してきた。
「はあ? オレが街にいた?」
ノブとアヤはアキラに一昨日の話を尋ねる。
「ああ、アキラ、あのときオレとすれ違ったの、ぜんぜん気づかなくてさ」
「そうそう。あたしのサークルの子もあんたに会ったって言ってたわよ?やっぱり呼んでも気づかなかったって」
それを聞いてアキラは何言ってんだと言いたげな表情で、
「いや、そもそもオレ、その日おばさんの家に行ってたんだが?」
「「え?」」
「え?」
フリーズする二人。アキラはそんな二人を見比べ驚いている。
するとアヤはうーん、と頭を傾け何か思案しはじめる。
「そういえば、こういう話、どこかで…」
そして思い出したのか、ポンと手を打つ。
「それって、アキラちゃんのドッペルゲンガーなんじゃないの?」
アヤはミステリー同好会の部員だ。
この手の話は大好きなのか、少し饒舌に話しはじめる。
曰く、複数の説があるが、と前置きをして、
世界には自分とそっくりなもう一人の人間が居て、
本人が出会ってしまうと、
入れ替わったり、はたまた死んでしまったりするという。
「まてアヤ、死ぬのはちょっと勘弁して欲しいぞ」
「あはは。まあ、都市伝説のたぐいだからね――」
「いや笑えねえって。もし本当にそうだったらどうすんだよ」
そのやり取りを聞いていたノブは眉をひそめ、落ち着かない様子で腕を組む。
――ふと、脳裏にあの姿がよぎる。
ひらひらした服。やけに柔らかそうな雰囲気。
思わず口元が緩みかけて、
「……って、何考えてんだ俺」
小さく首を振る。
結局、その話は他人の空似として片付けられ、いつの間にか忘れられていた。
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数日後の朝。
ノブがいつものようにアキラを迎えに行くと――
「おはよう。ノブくん」
やわらかい声、
穏やかな笑み。
一瞬、誰だかわからなかった。
「……アキラ?」
思わず名前を確認する。
「――ハッ」
途端に、目を瞬き、自分の手を見つめるアキラ。
「……オレ、今変なこと言ったか?」
そして眉を寄せてノブを見る。
その目は冗談を言っているようには見えない。
「あ、いや……」
違和感はある。だが、どこがどうとは言えない。
ただ――妙に、胸がざわついた。
「なんか……一瞬、頭がぼーっとしてて。……それに、寒い」
アキラは自分の腕を抱きしめる。
その仕草が、いつもより細く見えた。
「大丈夫か?」
額に手を当てる。
その瞬間、アキラがびくっと体を揺らした。
「べ、別に! そういうのじゃねえから!」
顔を真っ赤にして距離を取る。
「……そうか」
引っ込めた手に、わずかに残る体温。
なぜか、それが妙に意識に残った。
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それからというもの。
アキラの様子は、少しずつおかしくなっていった。
ふとした拍子に距離が近くなる。
触れれば、
やけに素直に身を預けてくる。
しばらくすると我に返る。その繰り返し。
そして今日も。
「ノブ君……」
「お、おい、またか?……」
呼び方も、声の調子も違う。
――近い。
そう感じた瞬間、
「――ハッ。オレ、今……」
アキラは我に返ったように飛び退く。
「……なんだよ、これ!!」
自分でも理解できていない顔だ。
でもノブには答えられない。
「アキラちゃん……ついに心まで女の子に……」
「まてアヤ、何言って――」
「……いや」
ノブは小さく口を開く。
「おかしいだろ? これ……」
自分でも驚くほど、声が低かった。
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また別の日。
「アキラちゃん、今日服見に行かない?」
「うん。アヤちゃん、選んでくれる?」
「え……」
アヤが固まる。
ノブも言葉を失った。
――拒否しないどころか、自然すぎる。
「おい、アキラ……いいのか?」
「だって」
アキラは、少しだけはにかむ。
エクボが浮く。
「ノブくんが……喜ぶかなって」
「……っ」
心臓が早鐘を打つ。
――違う。
こんなの、アキラじゃない。
わかっているのに。
その言葉が、まっすぐ刺さる。
すると、
「……行くわよ。今のうちよ!」
アヤが強引に話を進める。
ノブは何も言えなかった。
止めるべきだと分かっているのに、
どこかで――止めたくなかった。
アヤはそんなアキラを衣料品店へ連れていった。
そして着せ替え人形にしてはしゃぐ。
「――ハッ。……は?」
我に返ったアキラが、鏡の前で固まる。
「……なんだよ、これ……」
「あっちゃ~。戻っちゃったか。残念残念」
アヤは残念そうだが、アキラは明らかに動揺している。
「悪い、アキラ」
ノブは言いかけて、言葉を飲み込む。
何に対して謝っているのか、自分でも分からなかった。
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数日後。
「――まただ!!!」
アキラが顔をしかめる。
「やっぱり最近オレ、なんか変だ」
「……ああ」
ノブは短く答える。
軽く流せる話じゃない。
「正直、笑えねえよ」
アヤも珍しく真顔だった。
ここ数日のことを整理する。
言動の変化。
行動の変化。
意識の曖昧さ。
そして、記憶の欠落。
「え、うっそ……」
アキラの顔から血の気が引く。
「……全部、オレ?」
「やっぱ自覚、なかったの?」
「…………」
沈黙。
やがて、アキラがぽつりと言う。
「……夢で、似たようなのは見る」
「夢?」
「オレじゃないオレがいて……勝手に動いてる感じで」
ノブの背筋に、冷たいものが走る。
――あれは、"ただの違和感"じゃない。
――誰かが、中にいるみたいな。
「……それ、やばくねえか」
自然と口から出ていた。
アヤもゆっくり頷く。
「ねえ、それ……ドッペルゲンガーに乗っ取られてるんじゃない?」
「……は?」
冗談ではなく、本気の声だった。
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今日もアキラは、ノブのすぐ隣にいた。
距離が近い。
肩が触れるどころか、
寄りかかるように体重を預けてくる。
「……おい、アキラ」
「なあに? ノブくん」
柔らかい声。
自然すぎて、逆におかしい。
「……いや」
言葉が続かない。
――これでいいのか?
そんな考えがよぎる。
だが同時に、
離れられるのが、少し惜しいとも思ってしまう。
「もう、くすぐったいよ~アヤさん」
「反応いいわね……」
アヤがわざとらしく肩や腕に触れる。
そのたびに、アキラは素直に身をよじる。
その声に少し揺さぶられる自分がいる。
「……やめろアヤ」
思わず止めさせた。
でも理由は言えない。
少し言葉を探す。
それらしい理由。
「……まだ何も分かってないんだぞ」
自分でも意外なほど、強い口調。
アヤが一瞬だけ目を細める。
「……どうしたの、ノブっち、ちょっと怖いよ?」
空気がわずかに張り詰める。
だが、その緊張を壊すように、
「ノブくん……」
アキラがそっと袖を掴んだ。
「迷惑、だった?」
「……っ」
違う、と言うべきなのに。
言葉が出ない。
代わりに、胸の奥がざわつく。
「……別に、そういうわけじゃねえけど」
曖昧な返事。
それが一番まずいと分かっていながら。
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アヤはアキラの髪の毛を梳かしてあげていた。
(めちゃくちゃ髪質いいのよね……)
ショートヘアに指を通しながら、いくつか髪留めを試す。
いつものボーイッシュな印象とは違う、やわらかい雰囲気に仕上がった。
白い肌が、やけに目に残る。
「ほら、できた――」
手鏡を見せようとした、そのとき。
アキラが、露骨に顔を背けた。
「……?」
その瞬間、ピリ、と空気が震えた気がした。
静電気のような、けれどもっと嫌な感覚。
(今の……なに?)
アヤはふと持っている手鏡に目を落とす。
(まさか……、鏡?)
違和感が、確信に変わる。
アヤはゆっくりと目を細めた。
そして――
(ということは、引きずり出せるわね)
口元に、うっすらと笑みが浮かんだ。
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土曜日。
アヤは二人を遊園地へ誘った。
今日のアキラは、完全に“そっち側”だった。
可愛らしい服装。柔らかい仕草。自然すぎる笑顔。
ノブは視線のやり場に困りながらも、隣を歩く。
(……なんなんだよ、これ)
胸の奥がざわつく。
守らなきゃいけない"いつものアキラ"と、目の前にいる"別のアキラ"。
どちらも、同じ顔で笑っている。
「次はここに入ってみましょう?」
アヤが指差したのは『ミラーメイズ』。
ノブは無意識に、アキラの手を引いた。
「行くぞ、アキラ」
「……」
動かない。
「アキラ?」
呼びかけても、反応が遅い。
その横顔は――
一瞬だけ、"誰か別のもの"に見えた。
「……来ないの?」
アヤが一歩踏み出す。
「しかたないわね。じゃあ、もう手加減はしないわ」
その声には、はっきりとした意思があった。
「ん? ちょっと待て、アヤ――」
「いいから、アンタも手伝いなさい!」
低い声だった。
ノブは言葉を飲み込む。
「これ、もう、放っておける段階じゃないでしょ?!」
――沈黙。
(そうだよ。このままのアキラでいいわけがない)
ノブは頷く。もう迷いはふっ切れた。
もう、"様子を見る段階"じゃない。
――取り戻す時だ。
「……分かった」
二人でアキラの腕を取る。
「やめ……」
抵抗。
次の瞬間――。
アキラの顔が歪んだ。
「……メロ……ヤメロ……」
ぞわり、と背筋が凍る。
それはもはやアキラの声じゃない。
「……行くぞ!!」
ノブは力を込めた。
三人は、そのままミラーメイズへなだれ込む。
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鏡、鏡、鏡。
上下左右、すべてが反射する空間。
どこが現実で、どこが虚像か分からない。
アキラは床に崩れ落ち、荒く息を吐く。
そのとき――。
『ノブ!!アヤ!!オレだ!!』
「――っ?!」
同じ声なのに、ひどく懐かしく感じる声。
『ここだ!』
正面の鏡。
そこに、"もう一人のアキラ"がいた。
「アキラ……?」
『よかった……やっと話せた』
息を潜めるノブ。
(じゃあ、今ここにいるのは――)
「ふふ……」
笑い声。
床にいる"アキラ"が、ゆっくりと顔を上げた。
「ふふ、ふふふふ……そうか…もう気づかれておったのか」
その目つきは、まったく別のものだった。
「お前……誰だ?!」
ノブの声は低い。
怒りと警戒が混じっている。
「そう構えるでない。妾は……ただの土地神じゃ」
空気が、わずかに歪む。
この場に"人ではないもの"がいると、理解させられる。
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話を聞くうちに、状況ははっきりしていく。
俺の小さい頃の「こいつと末永く仲良くありたい」という"無邪気な願い"。
そんなつまらない戯言を叶えるための同化。
そして――
「このまま進めば、いずれ区別はなくなるであろう」
『ふざけんなよ!!』
鏡の中のアキラが叫ぶ。
ノブは、拳を握りしめた。
(……俺のせい、かよ)
軽い気持ちで思ったこと。
口にしたこと。
それが、ここまで形になっている。
「……ノブヒロよ」
神の声が、静かに落ちる。
「そなたはどうしたい?」
選択。
逃げられない問い。
ノブは、目の前の"アキラ"を見る。
柔らかく笑うその顔。
少し前まで、心が揺れた姿。
(……正直、)
一瞬、迷いがよぎる。
けれど。
鏡の中のアキラと、目が合った。
怒っていて、必死で、でも――
間違いなく、俺が望んだのは"あいつ"だった。
「……違うな」
ノブは、小さく息を吐いた。
「俺が欲しかったの、これじゃねえ」
一歩、前に出る。
「こいつは、こういう奴じゃねえだろ」
「……ほう」
静かに、それだけ。
「勝手に変えられるくらいならさ」
ノブは笑った。
少しだけ、照れくさそうに。
「自分で変えてやるさ」
一瞬の沈黙。
それから。
「……面白い」
神は、静かに笑った。
―― チリン。
鈴の音。
ひゅうと風が通る。
アキラの体から、くたっと力が抜ける。
「――ハッ!」
途端、アキラは自分の手を見つめはじめる。
「アキラ!!」
ノブが肩を掴む。
「……っ、ノブ……?」
いつもの声だった。
「……ったく」
思わず、頭を軽く叩く。
「心配かけんなよ」
「……サンキュな、ノブ」
短いやり取り。
それだけで、十分だった。
(いやはや、人の子というのは実に面白いのう)
どこか遠くで、気配だけが笑う。
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そうしてアキラはもと通りに戻った。
――はず、だった。
「アキラちゃん、せっかく買ったあの服、また着ようよ~」
アヤがにやにやしながら言う。
「うん? まあ、ちょっとくらいならいいぞ」
「え」
「ええええ!?」
アヤが素っ頓狂な声を上げる。
「ちょっと待って、今なんて言った?」
「だから、着るって。似合うなら着ないともったいないだろ」
「……」
「……」
アヤとノブが同時に固まる。
「おいアキラ、お前ほんとにアキラか?」
「なんだよそれ、失礼だな」
けろっとした顔で言い返すアキラ。
その様子が、逆におかしい。
(……なんだこれ)
ノブは思わず視線を逸らす。
頭では「いつものアキラ」だと分かっているのに――
昨日まで見ていた"あの姿"が、ちらつく。
「……似合う、って」
ぼそっと呟いて、
「……いや、なんでもねえ」
小さく頭を振る。
「? なんだよ」
「いや別に。深い意味はねえ」
「なんだそれ」
アキラは怪訝そうに眉をひそめる。
「……ほんとに、変なやつだな」
その言い方も、いつも通りのはずなのに。
なぜか少しだけ、引っかかる。
「なんだよ、なんか変なこと言ったか?」
「ううん、言ってない言ってない」
アヤはニヤニヤを抑えきれていない。
(これはこれで……アリね)
心の中でしっかりメモしている。
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翌日。
「で?着るのか、その服」
ノブがそっぽを向いたまま言う。
「だから、着るって言ってんだろ」
さらっと返すアキラ。
そして、ためらいもなく袖を通す。
「……」
ノブは黙る。
(……やめろって)
(そんな普通に着るなって)
以前なら絶対に見れなかった光景。
それが"当たり前"みたいに目の前にある。
「どうだ?」
くるり、と回るアキラ。
「……別に」
即答。
だが視線は逸らしたまま。
「なんだよその反応」
「いや、似合ってるけどさ」
アキラが固まる。
「……今なんていった?」
「……似合ってるっつっただけだろ」
言った瞬間、ノブは自分で顔が熱くなるのを感じた。
(……俺、何言ってんだ)
沈黙。
「あ……ありがと」
アキラは顔を真っ赤にして、視線を逸らした。
「……っ!!」
ノブの思考が一瞬止まる。
(待て)
(今の言い方)
(完全に、あの時のやつだろ……)
「なあアキラ、お前――」
「な、なんだよ……」
反応はいつもの調子。
――の、はずなのに。
どこかほんの少しだけ、
"あの時の残り香"が混ざっている気がした。
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「ただいまー」
玄関の戸を開けると、すぐに声が返ってきた。
「あら、おかえりなさい。アーちゃん」
「……お母さん、帰ってたのか」
「ええ。ちょっとね、外が騒がしくて」
ユキは軽く肩を回しながら笑う。
その仕草はいつも通りだが、どこか疲れが滲んでいた。
「騒がしいって……?」
「うーん、まあ。境目がちょっと緩んでたのよ」
「……は?」
意味が分からず眉をひそめるアキラ。
「大したことじゃないわ。ちゃんと締めてきたから安心しなさい」
そう言って笑うユキ。
けれどその目が――ほんの一瞬だけ、じっとアキラを見た。
値踏みするように。
確かめるように。
「……なに?」
「ふふ。別に?」
すぐに、いつもの柔らかい表情に戻る。
「アーちゃん、元気そうでなによりだわ」
「……?」
納得はいかないが、それ以上追及する気にもなれない。




