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まだ、このまま。

ユズハは近所のスーパーに来ていた。


献立に不足している食材を一つ一つ吟味しながらカゴへと入れていく。

少し腕が重くなってきた。


ひとまずこのくらいでいいだろう。

足りなければ冷蔵庫の残りで一品作ればいい。


そう思いながらレジに並ぶ。


「はいこちらどうぞー」


隣のレジの「レジ休止中」の看板が外され、そちらへ誘導される。


どこかで見たことのある顔。

名札を見る。


『田中』


ああ、と記憶が繋がる。


「あの、間違っていたら失礼ですが、もしかしてノブくんのお母様ですか?」


「え?」


レジ打ちの女性が顔を上げる。


「あら、どちら様でしたか?」


バーコードをスキャンする手は止まらない。


「私、小さい頃ノブくんとよく遊んでいたユズハです。覚えていらっしゃいますか?」


「あら~~!こーんなに美人になっちゃって」


そのままの調子で、商品を通していく。


「そういえばうちの子、最近彼女連れてきてて、まだ名前知らないのよね」


「ああ、その人なら和泉アキラくんですよ」


「え?」


一瞬。


バーコードを当てる手が止まる。


ピッ、という音が遅れて鳴る。


「覚えておられませんか?小さい頃、ノブくんによくくっついてた子です」


「あの子が……そう」


レジの画面を、一度だけ指でつつく。

表示を確認して、もう一度同じ場所を押す。


「……はい、2374円です」


ユズハは、あらかじめ用意していたお札と小銭をカルトンに置く。


「では2504円からで」


ガチャン、とドロワーが開く。


田中さんは俯いたまま、釣り銭を数える。

硬貨の触れ合う音だけが、やけに大きく響く。


レシートと小銭を差し出す。


「……ユズハさん。ありがとうね」


一瞬だけ、視線が合わない。


ユズハはそのまま受け取って、にこりと笑う。


「はい。また」


それだけ言って、踵を返す。


コツ、コツ、と床を打つ足音。


振り返らない。


----------------------


教室。


教卓に立った担任が、こほんと咳払いをする。


「お前ら。来週は期末テストだ。今回は範囲広いぞー」


教室がざわつく。


「田中、杉山、お前ら、前回赤点ギリギリだったぞ。今回はもっと頑張れよ」


「はい」


「はーい」


クスクスと笑い声。


先生はそのままプリントの束を配りはじめる。


「じゃあ、テスト範囲な。前から配るから後ろに回せ」


プリントの束が回りはじめる。


げー、とか、ウソだろ、と不満の声。


回ってきた束を受け取るノブ。


一枚抜き取り、目を落とす。


ざっと目を通して――


「うわ……」


小さく漏れる。


肩が、分かりやすく落ちる。


そのまま束を後ろのアキラへ渡す。


「アキラ。今回も頼む」

「マジでやべえんだわ、これ」


後ろで、くすっと笑う気配。


アキラがプリントを受け取りながら言う。


「いいよ」


一拍。


「お前の彼女だしな」


軽く言ったつもりの声音。


でも、その口元は、ほんの少しだけ緩んでいた。

自分で言った言葉を、確かめるみたいに。


-----------------------


ノブの部屋。


窓は締め切られ、エアコンのファンが煩く風を送り出し、空気をかき回している。


机の上には、教科書とノート。


二人はいつもより近い。


「違うって、こっちの因数は足して、こっちは掛けるだろ―」


「あ、そうだったな」


「ノブ、お前公式ちゃんと覚えてないだろ?」


「すまん、えっと、x + ax + by だったか?」


「だーかーらー」


――コンコン。


ノブはそのまま顔も上げない。


アキラだけが、すっと姿勢を正す。


ガラリと襖が開く。


「いらっしゃい」


ノブの母が、お盆を持って入ってくる。


アキラは軽く頭を下げる。


「どうも」


その声に、母の視線が向く。

一瞬だけ――止まる。


アキラは、わずかに視線を逸らした。

なんとなく、居心地が悪い。

でも理由は分からない。


「……勉強、頑張ってるわね」


テーブルに湯のみを置く。


コト、と少しだけ音が強い。


ノブは頭を掻きながら、


「サンキュ」


とだけ言う。


母は頷く。


そのまま、もう一度だけアキラを見る。


今度は、確かめるみたいに。


でも何も言わない。


「それじゃ……ごゆっくり」


言いながら、少しだけ間が空く。


すぐに背を向ける。


――トン。


襖が閉じられる。


さっきより、わずかに早い。


ノブが顔を上げる。


「ん?」


襖の方を見る。


「どうした」


「……なんでも——」


言いかけて、飲み込む。


「……なんでもない」


一拍。


「そうか」


ノブはまたノートに目を落とす。


---------------------------

夜。


キッチン。


ノブの母。


味噌汁の鍋の火を止める。


器によそう。


ノブが風呂から上がってくる。


「ご飯……できてるわよ」


言いながら食卓へ置く。


ノブは頭をタオルで拭きながら、


「はーい」


わかってるよ、とでも言いたげに答える。


そしてタオルを首にかけると、

ガタッ、と荒く椅子を引いて座る。


ノブの母も自分の席に座ると、箸を手に持ち、ノブを見つめる。

一拍。

何かを確かめるみたいに。


「……ノブ」


「なんだ?」


顔も見ずにご飯をかき込むノブ。


「あの子――」


そこで一瞬だけ言葉が止まる。


「……どんな子なの?」


努めて明るく言う。


ご飯をかき込む手が、ピタッと止まる。


ほんの一瞬だけ。


それから、何事もなかったみたいにまた動き出す。

少しだけ早く。


「……別に、いいだろそんなの」


ぶっきらぼうに返す。


目は合わせない。


耳が、わずかに赤い。


一拍。


「……そうかい」


味噌汁に口をつける。


何か言いかけて、

一瞬、言葉を選ぶようにして、


「おかわりいるかい?」


「ああ」


立ち上がる。

背後で軽快な咀嚼音。


炊飯器を開ける。

湯気が、ふわりと立ち上った。


ノブの母は、背中越しに一度だけ振り返る。

ほんの一瞬だけ、視線が止まる。

何も言わず、茶碗にご飯をよそう手に視線を戻した。


-----------------------------


朝。


アキラの部屋。


そろそろノブが来る頃。


急いで身支度をする。


ふとよぎる映像。


―昨日のノブの家。

―ノブのかーちゃんの視線。


カバンに教科書を入れる手が止まる。


気のせいかもしれない。


いや——


(……絶対バレてるだろ、あれ)


カバンを閉じる。


制服に袖を通す。


鏡を見つめる。


(……変じゃなかったかな)


ブラシで髪を整える。


階段を降りる。


お母さんが近づいてくる。

少し困ったような顔。


思わず視線を逸らす。


「……いってきます」


一拍。


「いってらっしゃい。アーちゃん」


それ以上何も言わなかった。


ノブと合流する。


何もなかったように。


「おはよ。ノブ」


「おう」


沈黙。


「……なあノブ」


「なんだ?」


(まだ思考がぐるぐるして言葉がうまく浮かばない)


「私さ…」


(あ…)


すぐに現実に戻る。

いつも通り。普通に。


「……なんでもない」


「は?」


ノブがこっちを見てる。


(バレたか?)


ノブが、急に手を繋いできた。


熱い。


思わず、ノブの顔を見る。


笑い返す。

でも、少しぎこちなくなる。

つい目を逸らす。


(ちゃんと、しないと)


無意識にノブの手を握りしめる。


「へんなやつだな」


ノブは微笑んでいる。

いつもの声。優しい声。


心が少し緩む。


「そうか?」


「ああ」


---------------------


「なあノブ」


「なんだ?」


「私さ……」


ハッとする。


「……なんでもない」


「は?」


(今、"私"って言わなかったか?)


アキラを横目で見る。


普通。でも――


さっきの一瞬だけ、

違うやつを見た気がする。


知っているアキラから離れていきそうな気がして、

理由も分からないまま、


無意識にアキラの手を握った。

いつもみたいに。


気づいて目が合うと、少し微笑むアキラ。

エクボが浮かぶ。

アキラは視線を逸らす。


(あれ?)


(こいつこんな笑い方したっけ?)


手が、少しだけ強く握り返される。


(ま、いいか)


「へんなやつだな」


気づけば、口元が緩んでいた。

アキラの視線が再びこちらを向く。

思わず、視線を逸らす。


「そうか?」


いつもの調子で返ってくる。


「ああ」


いつも通りだ。


そういうことにしておいた。


――手は離さなかった。


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