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昨日までと、今日の私

「そこの君たち、ちょっといいかな?中学生?」


レストランからの帰り道、突然声をかけられた。


「……」


(やべえ、警察の人)


ノブは反射的に息を止めた。


夜遅い。

中学生。

補導。


頭では分かってるのに、言葉が出ない。


喉の奥が、ひっかかる。


その横で、アキラが一歩、前に出た。


「はい。"私"は時ヶ丘中学の三年で——」


——その瞬間。


ノブは、ほんのわずかに目を見開く。


(……私?)


ただ——


ほんの少しだけ、


距離の測り方が分からなくなる。


「そうか。今回は注意だけにしとくから、もう遅いから早く帰りなさい」


「はい。わかりました」


ノブが少し驚いている横で話が終わり、警察官が離れていく。


「なあ…アキラ」


「なんだ?」


「お前、今“私”って言ってなかったか?」


「あー、うん。先生と話すときとか、大人と話すときはそうしてる。流石に"オレ"はまずいだろ?」


「そうか…」


一拍。


ノブは、それ以上何も言えなかった。


(……そういうもん、か)


「……良かったぞ」


ぽつり、と漏れる。


「は?」


「別に、なんでもねえ」


「そっか」


--------------------


チヒロの部屋。


目覚まし時計の音が鳴る。


ピピピピ……


ゆっくりと目を開ける。


少しだけ目元が重い。

でも、それ以上でもそれ以下でもない。


(……朝か)


天井を見たまま、一度だけ息を吐く。


昨日のことが、ぼんやりと浮かぶ。


ノブ先輩の声。

アキラさんの横顔。

自分の言った言葉。


(ちゃんと、終わったな)


そう思うと、不思議とそれ以上は出てこなかった。


起き上がる。


迷いなくカーテンを開ける。


朝の光が部屋に入る。


まぶしい、というより“普通”。


窓を少しだけ開ける。


冷たい空気が入ってくる。


「……よし!」


小さくそれだけ言って、制服に手を伸ばす。


----


柔剣道場。


(畳の軋む音、掛け声)


いつも通りの朝。


昨日と同じ場所。

でも、何かだけが少し違う。


軽い。


(……あ)


視線の先にノブ先輩がいる。

一瞬だけ胸が動く。


でも、すぐ止まる。


そういえば、昨日いろいろあったな。

それくらいの気持ち。


ノブ先輩が気づいて近づく。


「……おはよう、山下」


少しだけ、声が硬い。


「おはようございます、ノブ先輩」


いつも通りに返す。


昨日よりも自然に。

昨日よりも“普通に”。


あっけないくらいにできてる。


「……昨日、大丈夫だったか?」


「はい。もう大丈夫です」


一拍。


それだけで終わる。


会話は、それ以上続かない。

でも、気まずさはない。

ただ、位置が戻っただけ。


軽く頭を下げる。


「じゃ、私、準備行ってきます」


そのまま、走り出す。


先輩。


昨日のこと、


ちゃんと分かりました。


だから——


これでいいです。


--------------------


教室。


アヤに呼びかけられる。


「ねえ、ノブっち。アキラちゃん、一人称が“私”になってるんだけど、何かあったの?」


「いや? なんもねえよ」


「そっかー」


アヤはそれ以上は追及しなかった。


一拍。


ノブは、少しだけ間を空けてから視線を逸らす。


「……あたしが言っても全然だったのに」


「そうだった。昨日はごめんね」


軽い口調。


「いや…正直助かった」


少しだけ間を置いてから。


「そっか。良かった。じゃ、またねー」


嵐のように去っていく。


一拍。


ノブは、その背中をぼんやりと見送る。


(……なんもねえ、か)


そう言ったはずなのに、


胸の奥に、うまく言葉にならない何かが残る。


(……“私”、か)


小さく息を吐く。


それ以上は、考えなかった。


----------------------


夕日の河川敷。


「……なあノブ」


「ん?」


「お前は、“オレ”と“私”、どっちがいいんだ?」


唐突。


「……ああ」


ノブは少しだけ視線を逸らす。


「どっちでもいいと思うぞ」


間。


アキラはその横顔をじっと見る。


「ふーん」


少しだけ、口元が緩む。


「じゃあさ——」


一歩、距離を詰める。


「ノブくん、“私”のこと好き?」


「なっ……!!」


思わず振り向く。


距離が近い。


「なに急に言い出すんだよ……! それにノブくんって……!」


一瞬、言葉に詰まる。


(あの時の……)


頭をよぎる。


「あー、うん」


アキラは軽く肩をすくめる。


「なんか、やってみたらどう反応するかなって」


くすっと笑う。


「お前、そういうの、反則だって……」


視線を逸らしたまま。


「反則ってなんだよ。どういう意味だよ?」


「……そのままの意味だよ」


一拍。


「普通に言われたら、困るだろ」


「なんで困るんだよ?」


一歩、踏み込む。


(近けえ)


逃げ場がない。


(ああもう……!)


「言えよ」


また、踏み込む。


(……くそ)


ほんの一瞬だけ、間。


気づいたときには、


抱きついていた。


「……は?おまっ」


「……分かっててやってんだろ」


静かだが強い口調。


「……ちげえし、ちょっとからかおうと思っただけで――」


軽く返そうとする。


「お前、俺が抑えてんの知らねえのか……!」


一拍。


「……からかうなよ」


ポツリ。


「は?抑えるってなんだよ――」


ハッとなるアキラ。


(空気が一瞬だけ止まる)


「……」


言いかけて、止める。


「……わりぃ」


「……おう」


ノブはアキラをゆっくりと離す。


距離が戻る。


「……」


アキラの脳裏に、ある言葉が思い浮かぶ。


『それを“気持ちで帳消しにできる”って思ってる時点で、もう対等じゃないの』


(……違う)


一拍。


(違う……はずだ)


なのに、うまく否定できない。


胸の奥が、少しだけざわつく。


アキラは一度だけ、ノブの方を見る。


「そっか」


「ん?」


アキラは少し視線を逸らす。


「……」


ノブも何も言えない。


沈黙だけが戻る。


一拍。


「……帰るか」


「……おう」


歩き出す。


少しだけ距離をあけて。


並ばないまま。


夕日の色だけが、二人の間を埋めていた。


-----------------

朝。


アキラは、いつも通りの時間に家を出る。


玄関を閉めた瞬間、ほんの少しだけ息を吐く。


(……普通に、な)


言い聞かせるみたいに。


家の前。


壁にもたれかかるようにして、ノブが立っている。


「よう、アキラ」


軽く手を上げる。


いつも通り。


……のはずなのに。


(……近い)


距離は変わってない。


でも、なんとなく。


「おはよ、ノブ」


少しだけ間を置いてから、返す。


「いこっか」


「ああ」


歩き出す。


並ぶ。


いつもと同じ並び。


なのに、少しだけぎこちない。


(……なんだこれ)


昨日まで、こんなんじゃなかった。


ふと、肩が触れそうになる。


無意識に、ほんのわずかに距離を取る。


(……何やってんだ、オレ)


逆に意識する。


余計におかしくなる。


その時。


トラックのエンジン音。


「……っ」


一瞬だけ、反応が遅れる。


「危ねえぞ、アキラ」


ぐい、と腕を引かれる。


そのまま、ノブが車道側に出る。


いつもと同じ動き。


完璧に、同じはずなのに。


(……近い)


引かれた腕。


そのままの距離。


さっきよりも、明らかに近い。


離れるタイミングが分からない。


「……ちゃんと前見ろよ」


少しだけ、声が低い。


「……悪い」


小さく返す。


でも、腕はまだ離れていない。


(……離せよ)


(いや、離すなって言えよ)


頭の中で、ぐちゃぐちゃになる。


一拍。


ノブが、ようやく手を離す。


「……」


一瞬だけ、空気が抜ける。


(……なんだよ、これ)


胸の奥が、落ち着かない。


「……どうした?」


ノブが、少しだけ不自然に聞く。


「いや……別に」


目を逸らす。


そのまま、少しだけ間が空く。


「……ありがとな」


ぽつり。


前と同じ言葉。


「……おう」


ノブも、短く返す。


ほんの一瞬だけ、視線が合う。


すぐに逸らす。


さっきまで、触れていた腕。


もう何もないのに。


そこだけ、まだ残ってるみたいで。


(……前から、同じはずなのに)


(……全然、違う)


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