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湯呑とお菓子

廊下。


女子トイレの扉が開く。


アキラが出てくる。

少しだけ早足。


視線を上げた瞬間――


ドン。


男子と肩がぶつかる。


「わりい」


反射で出る声。


「あ……ご、ごめん」


ぶつかった男子が、妙に慌てる。


視線が泳ぐ。


顔。

肩。

――腕。


「何照れてんだよ」


後ろの友人が肘で小突く。


「いや、別に……!」


引きずられるように去っていく。


背中。

笑い声。

ひそひそ声。


アキラは、立ち止まる。

さっき見られた場所に、手をやる。


二の腕。

ブラウス越しの胸。


(……なんだよ)


残っている。

視線が、焼き付いたまま。


(ノブだけじゃ、ねえのかよ)


喉の奥が、少し乾く。


-------


教室。


ノブが、机に肘をついている。

プリントを睨んだまま、


「今日、また来い」


ぽつり。


「は?」


顔を上げるアキラ。

ノブは視線を上げない。


「このままだと、テストやべえ」


言い方はいつも通り。


でも――


どこか、噛み合ってない。


-------

ノブの部屋。


窓は開いている。

風は弱い。


丸テーブル。

教科書。

ノート。


背後に――ベッド。


(……近い)


さっきの廊下が、残っている。


視線。

距離。

感触。


全部。


頭から抜けない。


「ここ、教えてくれ」


ノブが言う。


「すまん」


「……ああ」


座る。


距離が、近い。


意識した瞬間、さらに近くなる。


「ここな。代入――」


言いかけて、止まる。


視線が、合う。


一瞬。


逸らす。


「……ごめん、ノブ」


先に崩したのはアキラだった。


「続けるか」


何事もなかったみたいに言う。

ノブが、息を吐く。


「……ああ」


ペンを持つ。

でも、進まない。


沈黙。


時計の音。

外の風。

全部、やけに大きい。


「アキラ」


呼ぶ。

顔が上がる。


近い。


----


「アキラ」


(……やべえ)


手が動く。

肩に、触れる。


――軽く。


「……っ」


アキラの体が、わずかに揺れる。

逃げるほどじゃない。


でも――


止まるには、十分。

手が止まる。


触れたまま。

動けない。


(……これ)


昨日と同じだ。

違うのは――


今、触れてる。

ゆっくり、手を離す。


「……悪い」


短く。


「……なんで」


アキラの声。

小さい。

でも、止まらない。


「なんでやめんだよ」


(なんだよ、それ…)


----


「なんでやめんだよ」


顔は上げない。

でも、逃げてもいない。


ノブが詰まる。


「アキラ……」


言葉が続かない。


顔を上げる。

視線がぶつかる。

逸らさない。


「……さっきさ」


ぽつり。


「廊下で、ぶつかったやつ」


一拍。


「オレのこと、見てた」


言い切る。


「ノブだけじゃ、ねえんだなって」


笑う。


少しだけ、歪んだ。


「……分かってんだよ」


「オレが、どう見えてるかくらい」


一歩、近づく。

ほんの少し。

でも――決定的に近い。


「だからさ」


息がかかる距離。


「ノブまでやめんなよ」


沈黙。

ノブの喉が鳴る。


「……やめねえよ」


低く。

噛み潰すみたいに。


一歩、近づく。

でも――止まる。

それ以上は、行かない。

距離はほとんど変わらない。


ただ、

逃げていない。


「……やめねえけど」


視線を外さないまま。


「今は、これでいいだろ」


呼吸が、わずかに止まる。


「……なんだよ、それ」


不満そうに。

でも、離れない。

ノブが手を伸ばす。


今度は――


触れない。


ノートの端を、軽く押さえる。


「ほら」


ペンで、トントンと叩く。


「続き」


瞬く。


アキラはノートを見る。

それから、

小さく息を吐く。


「……逃げてねえな」


ぼそっと。


ノブが肩をすくめる。


「言ったろ」


「逃げねえって」


視線が重なる。


一瞬だけ、


距離が、曖昧になる。


ノブの指先がノートに触れたまま止まる。


アキラの息が、かすかに頬にかかる。


ふわっと、カーテンが揺れた。


――


トントン。


現実に引き戻すみたいな音。


「っ!」


ノブが弾かれるように身を引く。


座椅子が、ガタンと鳴る。


半歩。


いや、それ以上。


距離を取る。


アキラも、反射的に背筋を伸ばす。


そのまま、


逃げるみたいにノートへ視線を落とした。


ガラッ。


「はいお茶~」


ノブ母が入ってくる。

何も知らない顔で。


「ほら休憩しなさい。根詰めても頭に入らないわよ?」


机に、湯呑みと菓子を置く。

視線がアキラへ。


「彼女さん、可愛いじゃない」


バンバン!


ノブの背中を叩く。


「アンタにゃもったいないわね」


「かーちゃん……」


嵐みたいに去る。

パタン。


沈黙。


湯気の立つ湯呑み。

机の上の菓子。


「……彼女って」


アキラがぽつり。

ノブ、固まる。


「ちげえって言えよ」


小さく。


でも――


さっきより、弱い。

ノブが頭をかく。


「……いちいち訂正すんの、面倒なんだよ」


雑に返す。


湯呑みの湯気が、ゆらぐ。


「……それに」


一瞬の間。


ノブの喉が、わずかに鳴る。


「……間違ってねえだろ、別に」


目は逸らしたまま。


でも――

さっきより、少しだけ低い。


沈黙。


アキラの指が、わずかに止まる。

湯呑みに触れたまま。


「……ふーん」


口をつける。

一口。


湯気が、頬にかかる。


「……そっかよ」


小さく。


でも――

さっきより、少しだけ柔らかい。


ノブ、気づく。


(……なんだよ、それ)


言わない。

言えない。


-----


中間テスト最終日。


最後のチャイムが鳴る。

ざわつく教室。


ノブは、そのまま机に突っ伏した。


「……終わった」


「まだ採点もされてねーだろ」


横からアキラ。


「そういう意味じゃねえ……」


顔も上げないまま。


「……全部、飛んだ」

「は?」

「お前のせいで」

「はぁ!?」


アキラが身を乗り出す。


「オレのせいかよ!?」

「試験中、ずっと近えんだよ……」


ぼそっと。


「集中できるか」


一瞬の間。


アキラが止まる。


「……は?」

「は、じゃねえよ」


ノブは顔を上げない。

耳だけ、赤い。


一拍。


アキラが、ぷっと息を吐く。


「……バカじゃねえの」


小さく笑う。


でも――


ちょっとだけ、声が柔らかい。


「そういやさ」


何でもない風に続ける。


「かーちゃんが、また来いってよ」


「……ふーん」


ノブが、わずかに顔を上げる。

アキラは、視線を逸らしたまま。


「……そっか」


一拍。


「しかたねーな」


わざとらしく、肩をすくめる。


「お前の“彼女”だしな」


ノブ、固まる。


次の瞬間――


「……っ!」


一気に顔が赤くなる。


「ノブ」


アキラが、少しだけ身を乗り出す。


さっきと同じ距離。


でも――


今度は、逃げない。


「逃げんなよ?」


「はぁ!?」


反射で返す。


でも、


今度は視線を逸らさない。


「逃げねーし!」


教室のざわめきが戻る。

誰かの笑い声。


窓から入る初夏の風。

距離は、変わらない。


でも――


昨日とは、少しだけ違う。

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