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不可逆の恒等式

翌朝。

まだ人の少ない通学路。

朝の光が低く差し込んで、アスファルトを白く照らしている。


ノブは、アキラの家の前に立っていた。


少しして、ドアが開く。


「……おはよ」


顔色は、昨日よりはマシ。

でも、完全じゃないのは一目で分かる。


「よお」


短く返す。


一瞬、間が空く。

風が、通り抜ける。


「……昨日は、ごめん」


アキラが言う。

視線は、少しだけ逸れている。


「いや、仕方ねえだろ」


ノブは即答する。

間を置かない。


でも――


アキラは首を振る。


「そうじゃなくて」


言葉を探す。


「オレさ……」


視線を落とす。


「なんか……」


一瞬、詰まる。


「ノブに、変なことばっかさせてる気がして」


「……」


「まだ、今まで通りでいけるって思ってたんだよ」


小さく笑う。


「バカみたいだけど」


一拍。


「でも、なんか……だんだん分かってきてさ」


少しだけ、間。


「これ以上、もう……戻れねえんだなって」


「……」


「……それで、昨日」


喉が詰まる。


「近づかれた瞬間、勝手に体が反応して」


「……っ」


「拒絶してた」


息を吐く。


「ほんとは、違うのに」


小さく。


「だから……ごめん」


落ちる声。


ノブは、少しだけ黙る。


視線を外す。

電柱。

足元。


それから――


「謝るなよ」


ぽつり。


一拍。


「……俺も、昨日ちょっとビビったし」


アキラが、わずかに顔を上げる。


「背負ったときさ」


言葉を探す。


「軽くて」


それだけ言って、止まる。


沈黙。


「……なんか、変な感じだった」


飾りのない言葉。


アキラは、何も言わない。

ただ、聞いている。


ノブは、息を吐く。


「でも」


一拍。


「それで離すの、なんか違う気がした」


それだけ。


言い切らない。

でも――引かない。


「……ノブ」


小さく呼ぶ。


ノブは、肩をすくめる。


「一人で勝手に決めんなよ」


ぶっきらぼうに。


「迷惑とか」


「そういうの、俺が決める」


視線を合わせる。

逃げない。


「お前は、気にすんな」


言い方は雑なのに、芯はぶれない。


アキラは、少しだけ目を見開く。


それから――


クスッと笑う。


ふう、と息を吐く。


「……ありがと」


今度は、ちゃんとした声。


ノブはそっぽを向く。


「……別に」


耳だけ、少し赤い。


「ほら、行くぞ」


歩き出す。

少し前を。


アキラは、一拍遅れてついていく。


-------


校門。


今日も、ノブとアキラが並んで歩いてくる。


昨日より――

ほんの少しだけ、近い。


「よかった」


チヒロは、小さく息を吐く。


胸の奥に引っかかったものを、

そっと押し込めるみたいに。


それでも、笑う。

いつも通りに。


「ノブヒロ。良かったじゃねえか」


マサハルが腕を組んでうなずく。


「どうやら俺のアドバイスが効いたみてえだな」


「……そういうもんなのか?」


「そういうもんだ」


即答。


その後ろで、


「ふむ?」


チハルが首を傾げる。


くん、と鼻を鳴らす。


視線が――アキラに止まる。


一瞬だけ。


瞳の色が、変わる。


「……妙じゃな」


ぽつり。


「呪いか……?」


少し考えて、


「まあ、どちらでもよいか」


ふっと笑う。


「人の子は、実に面白い」


何事もなかったかのように、

マサハルの隣へ戻る。


----


教室。


教卓に立った担任が、こほんと咳払いをする。


「お前ら。もう知っていると思うが、来週は中間テストだ」


教室がざわつく。


「テスト範囲な。前から配るから後ろに回せ」


プリントの束が回りはじめる。


えー、とか、マジかよ、と不満の声。


前から回ってきた束を受け取るノブ。


一枚抜き取り、目を落とす。


「……範囲、広すぎだろ」


顔をしかめる。


そのまま、後ろへ回す。


受け取ったアキラが、くすりと笑う。


「今日、オレが教えてやるよ」


軽く言う。


当たり前みたいに。


「助かる」


ノブは即答する。


本当に、そう思った。


------


ノブの部屋。


窓は開いているが、風は弱い。


机の上には、教科書とノート。


アキラの字は、やけに整っている。


「……ここ、代入するだけだろ」


「……あー、おう」


(近い)


「分かってねえな。ほら、ここ」


顔が、近づく。


(近いって)


「手貸せ。こうだって」


指が、触れかける。


(無理だろこれ)


「すまん!トイレ!」


逃げる。


アキラが帰ったあと。


ベッドに倒れ込む。


「はあ……」


天井を見上げる。


「……なんだよ、これ」


呼吸を整える。


ふと。


「……いい匂い、すんな……」


言ってから、


自分で固まる。


沈黙。


「――は?」


跳ね起きる。


「いやいやいやいや!!」


顔を覆う。


「……逃げねえって言ったけど」


吐き出す。


「……限度あるだろ」


------


翌日。


「おはよノブ!」


「……よお」


「なんか元気ねえな」


額に触れようとする。


「近え!」


一歩引く。


その分、


アキラが一歩詰める。


「なんでだよ!?」


距離が、噛み合わない。


-----


校門。


「……あいつら、昨日より離れてねえか?」


マサハルが呟く。


「ふむ。痴話喧嘩かの」


チハルが頷く。


そこへ。


「ねえ」


ユズハ。


ノブの隣に立つ。


静かに、距離を詰める。


耳元で、


「何やってるの?」


囁く。


「アキラくん――触れてほしそうよ」


火花が走った。


「……っ」


弾かれたようにノブが振り向く。

視線の先。


アキラ。


目が、合う。

胸の奥が、ざわつく。

理由は分からない。


アキラが歩き出す。

アスファルトを叩くローファーの音が、やけに鋭く響く。

速い。

一直線に。


ノブの腕を掴む。


「……」


引く。


でも――


止まる。

一歩、近づく。

真正面。

逃げ場のない距離。


「……なんで」


声が、震える。


「なんで逃げんだよ」


「逃げてねえ」


「嘘つくなよ」


さらに一歩。

距離が、消える。


「昨日は……」


言葉が詰まる。


「昨日は、普通だったじゃねえか」


沈黙。

校舎の影がゆっくりと伸び、二人の足元を浸していく。


「……なんで今日は」


息が乱れる。


「触ってくんねえんだよ」


ぽた。

涙が落ちる。

地面に小さな染み。


「……あれ」


自分でも分からない。

拭う。

でも、止まらない。


「違ぇのに」


何が違うのかも、分からないまま。


「……っ」


ノブが動く。

一歩。

自分から、詰める。

その境界線を。


「……逃げてねえよ」


低く。


「逃げてねえけど」


迷う。

でも、止まらない。


「……触ったら」


息を飲む。


「止まんなくなる気がしてんだよ」


空気が、止まる。

ノブの手が、震える。握る。


それでも――

今度は、止めない。


アキラの腕を掴む。

はっきりと。


「だから、やめてただけだ」


一拍。


遠くでチャイムが鳴る。


アキラの呼吸が乱れている。

涙が、止まらない。


ノブの手が、迷う。


触れるか。

やめるか。


一瞬。


――引き寄せる。


強くはない。

でも、


逃がさない距離。


「……悪い」


小さく落ちる。

アキラの体が、一瞬固まる。

ぬるい風が、髪を揺らす。


でも――


離れない。

少しずつ、力が抜ける。


額が、シャツの胸元に触れる。

アキラの呼吸が、戻っていく。

でも。

心臓の音だけが、うるさい。


(……終わったな、これ)


ノブの中で、

何かが決定的に変わる。


「うむ」


遠くで、チハル。

満足げに目を細める。


「それで良いのじゃ」

「……うるせえ!!」

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