焦げ付く心と浮かばない献立
ノブは今日も購買部に並んでいた。
いつものパンを手に取る。
隣で、アキラは何も買わない。
手には母ユキの弁当。
そのとき――
「ノブくん」
柔らかい声。
ノブが振り向く。
長い髪が、ふわりと揺れた。
「……ん?」
一瞬だけ首をひねる。
すぐに思い出したように、
「ああ……皆川か」
「どうした?」
視線が、自然と下に落ちる。
彼女の手元。
小さな布の包み。
すぐに逸らす。
「今日、私……」
少しだけ間を置いて、
「ノブくんに、お弁当作ってきたんです」
「は?」
間の抜けた声。
「よかったら、食べてくれませんか?」
まっすぐな視線。
断る理由が、思い浮かばない。
「……あー、まあ……いいけど」
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教室。
包みを開く。
整った色合い。
「……うまそう」
一口。
「うまっ!」
思わず声が出る。
「マジで?」
横から覗き込んでいたアキラが、箸を伸ばす。
「ちょ、勝手に――」
「……ん」
「うまっ」
短く言う。
ユズハが、ほっと息をつく。
「えへっ……よかった」
ほんの少しだけ、頬が緩む。
ノブはもう一口食べる。
「これ、普通にすげえな」
「ありがとうございます」
少しだけ視線を落として、
でもすぐに顔を上げる。
「ノブくん」
「ん?」
「……昔みたいに、“ユズハ”って呼んでくれませんか?」
空気が、ほんの少しだけ止まる。
「あの頃みたいに」
ノブは一瞬だけ言葉に詰まる。
「……お、おう」
ぎこちなく頷く。
その横で――
アキラは何も言わない。
ただ、もう一度だけ弁当を見た。
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教室。
遠くを見つめるアキラ。
「ノブのヤツ……」
「やっぱ、髪長いほうが好きなのかな…」
前髪をいじる。
溜息。
ふと、さっきの光景がよぎる。
――「うまっ!」
嬉しそうに笑うノブ。
それを見て、少し照れていたユズハ。
「……」
胸の奥が、チクっとする。
「オレ、ノブとの信頼関係でしか成り立ってねえ」
ぽつり。
視線が、自分の手に落ちる。
(オレ、あいつに何かしてやれてるか…?)
思い出す。
ノブが五十嵐と話をして凹んでいた日。
なぜか自分からノブにキスしてしまった事。
「~~~っ!!!」
机に突っ伏す。足バタバタ。
だめだ。
このままじゃ。
「はっ!料理教室、とか……通えばいいのか?」
ガバッと起き上がる。
でも――
「……いや」
少しだけ、手が止まる。
「それって、対抗してるだけじゃねえのか…?」
言ってから、自分でぐらつく。
また机に突っ伏す。
(……じゃあ、どうすりゃいいんだよ)
アヤがしれっと見ていて、ついに吹き出してしまう。
「ぷっははは」
「アキラちゃん。アンタさっきからなにやってんの?」
「んなっ……!!見てるなら早く言えよ!!!」
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「あ~皆川さんねぇ。あの子女子力高いもんね~」
「女子力……」
「あの髪とか長いのにツヤツヤだしね~」
「ツヤツヤ……」
「料理もめっちゃうまいしね~」
「っ……!!」
ぐさぐさ刺さるアキラ。
アヤ、ちょっとだけニヤッとして――
「でもさ」
「ん?」
「別に“勝とうとしてる顔”じゃないよね、今のアンタ」
「……え?」
一瞬、止まる。
「なんか、“置いてかれそうで焦ってる顔”」
ズバッ。
「――っ」
言葉に詰まるアキラ。
でもアヤはすぐいつもの調子に戻る。
「ま、料理か~習いに行けばいいじゃん。あんた器用だし」
ポチポチとスマホをいじりはじめる。
「お、あった!駅前にあるビルでやってるみたいよ。行ってみたら?」
「ほんとか?!」
さっきの言葉、少し引っかかりながらも食いつくアキラ。
「よし、そうと決まったらまずはエプロン買いに行くわよ!」
「いや、それは別にお母さんの借りればいいだろ?」
「だめよ!女の子ならマイエプロンくらい持ってないと!」
「はあああ?!」
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「初めてとは思えませんね、上手ですよ」
アキラは駅前の料理教室に通っていた。
先生の言葉に、周りの女子も「すごい」と声を上げる。
「ほんとだ、きれいに切れてる」
「センスあるね」
「……そっか」
アキラは、小さく頷いた。
確かにできている。
手も、迷わない。
(……これでいい)
そう思ったはずなのに。
気づけば、ここにいる。
包丁を握って、
エプロンなんかつけて。
(オレ、何やってんだろ)
答えは、分かってる。
――「うまっ!」
あの顔だ。
「……っ」
嬉しそうに笑っていた顔。
あの時、ノブが見ていたのは――
(料理、か?)
それとも。
(作った“誰か”か……?)
手が、少しだけ止まる。
ぽつりと、独り言みたいに呟く。
「オレ、どっちで見られてんだろうな……」
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自宅。
鏡の前。
前髪をつまんで、持ち上げる。
「……伸びたな」
少し横に流してみる。
結べるかどうか、指で試す。
そのとき、ふと――
「……何やってんだ、オレ」
手を離す。
髪が元の位置に戻る。
少しだけ、安心したように息を吐く。
(……これでいい)
(これくらいで、いい)
一瞬の“納得”。
でも――
――「ツヤツヤだしね~」
――「女子力高いもんね~」
「……っ」
ぐしゃっと前髪をかき乱す。
さっき整えかけた形を、わざと崩すみたいに。
「ちげえだろ……そういうんじゃ」
でも。
(……ノブ、どう思うんだろ)
その考えが浮かんだ瞬間、
ぐっと唇を噛んだ。
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休日。
料理教室。
アキラは先生から中級へ行ったほうが良いと言われ、別の教室へと案内された。
そこには―。
「アキラさん?!」
「は?」
顔を上げる。
そこにいたのは――
「……チヒロちゃん?」
一瞬、言葉が止まる。
(なんでここに――)
いいかけて止める。
いや、そうだよな。こういうところ来るよな。
女の子だしな。
「アキラさん、料理まで勉強してたなんて、偉いです!」
「……別に」
思ったより、素っ気ない声が出た。
胸の奥が、チクチクする。
(偉い、ってなんだよ)
(オレは――)
言葉が、出てこない。
(……なんで、ここにいるんだっけ)
分かってるはずなのに。
うまく、言葉にならない。
ただ――
ノブの顔だけが、浮かぶ。
楽しそうに笑ってた顔。
あのとき、
隣にいたのは――
(……オレじゃ、なくてもよかったのか?)
「――っ」
小さく、息が詰まる。
チヒロが自然にエプロンの紐を結び直す。
「アキラさん、ここ、こうするとほどけにくいですよ」
手際がいい。
「アキラさん、すごいですね」
チヒロが素直に言う。
「包丁の使い方、綺麗です」
「……別に」
短く返す。
でも。
チヒロは気にした様子もなく、
「ノブ先輩も、こういうの好きそうですよね」
自然に言う。
「……」
手が止まる。
「先輩、ああ見えて、ちゃんと見てるから」
にこっと笑う。
押しつけじゃない。
ただ、知ってることを言っただけ。
「私、先輩がアキラさんといるとき、好きなんです」
「……は?」
「楽しそうだから」
にこっと笑う。
「そういう顔、してほしいなって」
「……そっか」
そう返して、
もう一度、包丁を握る。
でも。
さっきまでみたいに、うまく動かない。
トン、
トン、
……トン。
リズムが、少しだけ狂う。
「……あれ?」
チヒロが首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「……なんでもねえ」
笑おうとして、
少しだけ、引きつった。
(……このままじゃ、だめだ)
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いつもの学校帰り。
「……なあノブ」
ぽつりと、アキラが言う。
「オレ、このままでいいのか?」
「は?」
「だってさ」
視線を落とす。
「オレ…中途半端だし…。口調もこんなんだし」
「……将来とか、さ」
「お前…まだ五十嵐のこと引きずってんのか?」
言葉が途切れる。
「お前…、困んねえのかよ」
立ち止まる。
少しの沈黙。
ノブは、頭を掻いた。
「……困るかどうかで言うなら」
少しだけ、言葉を探すように間が空く。
「困んねえよ」
ドクン、と胸が鳴る。
「無理すんなよ。だってお前はお前だろ?」
ノブはすっと前を向いて、また歩きはじめる。
それに続く。
「お前が変わるなら、それはお前が決めたときでいい」
「……」
ノブはチラリとこちら見る。
また視線を前に戻す。
「お前はちゃんと戦ってる。俺は、お前のこと目ぇそらさず見てるぞ」
「……」
ほんの少しだけ、足が止まりかける。
頭を振る。
「明日―」
「ん?」
飲み込む。
言い直す。
「……明日の、お前の弁当、作ってやるから」
「……は?」
ノブは思わず、変な声が出る。
「なんでそうなるんだよ?」
小さく、笑う。
「別に。いいだろ」
ほんの少しだけ、視線を逸らす。
「オレだって少しは……」
そこで言葉が途切れる。
「……できるし」
「……そっか」
ノブは、それ以上なにも言わず、ただ隣を歩いた。
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朝。
まだ少し暗いキッチン。
トントン、と包丁の音。
「あら」
ユキが顔を出す。
「アーちゃん、偉いわね」
「そうか?」
アキラは手を止めない。
「オレももう中三だし」
まるで、当たり前だろと言いたげに。
フライパンの音。
湯気。
手際は、もう迷いがない。
ユキはふっと目を細める。
「ふーん」
ちらりと、横を見る。
二つの弁当箱。
「……そっち、大きいわね」
「――っ」
ほんの一瞬、動きが止まる。
「……まあ」
ぶっきらぼうに返す。
「食うだろ、あいつ」
視線は逸らしたまま。
ユキはくすっと笑う。
「ちょっとお野菜足りないかしら」
冷凍庫を開ける。
少し選んで、
カサリと袋を差し出す。
「ブロッコリー、あるわよ」
「……ん」
少しだけ、素直に受け取る。
「サンキュー。"母さん"」
ぽつり。
ユキが、ほんの一瞬だけ目を細める。
ふと、もう一つの弁当箱に目をやる。




