観測者と神
大森チサは、今日も校門の影からノブとアキラの登校を眺めていた。
胸の奥が、もやもやと落ち着かない。
小学校の頃から、アキラのことは気になっていた。
同じクラスになったこともある。
――でも。
先日、アキラが女子制服を着て登校してきたあの日。
あれで、何かが完全に振り切れた。
女子制服になったアキラは、あまりにも――
素敵だった。
飾らない無邪気な笑顔。
制服の隙間からのぞく、透き通るような肌。
そして、ときおり混じる男の子っぽい仕草。
その全部が、チサの心を鷲掴みにして離さない。
(……かわいい)
思わず、ぎゅっと胸を押さえる。
だが、そこで一つの疑問が浮かぶ。
――女が、女を好きになっていいのだろうか?
「……」
ほんの一瞬、思考が止まる。
(いいえ、違うわ!)
勢いよく首を振る。
(アキラくんは男の子。つまり――)
――何も問題はない!!!
チサはぐっと拳を握りしめた。
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チサは今日も、せっせと隠し撮りした写真を拡大コピーして、ベッド脇の壁に貼り付ける。
「はあん……♥ 今日のアキラくんも可愛かったな……」
壁一面に並ぶのは、笑った顔、困った顔、少しだけ照れた顔。
どれも、ほんの一瞬の切り取り。
誰も気づかないような仕草ばかりだ。
そしてノートPCを開く。
画面には、
――『アキラくんを応援する会』
今日の写真をアップロードし、簡単なコメントを添える。
「ヨシッ」
満足げに頷く。
チサ自身は、直接アキラに近づくことはできない。
そんな勇気はない。
だから――見るだけ。
記録するだけ。
それでいい、はずだった。
(……でも)
ほんの少しだけ、胸がざわつく。
ノブの隣にいるアキラ。
自然に笑って、自然に話して。
あの距離。
(……ずるいな)
ぽつりと、誰にも聞こえない声がこぼれた。
―ピロン。
スマホから、聞き慣れた電子音。
アヤからだ。
松田アヤ。中学からの知り合い。
最初は――正直に言えば。
(アキラくんにまとわりつく虫)
そう思っていた。
距離が近い。
遠慮がない。
ずけずけ踏み込んでくる。
(……なんなの、この人)
何度思ったか分からない。
けれど――
今は違う。
認めざるを得ない。
なぜなら。
この女は――
"分かっている"。
何を見せていいのか。
何を見せてはいけないのか。
どこまでが"共有"で、どこからが"侵してはいけない領域"なのか。
その全部を、感覚で理解している。
そして。
必要なものだけを、的確に――投げてくる。
――ピロン。
===============
アヤ:
見て!昨日のアキラちゃん
(写真)
===============
「――っ!!」
飛び跳ねる心臓。
===============
アヤ:
ついにアキラちゃん水着を着てくれたんだよ
どう?褒めて褒めて
チサ:
もう、さすがですアヤさん!GJ!!
===============
はあぁ……水着。
タンキニから覗くアキラくんの鎖骨……聖域すぎる。
そしてこの、照れて赤くなって嫌そうな顔……。
「~~~~っ!!!」
思わず枕に顔を埋める。
しばらく足をばたつかせてから、はっと我に返る。
「……いけない」
小さく呟く。
この写真は――特別だ。
アヤから送られてくるものの中でも、明らかに"ライン"がある。
これは、その内側。
「これは……載せちゃダメなやつ」
マウスを持つ手が、ぴたりと止まる。
誰にも見せたくない。
――いや、違う。
見せてはいけない。
アキラくんの、あの一瞬の顔は。
みんなで消費していいものじゃない。
ゆっくりとウィンドウを閉じる。
「……ふぅ」
その代わりに、別の写真を選ぶ。
少し笑ってるやつ。
誰が見ても"かわいい"って言えるやつ。
それをアップロードして、いつものようにコメントを添える。
「今日も尊い」
エンターキーを押す。
画面の向こうには、同じようにざわつく"仲間たち"。
でも――
さっきの写真だけは、ここには出さない。
(これは……私だけの)
ほんの少しだけ、独占欲が胸に灯る。
すぐに、それを振り払うように首を振った。
「……違う違う」
私は“観測者”。
それ以上でも、それ以下でもない。
そう、自分に言い聞かせる。
――今は、まだ。
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休み時間。
「なあ田中」
男子の一人がスマホを見せてくる。
「これ知ってる?」
「は?」
画面には――
見覚えのある後ろ姿。
「……これ」
「最近ちょっと話題なんだよ。"例の子"って」
ノブの眉が、ぴくりと動く。
スクロールする。
写真の中のアキラ。
笑ってる顔。横顔。歩いてる姿。
どれも――妙に距離が近い。
(……誰だよ、こんなの撮ってんの)
指が止まる。
投稿者名。
――知らないアカウント。
だが。
(……こいつ、ずっと見てるな)
そこへアキラがスカートを翻しながら近づいてくる。
「え?なにそれ」
「いや、だからこれ――」
スマホを覗き込む。
「……は?」
一瞬で顔が引く。
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「なあ、大森」
放課後。
誰もいない教室。
チサがびくっと肩を震わせる。
「これ、お前だろ」
ノブが差し出したスマホ。
そこには――
自分のアカウント。
そして、アキラの写真。
(終わった)
血の気が引く。
「ち、ちがうの!ノブヒロくん、これはその……!」
言い訳が、うまく出てこない。
(違わない!完全に私だし!)
頭の中で自分にツッコミを入れてる余裕すらない。
ノブは黙ったまま、チサを見る。
怒っている、というより――
どう扱うか測っている目だった。
そのとき。
――ガラッ。
「ノブ、今日寄りたいとこあんだけどさ――」
アキラが入ってくる。
二人を見て、足を止める。
「……?」
「ノブ?それに……大森か。どうした?」
チサの心臓が跳ねる。
(無理無理無理無理)
終わりだ。
完全に終わった。
ノブが口を開こうとした、その瞬間――
「ノブ、お前チサのこといじめてんじゃねーだろうな?」
アキラが、軽く言う。
一瞬、空気が止まる。
「……は?」
ノブが眉をひそめる。
チサも、ぽかんとする。
「だって顔真っ青じゃねえか」
アキラはチサの顔を覗き込む。
距離が近い。
「おい大森、大丈夫か?」
(近い近い近い近い!!!)
チサの脳内が爆発する。
「だ、だだだ大丈夫!!なんでもない!!!」
勢いよく首を振る。
「そうか?」
アキラは少し不思議そうにするが、深くは追わない。
そのまま、ノブのスマホに視線を落とす。
「それ、何見てたんだ?」
ノブが一瞬だけ迷う。
けど、隠すタイプでもない。
そのまま画面を見せる。
「……これだ」
アキラが覗き込む。
「……あー」
一拍。
「これ、オレじゃん」
チサ、死亡(精神的に)
「へえ」
アキラは特に動じない。
「よく撮れてんな」
「!?」
チサの思考が停止する。
ノブも、わずかに目を見開く。
「え、いいのかよ」
「ん?」
アキラは首を傾げる。
「いや別に。変なことに使ってねーならよくね?」
さらっと言う。
チサ、完全に処理落ち。
「……だ、だめ!!これはダメなの!!!」
突然叫ぶ。
二人がびくっとする。
「え?」
「これは、その……その……!」
顔を真っ赤にして、言葉を探す。
「これは神聖な観察記録であって!!一般公開用のやつとは違って!!!」
「なに言ってんだお前」
ノブが真顔で返す。
アキラは、数秒考えてから――
「……まあ、大森が悪いやつじゃねえのは知ってるし」
ぽり、と頬をかく。
「変なことしなきゃ、別にいいぞ」
ニコリと一言。
チサの世界が、救われる。
「……っ」
言葉が出ない。
(この人……神なの……?)
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部屋。
鍵をかける。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!」
ベッドにダイブ。
「無理!!!!」
思い出す。
全部。
「“よく撮れてんな”ってなに!?」
バタバタ。
「許されたの!?なんで!?」
転がる。
「近い!!顔近い!!!」
ゴン。
ベッドの柱に頭をぶつける。
「痛っ!」
止まらない。
「はああああああああああああああああ!!!」
天井を見上げて、両手で顔を覆う。
(終わったと思ったのに……)
指の隙間から、じわじわと熱がこみ上げる。
(なにあれ……ずるいでしょ……)
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しばらくして、もぞもぞと起き上がる。
机の上のノートPCに視線を向ける。
ゆっくりと、開く。
画面に映る「アキラくんを応援する会」。
少しだけ迷ってから――
キーボードに手を置く。
カタ、カタ、と音が鳴る。
『本日、対象との距離が過去最短を記録』
一度止まる。
そして、深く息を吸って――
『尊さにより心拍数が異常上昇。生存確認済み』
Enterキーを押す。
「……よし」
満足げに頷いたあと、
再びベッドに倒れ込んだ。
「むり……好き……」
小さく呟いて、また足をバタバタさせた。




