二十節:尋問<信じる意味>
開口一番でミハイルがラシードに訊いたことは、傍から見れば文化研究の一環のようだった。
「ハハ、ミハイル殿。バスティン国教は密教などではない。信じる者全てに開かれた教えだ」
和やかな雰囲気の中で、思わず何を聞かれるのかと一瞬身構えたラシードの口が綻びた。
「それに、このルベンカ帝国に我が国からの民が流れ着いているのであれば、バスティン国教のこともご存知では?なぜなら国民は皆、『国教を熱心に信仰している』と聞いているからな」
「残念ながら彼らは敬虔なバスティン国教徒、というわけではありませんでした。厳しい戒律、祈りの言葉の聞き慣れなさ、諸々の事情から信仰する人間は然程多くないようです」
「何?」
意想外なミハイルの答えに、整った眉がピクリと動いた。
「そんな馬鹿な。父上からはそう聞いたのだが。おい、カミール。祈りの言葉、『降臨の節』を暗誦してみせよ」
カミールと呼ばれたバスティン出身のアサシンがしどろもどろになる。
「えっ!?えーっと確か……ふんぐるー……えー、その――」
「もうよい」と、ラシードは手で突っぱねる仕草をする。
「では、ジャファル。唱えてみよ」
髭面が目立つ大男は少しの間を開けて口を開いた。
「――ふんぐるい、むぐるうなふ、くとぅるう、るるいえ、うがふなぐる、ふたぐん。最初の一説だけですが、如何でございましょう?」
「フム、上出来だ。やれやれカミールよ。バスティン国民たるもの、この初歩的かつ重要な言葉すら覚えられぬとは見損なったぞ」
ラシードの叱責に顔をしかめたカミールは、隣に座っていたジャファルの手を円卓の下から掴み上げた。
死角に隠れていたため遠目では見えなかった彼の手には、何か書かれた巻物が広がっていた。
「貴様、聖典を隠し見ていたな!神罰よりも、この私の怒りを怖れたか!?」
カミールへの譴責よりも激しい口調でラシードは怒鳴りつける。部下を信じた自分、それよりも彼が何より尊ぶ神への侮辱だと感じたからだ。
「抑えてください、ラシード殿。彼ら二人のような人間が、一般的なバスティン国教への認識なのです」
ミハイルの隣で経典を聞いた俺は聞き慣れない言葉のはずなのに、そうではない心地を覚えた。
ラヴクラフトの『クトゥルフ神話』だと分かる人間は、きっとこの世界の人間にはいない。
だが、なぜ『クトゥルフ神話』がバスティン朝に広まっているんだろう?
当たり前に浮かぶ疑問だが、ラシードの凄まじい剣幕を刺激する理由は無い。
まずはミハイルが宥めてから尋問の本質を知るのが先だろう。
「ラシード殿、バスティン国教の浸透が少ないのはいわばチャンスです。広めるべき素晴らしい教えならば、ここはそのチャンスの一つと言えましょう」
あからさまな宥和ではあるが、単純な言葉とはいえラシードの顔は落ち着きを取り戻したようだ。
「――フッ、そのような言葉だけで冷静になれるとはな。その口車、乗ってやろう。それで、聞きたいことは何かな?」
「その意気ですよ。今こそ、私も興味を惹かれるバスティン国教の真意を教えていただきたいのです」
分かりやすくミハイルはおだててみせる。それに呼応してラシードは鼻息荒く御高説する。
「我が国の教えとは、即ち世界全ての等しき平和を願うものである」
「というと?」
「宇宙の外から世界を見つめる神が降臨して、世界を平和に導いてくださる。国教の聖典にはそう記されているのだ」
宗教を語るラシードの目が徐々に妖しくなる。現実世界でも、大昔の土着信仰は麻薬や覚醒剤で「良い気分に」なって神との対話だとか啓示を求めたと言われる。
彼にしてみれば、宗教を語るだけでそんな方向でハイになっているのかもしれない。どんだけ宗教狂いなんだ。
「ところで、神が人の目に見えるよう顕現するには、現実世界に降臨するには何が必要だと思う?」
ラシードは気分が高まってきたところで、問いかけてみせる。
「さぁ、見当がつかないわけではないのですが。もしかして、大掛かりな儀式でもするのですか?」
期待した答えではないが、それでも熱心な邪教徒は異性を口説くときの不自然な優しさで答えた。
「フフフッ、残念賞。正解は、『信仰心』だ。私一人だけが熱心に信じても神は降臨されないのだ。より多くの人間が信仰することで、神はこの世界をお救いになる。より多くの国を併合し、教えを広めれば信仰心は高まる。そうだろう?」
同意を求めない問いかけをしてからラシードは続ける。
「神とは、信仰心こそ力の源。だから教えを広めるために『私達は』戦ってきたんだ。だが……」
言いかけたところで、悔しさがこみ上げてきたようだ。ラシードが唇を噛む。
「そうではなかったのですね。貴方が戦う理由と、貴方以外の彼らが戦う理由が」
「いかにも。我がアサシン隊のあの有様だ。私に伝えられた戦う理由と、彼らに伝えられたものは異なるものに他ならない。先程の体たらくで確信した」
ふぅっと息をついたラシードの目は、宗教を語っていたときの据わったものではなくなっていた。
ただ物悲しげに、なんとなく、信仰への疑念が浮かびつつあった。




