十節:幽霊なんかこわくない
――家に着いたのはいいが、鍵が必要ではないか。
今の俺にはエルガー老師が見繕った服以外、何も持っていない。
あぁ、そうだ。こういうアイテムってシステムウィンドウに表示されるものだよな。
思い出したようにアイテム欄を開く。ビンゴ、文字通りのキーアイテムが表示されていた。
手元に鍵を呼び出し、正面口の鍵穴を回す。だが開かない。
もう一度回すことで解錠された。鍵をかけ忘れたのか、それとも俺以外の闖入者が紛れ込んでいるのか。
勢い良くドアを開けるが、不思議な様子は見られない。
……見られないのだが、不思議な人間が玄関に広がる大広間の床を掃除していた。
「おや?おかえりなさい。お早いお帰りで」
その少女は、さも平然と長年住み続けた住人の様子で声を掛けてきた。
「……誰だアンタ」
「やだなぁ、この豪邸はワタクシがいなければ散らかり放題ですよ?」
少女は、ややはにかみながら人差し指で頭を掻いた。
「掃除婦も、メイドも雇った覚えはないが」
ジャージを履き、白いタンクトップを着た少女は、ふむ、とわざとらしく呟いて答える。
「ここの誓約書、よく見ませんでした?」
「誓約書?」
「はい。ここに住むにあたっての誓約書です」
ここ、借家だったのか……
「いえ、借家ではありません。土地から建屋に至るまで、ご主人のものでございますよ。ワタクシ含めて」
声に出したつもりは無いが、心を見透かされたようだ。
「読心術ですよ、ご主人。誓約書はここに。ほら、この文面」
彼女の掌から、一枚の紙が焼失から巻き戻されたように現れた。
呆気にとられていると、ちょっとした魔法です、と微笑みながら誓約書を手渡された。
文面は次のとおりだ。
<<「ルベンカ慰霊碑跡地」における、住宅建築に関するご誓約>>
一、この度の住宅建築(以下、「本件」とする)において、ご契約者様(以下、「甲」とする)は本誓約への同意を以て本件を執り行うこととする。
一、甲は本誓約書の署名を以て、本誓約への同意とする。
一、本件において有する土地(以下、「私有地」とする)は、全て甲が無償にて私有する。
一、甲は本件において、建築上の不具合以外ではあらゆる訴訟をできないものとする。
一、私有地での住民間トラブルはルベンカ建設公社(以下、「乙」とする)が介入しないものとする。
一、本件に際し、発生した諸費用は甲が負担する。
.
.
.
「この誓約書か、確かに署名したな。だが、誓約書とアンタに何の関係があるんだ?」
「やれやれ、ご主人の目は節穴なのでしょうか?はい、これ使ってください」
少々うんざりした様子の少女から虫眼鏡を手渡される。
――うん?この三行くらい続いたドットみたいなの、文字が書かれていたのか。
虫眼鏡を使っても小さいと感じるのは、間違いなく俺の視力が低いからではないはずだ。
読めないどころか、見えない。そんな誓約書があってたまるか。
続きの文面はこうだ。
一、跡地における慰霊は乙が執り行ったこととする。
一、私有地の霊障は乙の責任ではないものとする。
一、私有地の霊障に際し、甲は乙に対してあらゆる訴訟を不可能とする。
一、万が一、甲が乙の営業を著しく妨げる場合、甲は乙の訴訟を受け入れるものとする。
これ、見えなかったら絶対に署名してなかっただろうな。
「何この条文。小人が書いたの?」
「あはは。面白い冗談ですね、ご主人」
要するに、さっきまで見えなかった条文の内容は、「跡地は除霊したと思うけど、霊障起きてもウチのせいじゃないよ。因縁つけたら訴えるからね」となる。
ルベンカの建設業者はこの公営業者だけだから、ここまで強気なんだろう。
「すると、アンタ。いや、貴方様は慰霊碑跡地の幽霊でおわせられる?」
「ご主人、ごめいさつ〜。でもご褒美は無いよ」
「ご褒美は結構なので、除霊されていただけませんか?」
「されたいのは山々なんですけどねえ。ちょっとねえ」
少女は思わせぶりな言い方をする。訳ありってヤツか?
「この世に未練が?」
「どうなんでしょうねえ、ワタクシは特にこの世に未練は無いんですよ」
「ひょっとして、俺呪われる?」
もしかして、俺がこの世界にやってきたのは、この幽霊のせいじゃないか。そう思ってしまった。
「ワタクシ悪霊ではありませんから、別に装備が外れなくなったり、水をかけると女の子になったり、モテモテになる代わりにえっちぃことすると死んだりはしませんよ」
どうしてここまで呪いが具体的なんだろう……
「アンタ、そういえば名前は?」
ふと、少女は寂しい顔を見せる。
「……思い出せないです」
「じゃあ、名前がないなら俺が決めよう」
「ワタクシ、ペットじゃないです」
唇を尖らせて名も知らぬ少女が文句を垂れる。
「まあまあ、いつまでもアンタ呼ばわりは気分が良くないしな。そうだ、今日からアンタはナナシだ。名前が無いし」
「ペットにありがちな安直ネームですー!」
――こうして安直に名付けられたナナシは、思っていたよりも深く俺の人生に関わっていたことは、この時想像すらできなかった。
――ここで、第一章は終わります。
第二章は、いよいよルベンカ帝国の鬼神が戦います。




