父親は困惑した
ちょっと戻って父親視点です。
娘が、帰って来た。
勝手に嫁いで、ある日いきなり連絡もせず荷物を送りこんでゆうゆうと舅に送ってもらって。
「父上、たっっだいまー」
能天気な声で気軽に言い放った言葉で、「出戻った」ことを悟る。
そりゃあ、いつかは帰って来ると思ってはいた。思ってはいたが。
「やだー父上ってばー可愛い娘が帰って来たのにそんな顔しないで☆侯爵様に送っていただいたの」
こんなことを言い放つ娘だとは思っていなかった。
説教をしようにも、何故か楽しげにそんな娘を見つめる舅である侯爵の前では言葉も出てこない。
理解できない。
おたおたする自分に対して、侯爵は深々と頭を下げる。
謝るべきはこちらだろうに、視線で頭を下げるのを制された。怖い。さすがは高位貴族。
片田舎の役人で過ごしたかった……
庭の四阿に案内した後、娘に追い払われてしまったので、弁護士に話を聞いた。
驚いた。
いやに分厚い結婚契約書を読んだが、娘に都合のよい文言ばかりだった。
それを呑む方も呑む方である。
妻の一存で離婚が決められる、とか、いい年こいて「白い結婚」とか、おかしい。
そんな娘に育てた覚えはないのに、育ってしまった。
「――これは、娘が無理強いしたものですか?」
穏やかな表情の弁護士は苦笑する。
「その条件でも縁を結びたいと願う人は多かったらしいですよ?」
彼は、侯爵家の顧問弁護士だったはず。
なのに、まるで、娘の味方のようだ。
「それにしても、『元侯爵夫人』はあまりにも…」
娘が結婚したのは、近衛騎士で子爵の「侯爵家嫡子」だったはず。
いくら、侯爵自身が現在独身であっても、息子の元妻にその称号を与えるのは下種の勘ぐりを誘発するのではないか。
さすがに、口に出すのもイヤで弁護士を黙って見上げれば、見透かしたように口角を上げる。
「王太子殿下の教育係として内定が出ていますので、称号はあればあった方がいいですよ?」
客人の前で失礼ではあるが、頭が痛い。
頭を抱えて、唸ってしまった。
王太子殿下の教育係など、今初めて聞いた。聞いたからと言って何ができるわけでもないが。
一般の家庭教師なら、まだいい。
「嫁き遅れ」の定番の職業だが、別に面倒なことはない。
「王族の教師」で、「女性」は珍しい。今まで以上に目立つ。
マナーとか刺繍とかならともかく(エレクトラの刺繍は極めて前衛的である)、エレクトラの専門は「経営学」である。目立つなどと言うものではない。男爵である自分など、庇いきれない。まあ、できないことはないが、かなり難しい。
「侯爵閣下も、誤解されるなら光栄だと仰っていましたし」
そんな情報、知りたくない。
大体、父親である自分が持ってきた縁談は片っ端からぶち壊しておいて、これである。
本当に、何がしたいのか、わからない。
こんなことならいっそのこと、研究都市に引きこもりの方がマシだったのではないか。
いやいやいや。
幸せな結婚をして、可愛い孫を産んでもらわねば。
亡き妻ラティアに「多分ムリだと思う…」とは言われたが、娘が産む孫は絶対に可愛い。諦めきれない。
息子の子供も可愛いだろうが、娘の子供も見たいし、可愛がりたい。
――わかってはいる。娘が一般的な男性に好まれる容姿でも中身でもないことを。
娘の周りに群がるのは、父親である自分よりやや年嵩の高位貴族ばかりだ。
その中の一人の息子と結婚して、離婚。
しかも、娘は落ち込んだ素振りすら、ない。意味がわからない。
わかるのは、莫大な資産と称号を持って「出戻った」ことだけだ。
「外聞を憚られるのであれば、郊外にちょうど良い邸がございます。用意しましょうか?」
「娘を護るのは親の仕事です」
つい、弁護士を睨む。
外聞など、気にするわけがない。
気にしていたら、娘を研究都市などに行かせてない。
本当なら、陽にも風にも当てたくない。
男どもに混じって男だらけの職場で仕事など、嫌われないなら絶対に許さなかった。
「その一助になれればと」
「――何が目的ですか」
優雅に肩をすくめる仕草にイラっとくる。
「警戒なさらなくても大丈夫ですよ。侯爵閣下は殊の外、ご令嬢をお気に召していらっしゃる。それこそ、姿も中身も才能も。大いに期待されているのです」
「目的は、何ですか」
「未来への投資、ですかね」
弁護士は懐から懐中時計を取り出し、時刻を確認する。
「ああ、もうこんな時間ですね。男爵殿とお話すると時間を忘れますね」
立ち上がり、気障に一礼する。
「では、今日はこの辺で失礼します」
慌てて立ち上がると、至近距離に落ち着いた顔があった。
思わず、後ずさる。
「忘れていました。ご令嬢及びご家族の皆様には、護衛が付きます。勿論、お邪魔はしません。ご安心ください」
「どういう意味ですか?何か事件に巻き込まれるのですか?」
「いえいえ。面白そうなことが起きそうなので。では、失礼します」
「ちょっと、待って下さいっ、弁護士さんっ!」
「ラティアス、とお呼びください」
「……はい?」
「ティア、でも結構です」
娘より少しだけ年上位の青年に、手を包むように握られた。
青灰色の瞳がきれいだな、と思った。
「いや、ええと、とりあえず、ですねっ」
「ああ、本当に時間がない。続きは後日」
素早く、それでも優雅に侯爵家顧問弁護士は手を放し、立ち去った。
「――何だったんだ、アレ……」
ずるずると、床に座り込んでしまった。
娘のことだけでもいっぱいいっぱいだと言うのに……