第七話 悪鬼夫婦
――八雲衆、騒然。
ことの始まりは、八雲衆が溜まり場にしている大酒場での、何の変哲もない昼下がりだった。
「おい皆! 聞いてくれ! 俺と緋乃は祝言を挙げることになったぞ!!」
玄蔵が酒場の扉を激しく開け放ち、胸を張って高らかに宣言した瞬間――店内の時がピタリと止まった。
盃を傾けていた腕が途中で固まり、肉を食んでいた口が動きを止め、数十人の猛者たちの視線がいっせいに玄蔵と、その一歩後ろに立つ緋乃へと注がれる。
「……は?」
最初に声を絞り出したのは、大鉈を磨いていた鉄だった。
「……玄蔵。お前、ついに鬼緋乃に頭を殴られすぎて幻覚でも見始めたか?」
「失礼ね、鉄。幻覚じゃないわよ」
すかさず入った補正。声の主は、あの『鬼緋乃』本人である。
普段なら「殺すぞ」と蹴りを飛ばすはずの彼女が、心なしか頬をほんのり朱に染め、わずかに玄蔵の袖を掴むようにして並んで立っているのだ。
「「「えええええええええっ!??!?」」」
酒場全体が揺れるほどの絶叫が巻き起こった。
「嘘だろ!? あの『鬼緋乃』が落とされたのか!?」
「あのうるさい『悪玄太』のしつこい口説きが実ったってのか!?」
「手を出したら即座に肉塊にされるでお馴染みの、八雲一恐ろしい女だぞ!?」
「おい言いたい放題だな貴様ら! 俺の祝言だぞ、もっと祝え!」
荒くれ者たちのどよめきをよそに、鉄は盛大に頭を抱えて深いため息を吐いた。
「ハァ……正気かお前ら。まあ、お前が本気なのは知ってたが……まさか本当に鬼緋乃様を拝み倒すとはな。……おい鬼緋乃、お前マジでこいつでいいのか? 今ならまだ引き返せるぞ?」
「……うるさいわね。この男のみっともない熱意に、一度付き合ってやることにしただけよ」
フンとそっぽを向く緋乃だったが、玄蔵を見る視線には明らかな柔らかさが混じっていた。
自分の体の秘密を知ってもなお、飾らない泥臭い言葉で「お前と一緒になりたい」と叫んでくれた男。その不器用な愛を受け入れると決めたのだ。
* * *
二人の祝言は、孤児院『若葉』のガキどもや八雲衆の面々を巻き込んだ、大賑わいの宴となった。 高価な祝言の品を揃えられたのは、大禍討伐で得た莫大な報酬のおかげだ。
「悪玄太! 鬼緋乃お姉ちゃん! 結婚おめでとう!!」
つぎはぎ服のガキが目を輝かせて駆け寄ってくる。
「おう! ありがとな! これで俺は名実ともに『最高の男』に一歩近づいたぜ!」
「……子供の前で威張らないの。でも、ありがとうね」
緋乃がガキの頭を優しく撫でる姿に、酒場の荒くれ者たちも目頭を押さえた。
「あの鬼緋乃様が……あんな柔らかい顔をするなんて……」
「悪玄太の奴、マジで最高の女を捕まえやがったな……」と、羨望と祝福の声が飛び交う。
そして――『悪玄太』と『鬼緋乃』の祝言は、単なるおめでたい報せにとどまらなかった。
「おい見たか? 八雲の悪玄太と鬼緋乃が夫婦になったそうだぞ」
「直刀の常識を覆すあの『湾刀』使いと、凄絶な体術の『鬼緋乃』か……!」
「異禍はおろか大禍すら三人で瞬殺する一団だろ? もはや名実ともに『中天州最強の夫婦』じゃないか……!」
噂は八雲を超え、中天州全土、さらには都である『中天京』にまで一気に広まった。
ただでさえ恐れられていた二人の名声は、夫婦となったことで相乗効果を生み、「悪鬼夫婦」の異名とともに、天下にその名を轟かせ始めたのだった。
* **
宴が終わり、静まり返った夜の八雲川の河川敷。 月光を浴びながら、玄蔵と緋乃は二人並んで歩いていた。
「……ふう。酒呑みどもにつき合うのも楽じゃないわね」
「ハハッ、嬉しい悲鳴だろ? これで俺たちは晴れて夫婦だ」
玄蔵が誇らしげに胸を張る。
緋乃は隣を歩く玄蔵の顔をじっと見つめると、そっと自分からその手に指を絡めた。
「っ……緋乃?」
「……夫婦なんでしょ。これくらい、当たり前じゃない」
いつもなら「殺すぞ」と突っぱねていたはずの手が、温かく玄蔵の手を握りしめている。
玄蔵は一瞬驚いたものの、すぐに破顔してその手を握り返した。
「ああ、当たり前だ! これからは二人で……いや、鉄も入れて三人で、どんどん稼いで名を上げていくぞ!」
「ええ。あんたが天下に名を轟かせて、私を一番デカい城の天守閣に連れて行ってくれるんでしょ?」
「勿論だ! 俺の湾刀と、お前の拳があれば、どんな大禍つだって敵じゃねぇ!」
二人のやり取りを、少し離れた後ろから大鉈を担いで歩いていた鉄が、呆れ半分、微笑ましさ半分で見守っていた。
「やれやれ……最強の夫婦誕生か。ますます俺の苦労が増えそうだが……まあ、悪くねぇ景色だな」
湾刀を腰に差した野心家の青年と、鬼と恐れられた美しき体術使い。
中天州にその名を轟かせる『最強の夫婦』の伝説は、ここ八雲の街から、いよいよ本格的に幕を開けるのだった。




