第六話 鬼の秘め事
八雲の街が静まり返る深夜。
鎮守の森の境内に伸びる長い石段の頂上で、緋乃は一人、夜風に黒髪をなびかせて立っていた。
「……急に呼び出すから、ついに俺との祝言の相談かと思って飛び作ってきたぞ!」
石段を駆け上がってきた玄蔵が、息を弾ませながらいつもの調子で軽口を叩く。
だが、振り向いた緋乃の顔に笑みはなく、その瞳は深く静かな闇を湛えていた。
「玄蔵。……大事な話があるの」
「……緋乃?」
いつもと違う張り詰めた空気に、玄蔵も思わず立ち止まる。
「あんたが本気で私を口説いているのは分かっているわ。
……そして、私の方も、あんたの図太さや強さに……惹かれ始めているのも事実よ」
かき消されそうなほど小さな声だったが、緋乃はまっすぐに玄蔵を見つめて口にした。
唐突な告白に玄蔵の胸が跳ね上がる。
だが、緋乃の表情は晴れるどころか、悲痛な決意に満ちていた。
「だからこそ……ここで終わりにしなければならないの。
私を諦めてもらうために、私の『秘め事』を話すわ」
緋乃は静かに息を吸い込み、固く拳を握りしめた。
「私は……子供が産めない体なの」
「……え?」
「幼い頃の病が原因よ。この時代、女が家に嫁ぎ、血を遺すことがどれほど重い意味を持つか……あんたなら分かるでしょ。
天下を取って城持ちになろうという男の正妻に、子を成せぬ女など何の意味もないわ。
……だから、もう私を口説くのはやめて」
打ち明けられた重すぎる現実。 夜の静寂が二人の間に落ちる。
玄蔵は――大きな衝撃を受けていた。
(子を……産めない……?)
いつも強気で、自分を叩きのめしてきたあの『鬼緋乃』が、人知れずそんな冷たい孤独を抱えて戦っていたのか。
頭の中で様々な思いが渦巻く。
こんな時、物語の英雄なら「子供なんて関係ない!」「俺はお前という女そのものが欲しいんだ!」なんて、気の利いたカッコいい台詞を疾風のごとく言い放つのだろう。
だが、玄蔵はまだ若い一人の男に過ぎなかった。
(くそっ……なんて言えばいいんだ……!?
『関係ねぇ』なんて軽々しく言ったら傷つけるか!?
でも俺は……俺はなんて言えば……っ!?)
頭がパニックを起こし、完全にテンパっていた。
カッコいい口説き文句なんて、何一つ浮かんでは消えていく。
口がカラカラに乾き、額から冷や汗が流れる。
沈黙に耐えかねた緋乃が、悲しげに口元を綻ばせた。
「……いいのよ。引いて当然だわ。これで分かったでしょう、私には――」
「違う!!!」
静寂を切り裂く、玄蔵の叫びだった。
緋乃が驚いて目を見開く。 玄蔵は両拳を握りしめ、顔を真っ赤にしながら、格好もつかない姿で一歩踏み出した。
「ち、違うんだ緋乃! 俺は、その……うまい台詞が全然浮かばなくてテンパってただけだ!
カッコつけようと思ったのに、頭が真っ白になって……くそっ、俺のバカ!!」
「玄蔵……?」
「いいか緋乃! 俺は……俺は難しいことはよく分からねぇ!
血がどうとか、家がどうとか、そんな難しい理屈は天下を取ってから考えりゃいい!」
玄蔵は必死に、胸の底から湧き上がる正直な想いだけを叩きつけた。
「俺が言いたいのは一つだけだ! 俺は……お前と一緒にいたいんだよ!
大禍を斬る時も、酒を飲む時も、建てた城の天守閣で月を見る時も……
隣にいるのは、お前じゃなきゃ嫌なんだ!」
「……っ!」
「俺の正妻はお前だ! お前以外あり得ねぇ!
子供がどうとか関係なく、俺はただ……お前と一緒になりたい!!」
飾りのない、愚直すぎるほどの言葉。 テンパりながらも、まっすぐに放たれたその叫びは、夜の境内へ力強く響き渡った。
緋乃は胸を押さえ、息を呑んだ。 子供が産めないと分かれば、誰もが自分から離れていった。自分自身ですら、自分の価値を諦めていた。
なのに、この男は――カッコつける余裕すら失いながら、泥臭く、まっすぐに自分を求めてくれている。
「……ほんと、バカね……あんたは……」
緋乃の切れ長の瞳から、ぽろりと一筋の涙がこぼれ落ちた。
冷たく凍りついていた心が、熱い温度を持って溶けていく。
「カッコいいこと言おうとしてテンパるなんて……どこまでも鬱陶しくて……みっともない男……」
「うっ……す、すまん……」
「……でも」
緋乃は涙を拭い、照れ隠しのようにふいと横を向いた。 その頬は、月光の下で真っ赤に染まっている。
「……そのみっともなさに、免じてあげるわ」
中天州・八雲の夜。 天下を目指す湾刀使いの青年の、一番不器用で、一番格好いい告白が、鬼緋乃の心を確かに打ち破ったのだった。




