第五話 悪鬼無双
八雲の街から東へ数里離れた、深い竹林の奥――。
そこは、禍々しい黒紫色の妖気が渦巻き、草木が枯れ果てる死の領域と化していた。
「……ハッ! 噂通りの大物じゃねぇか!」
大鉈を肩に担いだ鉄が、凄絶な笑みを浮かべて唾を吐き捨てる。
三人の目前に聳え立っていたのは、巨大な四本腕の巨躯を持ち、身に纏う怨念の鎧で直刀の刃すら弾き返す最上位の怪異――『大禍』であった。
周囲には自警団の残骸。並の払い屋なら見ただけで足がすくむ異形だが、ここに集った三人に退く気配など微塵もない。
「気をつけろよバカ二人! あいつの纏う妖気は触れるだけで肉を腐らせる! 間合いを誤れば即死だ!」
「ふん、誰に口を叩いているのよ」
緋乃が冷ややかな声を響かせると同時に、地を蹴った。 疾風のごとき踏み込み!
大禍つが放つ巨大な爪の一撃を、紙一重の脚さばきでかわすと、そのまま妖気の薄い懐深くへと滑り込む。
「はああぁっ!!」
鋭い掛け声とともに放たれたのは、鬼の威力を秘めた連撃の正拳突き。
ズドンッ! ズズンッ! と重低音が響き、大禍つの頑丈な躯体が大きく揺らぐ。
打ち込まれた部位の肉が陥没し、怪異が苦悶の叫びを上げた。
「ナイスだ緋乃! 頭蓋獲るぞ!!」
間髪入れずに上空から舞い降りたのは、悪友の鉄だ。 身の丈ほどもある大鉈に全体重を乗せ、旋回しながらの一閃!
ガギィィィンッ――!!
『兜割り』の異名は伊達ではない。
大禍つが防御に使った剛腕の一本を、肘ごと叩き折り、そのまま胸板まで真っ二つに粉砕してみせた。
「グオォォォォッ!?」
「ハハッ! 手応え十分! 仕上げはお前だ、悪玄太!」
大禍つが体勢を崩した絶好の瞬間。 そこへ滑り込む影が一つ。
「言われなくても――この『悪玄太』が引導を渡してやるよ!!」
玄蔵の手にあるのは、直刀全盛のこの時代に異彩を放つ、美しい弧を描く『湾刀』。
直刀では滑り、弾かれてしまう大禍つの強靭な皮肉も、この反りある刃と引き斬りの技法にかかれば意味をなさない。
踏み込み、刃先を沈め、すれ違いざまに真横へ――流れるような一閃!
シュバッ――!!
静寂。 一瞬遅れて、大禍つの胸元から漆黒の返り血が噴き出し、巨躯が真っ二つに裂けて地響きとともに崩れ去った。
「へっ……大禍だろうが何だろうが、俺たちの前じゃただのデカいカカシだな!」
湾刀を振って血を払い、鮮やかに鞘へ収める玄蔵。 手強いはずの最上位怪異すら、八雲が誇る最強の三人にかかれば一瞬の狂乱に過ぎなかった。まさに『悪鬼無双』の立ち回りである。
* * *
大禍つ討伐の報せは、瞬く間に八雲中を駆け巡った。
「あの『悪玄太』率いる一団が、大禍を一人も欠けずに瞬殺したそうだ!」
「湾刀の切れ味は本物だな……! 兜割りの大鉈と、鬼緋乃の体術も合わされば、八雲衆は天下無敵だ!」
八雲の街は大賑わいとなり、三人の名声はさらに跳ね上がった。
城持ちの野望に向け、玄蔵の懐に入る報酬も跳ね上がる一方だ。
その日の夜。大宴会でどんちゃん騒ぎをする酒場を抜け出し、八雲川の河川敷で夜風に当たっていた緋乃のもとへ、玄蔵がひょっこり歩み寄ってきた。
「おい緋乃。酒場を抜け出して何してんだ? 主役の一人がいないと寂しいだろ」
「……うるさいわね。宴の席は嫌いじゃないけれど、あんたの『正妻になれ』というしつこい口説き文句から逃げてきたのよ」
緋乃は川面に映る月を見つめながら、フンと鼻を鳴らした。 いつもの軽口。
だが、二人の間に流れる空気は、以前のようなピリついた刺々しさが薄れていた。
「なあ緋乃。今日の連携、完璧だったな。お前が隙を作って、鉄が叩き割って、俺が斬る。……俺さ、お前と戦ってると、絶対に負ける気がしねぇんだ」
「当たり前でしょ。私が足を引っ張るわけがないわ」
「そうじゃなくてさ」
玄蔵は珍しく落ち着いた声で言い、緋乃の隣に腰を下ろした。
「お前、前より『生きよう』としてる顔になってるぞ。命を投げるような無茶な踏み込みもしなくなった。……俺さ、それが一番嬉しいんだよ」
「っ……」
緋乃は絶句し、思わず言葉を詰まらせた。 自分でも気づかないくらい、微かな変化。
子を産めぬ体に絶望し、いつ死んでもいいと冷めきっていたはずの心が、この図太くて真っ直ぐな男と一緒に戦ううちに、ほんの少しずつ解きほぐされていたのだ。
「……勝手な分析をしないで。私はただ、足手まといにならないようにしているだけよ」
「ハハッ、ツンツンしちゃって! まあいいさ、俺が建てる城の天守閣、緋乃の部屋は日当たりの一番いい場所に指定しておいてやるからな!」
ニカッと笑う玄蔵。 普段なら「死ね」と即答して正拳突きを叩き込むところだが、緋乃はふっと視線を外し、小さく息を吐いた。
「……バカね。城が建ったら……考えてあげなくもないわ」
「えっ!? 今なんて言った!? もう一回言ってくれ緋乃!!」
「言わないわよ、耳の穴に野禍の骨でも詰まってるんじゃない?」
「聞こえた! しっかり聞こえたぞ! よっしゃあああ! 城持ちまで突っ走るぞ!!」
夜空に向かってガッツポーズを決める玄蔵を見て、緋乃の唇から、今度は隠しきれない小さな笑みがこぼれた。
少しずつ、だが確実に縮まっていく二人(と、陰で見守りながら酒を飲む鉄)の距離。中天州・八雲の祓い屋たちの物語は、さらなる高みへと加速していく。




