第三話 異名 兜割り
八雲の街を横断する清流、八雲川の河川敷。
朝もやが立ち込める中、ガリッ、ガリッ……と、重く規則的な金属音が響いていた。
「……おい、玄蔵。お前、朝日が昇る前から何ニヤニヤしてんだ。気味が悪いぞ」
巨大な砥石に、身の丈ほどもある武骨な大鉈を滑らせながら、鉄が呆れ顔で声を上げた。
大柄で筋肉質な体に、無数の傷痕。禍つの頭蓋骨を兜ごと粉砕することからついた異名は『兜割り』。
見た目こそ山賊のようだが、その実、祓い屋の中でも群を抜いて義理堅く、観察眼に長けた色男である。
「ん? いやあ、昨日の緋乃の足払いを思い出してな。あの鋭さ、あの脚線美……やっぱり俺の正妻に相応しい素晴らしい女だと思ってさ!」
「……お前、本物のバカだな?」
鉄は盛大なため息をつき、砥石を置いた。
「いやな、確かに鬼緋乃は天下に二人といないべっぴんだよ。あの凛とした佇まいといい、男なら誰だって一度は目奪われるさ。……だがな、あいつは美しかろうが『鬼』だぞ? 人間の中身をした災害だ」
「失礼な奴だな! ツンツンしてるだけで根は良い女だぞ!」
「拳ひと突きで異禍の胸板ぶち抜く奴のどこが『良い女』だ!
お前、祝言あげた初夜にちょっとした口喧嘩で首の骨折られるぞ。
悪いこと言わねぇから、もっとこう……可憐で大人しくて、男を立ててくれるような可愛い娘にしとけ」
鉄の至極まっとうなアドバイスに、玄蔵は腰の湾刀をカチャリと鳴らし、不敵に笑った。
「甘いな鉄! そんな普通の女じゃ、天下を狙う『悪玄太』の妻は務まらん! あの苛烈な鬼姫を乗りこなしてこそ、最高の男って門をくぐれるんだよ!」
「ハッ、相変わらず支離滅裂な理屈だな……」
鉄は額を押さえ、天井を仰いだ。 玄蔵との付き合いは、もうかれこれ昔になる。
直刀全盛のこの時代に、誰にも教わっていない奇妙な「湾刀」を引っ提げて祓い屋に飛び込んできたこの男に、鉄は幾度となく振り回されてきた。
『鉄! 大禍つが出たらしいぞ! 一番乗りで首獲って城の礎石にするぞ!』
『おい玄蔵待て! 検非違使が全滅したって噂の奴だぞ!?』
『ハハッ! だからこそ俺たちの名が挙がるんだろうが!』
――いつもそうだ。 無茶苦茶で、自信過剰で、図太くて。
だが、どんな絶体絶命の修羅場でも絶対に折れず、最後にはその異形の湾刀で怪異を切り伏せてみせる。
呆れつつも、鉄がこの男と組み続けているのは、その圧倒的な底力と「絶対に死なない」という妙な安心感を信頼しているからだった。
「ま、お前がそのへんの溝で鬼緋乃に叩き潰されて死んでても、俺は知らんからな。墓石くらいは立ててやるが」
「冷たいこと言うなよ兜割り! 俺たちが組めば八雲どころか中天州で負けなしだろ!」
「俺を勝手に巻き込むな。俺は堅実に金を稼いで、美味い酒が飲めればそれでいいんだよ」
ガシガシと頭を掻きながら、鉄は大鉈をひょいと肩に担ぎ直した。 その時、川下の竹林からガサリと重い気配が漂ってきた。
「……チッ。朝っぱらからお出確かよ」
鉄の目つきが一瞬で変わる。 竹林の奥から這い出てきたのは、数体の『野禍』
――それも、人間ほどの大きさがある巨大な甲殻を持った下位の怪異だ。
早朝の薄靄に紛れて街へ侵入しようとしていたらしい。
「玄蔵、どっちが早く片付けるか勝負だ。負けた方が今日の朝飯奢りな」 「乗った! 俺の湾刀の引き斬り、見切れるか!」
玄蔵が疾風のごとく飛び出し、独特の反りを持つ刃で野禍の胴体を一瞬で二つに引き裂く。 直刀では滑ってしまう硬い甲殻も、曲線を描く刃先が見事に喰い込み、流れるような一閃で断ち切っていた。
「へっ、相変わらず妙な切り口しやがるぜ!」
鉄もまた、地を蹴って跳躍した。 上空から旋回し、体重と巨躯のすべてを大鉈に乗せて振り下ろす!
ズドンッ――!!
凄まじい衝撃音が響き渡り、野禍の頑丈な頭蓋殻が、兜ごと叩き割られるように真っ二つに砕け散った。地面に大きな亀裂が走り、怪異は一撃で沈黙する。
まさに『兜割り』の異名に恥じぬ、圧倒的な破壊力。
「よし、俺の勝ちだな!」
「おいおい、今のは同時だろ! 俺の湾刀の美しさに免じて免除しろ!」
「屁理屈こくな悪玄太! 朝飯は串焼きと米な!」
荒々しい戦いの直後だというのに、二人は顔を見合わせてガハハと笑い合った。
「やれやれ……あんな恐ろしい女を口説くだの、城を建てるだの、相変わらずお前と一緒にいると退屈だけはしねぇわ」
血を拭いながら歩き出す玄蔵の背中を見送り、鉄は苦笑いを浮かべる。 悪友の無茶な野望につき合う色男の苦労は、どうやらこれからも続いていきそうだった。




