第十六話 開拓民 大吾
――夢を追ってここへ来たわけじゃない。
どこまでも広がる荒涼とした大地。
八雲のような温もりなど微塵もない、冷たい風が吹き抜ける開拓地の片隅で、大吾は錆びかけた鍬を地面に突き立てた。
人生、そう簡単に上手くいくものじゃない。
故郷で事業に失敗した者、血生臭い争いから逃れてきた者、身寄りを失い行く当てをなくした者。
この最果ての開拓地に集まる人間は、みな一様に何らかの不運と過去を背負っている。
大吾もまた、そうした人間の一人だった。
「あなた、お茶が入りましたよ」
すり減った木造の小屋から出てきたのは、妻の恵だ。
その背中には、小さなおんぶ紐で括り付けられた娘の鈴が、丸い目をパチパチさせながら大吾を見つめている。
「……ああ、すまないな」
大吾は汗を拭い、差し出された白湯を受け取った。
二歳になる鈴が、「とーたん!」と愛くるしい声を出して小さな手を伸ばしてくる。
その姿を見るだけで、胸の奥にじんわりと温かいものが広がる。
――この家族を守る。今度こそ、ここで人生をやり直すんだ。
強い意気込みを胸に、この地に足を踏み入れた。
霞条家が見捨てかけたと言われる危険な土地だが、だからこそ自分のような流れ者でも開墾の許可が下りたのだ。
死に物狂いで土を耕し、作物を育て、家族を喰わせていく。その覚悟に嘘はなかった。
だが――現実は甘くなかった。
夕闇が迫る頃、開拓地の警戒鐘が『カラン、カラン!』と乾いた音を打ち鳴らした。
「禍つだ! 下位の野禍が出たぞ!!」
見張り台の叫び声に、開拓民たちが凍りつく。
大吾は咄嗟に鍬を握り直し、妻と鈴を小屋の奥へと押し込んだ。
「恵、絶対に外へ出るなよ!」
「あなた、気をつけて……!」
外へ飛び出すと、赤く染まった夕闇の向こうから、黒い泥のような異形――野禍が数体、地を這うように迫っていた。
自警団を気取る男たちが竹槍や古びた直刀を構えるが、腰が引けている。
専門の祓い屋(八雲衆のような猛者)など、こんな捨てられた開拓地には一人もいないのだ。
「う、うあぁぁぁっ!?」
野禍の鋭い爪が振るわれ、開拓民の一人が悲鳴をあげて倒れる。
大吾は必死の思いで鍬を振るい、なんとか怪異の注意を逸らしたが、刃が硬い皮に弾かれて手に激しい痺れが走った。
たった一匹の下位怪異(野禍)相手に、大勢の男たちが死に物狂いで暴れ回り、命からがら追い払うのが関の山。
「ハァ……ハァ……っ!」
禍つが去り、静寂が戻った荒野で、大吾はひざまずいた。手が震えて止まらない。
度重なる禍つの襲撃。耕した畑は荒らされ、仲間は傷つき、夜はいつ襲われるか分からない恐怖でまともに眠ることもできない。
(……俺は、本当にこの家族を守り切れるのか……?)
意気込みだけでは、どうにもならない現実。
すり減っていく精神と、積み重なる絶望。
暗闇が支配する開拓地で、大吾はただ小さく震える己の拳を見つめることしかできなかった。




