第十三話 限界突破 悪玄太
八雲の街に夜が訪れ、玄蔵と緋乃の家には小さな寝息が優しく響いていた。
「……ふふ、見て玄蔵。寝顔が天使みたい……蒼ちゃん……尊い……」
「本当だな……なんだこの可愛さは……角度を変えて見ても完璧に可愛いぞ……」
お布団の中ですやすやと眠る蒼太を挟み、夫婦揃って布団に突っ伏しながらデレデレの顔で見つめている。
昼間は畳を引きちぎり大黒柱にヒビを入れる怪力赤子だが、寝ている姿はただただ愛くるしい至高の宝物だ。
夜が明けると、緋乃はしとやかに立ち上がり、台所へ向かう。
かつて「鬼緋乃」と恐れられた彼女の包丁さばきは、今や見違えるほど上達していた。
料理の味付けだけでなく、玄蔵の疲労回復や蒼太の健やかな成長を考え、薬膳や栄養面まで配慮した献立を組み立てている。
「玄蔵、今日のお弁当は山菜と鹿肉の滋養煮よ。禍つ狩りの合間にちゃんと食べてね」
「うおおっ! うれしい! 緋乃の飯は世界一だ!」
巾着の紐を優しく結ぶ指先、首を傾けて微笑む仕草、そのすべてが洗練された女性の優美さに満ちている。
* * *
変化があったのは緋乃だけではない。 八雲の街を歩く玄蔵の表情にも、かつてない柔らかな温もりが宿っていた。
「あっ、悪玄太だ!」
路地裏で転んで膝をすりむいていた『若葉』のガキを見かけると、玄蔵はさっと歩み寄り、目線を低くしてかがみ込んだ。
「おいおい、大丈夫か? ほら、痛いの痛いの飛んでいけーだ。男だろ、泣かないでえらいぞ」
「う、うん! ありがと、悪玄太!」
ぽんぽんと優しく頭を撫でてやる玄蔵。
昔なら子供をどう扱っていいか分からず挙動不審になっていた男とは、まるで別人のような手慣れた接し方である。
その様子を後ろで眺めていた鉄が、大鉈を担ぎ直しながら呆れた顔で声をかけた。
「……おいおい、玄蔵。お前、前は子供の扱いどころか、近寄られただけで怯えてただろ。子供は嫌いじゃなかったのか?」
すると玄蔵は、本気で心外だと言わんばかりに目を見開き、大袈裟に両手を広げた。
「はぁ!? 何言ってんだお前! 子供が嫌いなヤツなんてこの世にいねぇだろ! え、お前まさか子供嫌いなの!? ナニソレコワイ!!」
「お前が言うかバカ野郎!!!」
鉄のド迫力のツッコミが八雲の街に響き渡った。
「一番ビビり散らかして鉄さーん助けてーって顔してたのはどこのどいつだ!
蒼太が生まれてから手のひら返しすぎだろ!」
「ハハハ! 過去のちっちぇ話は忘れた! 今の俺は『父親』だからな!」
胸を張る玄蔵だったが、腰の湾刀に手をかけた瞬間、その場の空気が一変した。
「よし……行くぞ鉄。蒼ちゃんに最高に美味い飯を喰わせて、デカい城を建てるために……今日も稼ぎまくるぞ!」
* * *
八雲の深山に出没した、数十体の『異禍』の群れ。 立ち込める紫煙の中、玄蔵は疾風のごとく踏み込んだ。
――守るべき妻がいる。 ――愛おしすぎる息子がいる。 ――俺は絶対に死ねないし、絶対に負けられない!
ドッと溢れ出す、圧倒的な生への執着と絶対的な力。 かつて「限界」と思われていた剣風が、家族への愛によってさらに研ぎ澄まされ、常識の枠を完全に突破していた。
シュバババッ――!!
反り立つ湾刀が描く、流麗にして凄絶な円の軌跡。 直刀では届かない角度から、引き斬りの刃が異禍の群れを次々と両断していく。一撃一撃に迷いがなく、踏み込みは地を割るほど重く、刀筋は疾風より速い。
「な、なんだ今日のアイツは……!? 無双なんてレベルじゃねぇぞ……!」
大鉈を構えて支援に入ろうとした鉄すら、息を呑んで棒立ちになるしかなかった。 最上位の『大禍』すら脅かすような異禍の群れが、覚醒し限界突破した『悪玄太』の一振りによって、まるで熟した熟柿のようにあっけなく潰されていく。
「ハハッ! 禍つども! 俺の息子のオモチャ代になれぇぇッ!!」
咆哮とともに放たれた極限の一閃。 最後の異禍が核石ごと叩き切られ、静寂が山を包み込んだ。
返り血を鮮やかに振り払い、湾刀をカチャリと鞘へ納める玄蔵。その背中は、もはや天下に並ぶ者のない「無敵の英傑」そのものだった。
「ふぅ……よし! 大豊作だ! 鉄、早く帰るぞ! 緋乃と蒼ちゃんが待ってるんだからな!」
一瞬でいつものデレデレ親父顔に戻る玄蔵を見て、鉄は肩をすくめ、誇らしげに笑った。
「……たく、親バカの馬鹿力ってのは底が知れねぇな…ははは」




