第十話 覚醒 悪玄太
――奇跡だ。どう考えても天の恵み、至高の奇跡だ!
「おい鉄! 聞いたか!? いや、もう百回くらい言ったがもう一度聞け!
俺と緋乃の間にガキができたんだぞ!
あの『鬼緋乃』と俺の血を引いた、最高に可愛いガキだ!!」
「……百一回目だ、バカ野郎」
八雲川の河川敷で大鉈を研いでいた鉄は、心底うんざりした顔で、だが口元にはどこか温かい呆れ笑いを浮かべていた。
「わかった、わかったから少しは落ち着け。診療所の前でも踊り狂って療治師に怒られたばっかりだろ」
「落ち着いていられるか! これからは『天下を取る』だけじゃねぇ、
『最高の家族を喰わせていく』っていう男の一大事業が加わったんだぞ!
気合の入り方が違うねぇ、気合の入り方がよぁ!」
玄蔵は腰の湾刀をカチャリと鳴らし、眩しい太陽を仰ぎ見た。
* * *
月日は流れ、緋乃のお腹は誰の目から見てもはっきりと分かるほど大きく膨らんでいた。
「……玄蔵、私も行くわ。下位の野禍くらいなら、お腹に響かないように拳を引いて――」
「だーめーだ!!」
長持ちから羽織を出そうとした緋乃の手を、玄蔵がガバッと両手で包み込んで止めた。
「いいか緋乃、お前とこの中にいる俺たちのガキは、俺の命より重いんだ。
万が一、擦り傷一つでもついてみろ、俺は申し訳なさで切腹するぞ! だからお前は家で大人しく美味しいもん食べて、俺の帰りを待ってろ!」
「……大げさね。私は『鬼緋乃』よ? これくらい……」
「ダメなものはダメ! これからは俺が二倍稼ぐ! お前は俺に守られていればいいんだよ!」
真っ直ぐすぎる玄蔵の瞳に射抜かれ、緋乃は思わず言葉を詰まらせた。 かつて「いつ死んでもいい」と自暴自棄に拳を振るっていた自分が、今ではこうして愛する男に全身全霊で守られている。
「……ふふ、バカね。分かったわよ。でも、絶対に無茶はしないで帰ってきなさい。……あなたに何かあったら、この子と一緒に泣くんだから」
「おう! 任せとけ! 行ってくる!」
緋乃のお腹に優しく手を当て、ニカッと笑って飛び出していく玄蔵。 その背中を見送りながら、緋乃は愛おしそうに自身の大きなお腹を撫でた。
* * *
八雲の郊外、深い竹林の深部。 そこには、近頃街を脅かしていた中位の怪異『異禍』の群れが集結していた。伸縮自在の鋭い触手を振り回し、自警団を退けた凄惨な妖気が立ち込めている。
「へっ、大漁大漁。今日の稼ぎは全部、我が子の産着と……いや、上質な米と肉代になると思えば、一匹たりとも逃がせねぇな!」
ゆっくりと歩み出る玄蔵の佇まいに、いつもの軽妙さはなかった。
纏う気が、雰囲気が、一変している。
「おいおい玄蔵……お前、雰囲気が変わりすぎてて、横にいる俺まで肌がピリつくだろ」
大鉈を担いだ鉄が、驚きを隠せずに呟いた。 元々強かった。
直刀全盛のこの世で、反り立つ湾刀を自在に操る『悪玄太』の強さは本物だった。
だが今の玄蔵は――「守るべき家族」を得たことで、その鋭利な刃に“絶対の覚悟”という無敵の重みが加わっていた。
「鉄、手出し無用だ。……全部、俺が切り伏せる」
キィィィン……ッ!
湾刀が鞘から滑り出る、一瞬の静寂。 次の瞬間、玄蔵の姿が消えた。
「――ガアァァァッ!?」
異禍の一匹が悲鳴をあげる暇すら与えられない。
直線的な突きや振り下ろししか持たない直刀の常識を遥かに超える、曲線を描く流麗にして凄絶な一撃。
反りある刃が異禍の強靭な皮膚に喰い込み、引き斬りの力によって、一瞬で胴体を真っ二つに両断した。
「ハハッ! 斬れる、いくらでも斬れるぞ!!」
踏み込みの深さ、刃筋の正確さ、間合いの見切り。 そのすべてが以前の『悪玄太』を遥かに凌駕していた。
狂乱する異禍たちの触手が集中砲火のように襲いかかるが、玄蔵は紙一重の踏み込みと円を描く刀さばきですべてをいなし、すれ違いざまに首級を飛ばしていく。
疾風にして苛烈。まさに悪鬼を払う無双の剣風!
「……すげぇな。野心だけじゃなく『守るもの』を得た男ってのは、ここまで化けるかよ」
残った大物を片付けようと身構えていた鉄だったが、大鉈を肩に戻し、ただただ感嘆の溜息をつくしかなかった。鉄が出張る幕など、どこにも残されていなかったのだ。
「フゥー……ッ!」
最後の異禍の核石を斬り砕き、刃についた黒い返り血を鮮やかに振り払う玄蔵。 月光を浴びるその立ち姿は、もはや一地方の祓い屋の域を超え、天下に名を轟かせるに相応しい「剣豪」そのものであった。
「よし、大収穫だ! 鉄、早く街に戻って換金するぞ! 緋乃に美味ぇもん買って帰らなきゃならんからな!」
刀を鞘に納めた瞬間、いつものバカみたいに眩しいドヤ顔に戻る玄蔵。
「……ハァ、強くなっても中身はバカのままで安心したぜ。奢れよ、悪玄太」
「おうよ! 悪鬼一門の祝杯だ!」
成り上がりの野心に、愛する家族を守るという絶対の強さを手に入れた青年・悪玄太。
覚醒した彼の刃は、中天州・八雲から、いよいよ天下の頂へと向かって伸びていく。




