学芸員とヤンキー
「……暇だ」
午後一時十七分。
今日の来館者数、二人。
開館から四時間以上経っている。
その二人も、近所のおばあちゃんと、さっき来た親子連れ。
すでに帰った。
つまり今、館内にいるのは俺と受付のおばちゃんだけ。
俺はパソコンの画面を眺めていた。
画面には資料のデータベース。
入力するべき項目はまだ大量に残っている。
けれど、こういう日に限って妙に集中できない。
キーボードを打つ。
一行。
また一行。
そして止まる。
窓の外を見る。
夏の公園。
蝉。
誰もいないベンチ。
遠くに小学生が二人。
平和だ。
平和すぎる。
「……暇だな」
そう呟いたときだった。
自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
受付のおばちゃんの声。
俺も反射的に入口を見る。
入ってきたのは、若い男だった。
二十歳前後。
金髪。
黒いTシャツ。
太いチェーン。
サンダル。
そして、いかにも機嫌が悪そうな顔。
男は入口で立ち止まった。
館内を見回す。
俺も見ている。
受付のおばちゃんも見ている。
男は少し間を置いて、
「……ここ、金かかる?」
「無料ですよ」
「ふーん」
それだけ言って、入ってきた。
俺は心の中で思った。
なんで来たんだ。
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男は展示室をゆっくり歩いていった。
最初は歴史資料。
興味なさそう。
次に古い農具。
興味なさそう。
昔の写真。
やっぱり興味なさそう。
そして恐竜の展示。
そこで初めて足が止まった。
「……これ本物?」
「骨格標本です」
「本物の骨?」
「本物も一部ありますけど、複製も混ざってます」
「へえ」
男は恐竜を見上げる。
しばらく黙っている。
「これ、何歳?」
「化石になった時代ですか?」
「うん」
「だいたい一億年くらい前です」
「……」
男は恐竜を見る。
「すげえな」
小さく呟いた。
俺は少し意外だった。
「興味あります?」
「いや」
男はすぐに否定した。
「暇だから来ただけ」
「ああ……」
「友達待ってんだけど、全然来ねえから」
「なるほど」
「公園で待ってたら暑いし」
「なるほど」
「コンビニも飽きたし」
「なるほど」
「だからここ」
「なるほど……」
俺は三回目の「なるほど」を言った。
男は少しだけ笑った。
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午後一時四十分。
男はまだいる。
意外と長い。
俺は資料整理をしながら、ときどき男を見る。
男は展示室を何周もしていた。
二周目になると、最初は素通りしていた古い写真を眺めている。
三周目になると、農具の説明文まで読んでいる。
そして四周目。
恐竜の前に戻った。
「これさ」
男が俺に話しかけてきた。
「はい」
「昔の人って、こんなん見つけたらどうしてたの?」
「恐竜の化石ですか?」
「うん」
「昔なら、恐竜だと分からなかったでしょうね」
「じゃあ何だと思うんだ?」
「……巨大な動物の骨とか、伝説の生き物とか」
「へえ」
男は少し考える。
「じゃあ、昔の人が見つけたもんを、今の俺らが見てんのか」
「まあ、そういうことですね」
「なんか変な感じだな」
「そうですね」
男はまた恐竜を見る。
「一億年前か……」
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午後二時。
受付のおばちゃんが休憩に入った。
俺も事務室でコーヒーを淹れていた。
すると、男が事務室の入口から顔を出した。
「なあ」
「はい」
「ここって、働いてて楽しい?」
突然だった。
俺は少し考えた。
「……暇ですよ」
「いや、そうじゃなくて」
「分かってます」
俺は笑った。
「楽しいですよ」
「なんで?」
「こういうの好きなので」
「博物館が?」
「まあ」
男は腕を組む。
「俺、こういうの全然興味ねえけど」
「でしょうね」
「おい」
「すみません」
男は笑った。
「でも、なんかいいな」
「何がです?」
「ここ」
男は廊下の奥を見る。
「誰もいないし」
「褒めてます?」
「褒めてる」
「ありがとうございます」
「静かだし」
「それも褒めてます?」
「褒めてる」
男は少し黙ってから言った。
「家にいると、親うるせえんだよ」
「ああ……」
「友達といても、ずっと騒いでるし」
「はい」
「だから、こういう何もないとこ、ちょっと楽」
俺は何も言わなかった。
たぶん、この博物館に来る理由なんて、それくらいでいい。
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午後三時。
男のスマートフォンが鳴った。
「お、やっと来た」
友達かららしい。
「今どこ?」
少し話してから電話を切る。
男は出口へ向かった。
「ありがとうございました」
俺が言う。
男は振り返る。
「また来てもいい?」
「もちろん」
「無料?」
「無料です」
「じゃあ来るわ」
男は笑った。
そして入口で靴を履き直した。
「……あ」
突然、振り返る。
「何ですか?」
「恐竜の名前、忘れた」
「ティラノサウルスです」
「それそれ」
男は頷いた。
「ティラノサウルスな」
「はい」
「友達に言っとくわ」
「何を?」
「俺、今日ティラノサウルス見てきたって」
「……そうですか」
男は満足そうに笑って、出ていった。
自動ドアが閉まる。
館内が静かになる。
俺は時計を見る。
午後三時十二分。
来館者、一人追加。
今日の来館者数、三人。
たった一人。
けれど、二時間近くいた。
「……まあ、暇つぶしでもいいか」
誰かが博物館に来る理由なんて、別に立派じゃなくていい。
自由研究でもいい。
観光でもいい。
昔を思い出したくてもいい。
涼みたいだけでもいい。
友達を待っているだけでもいい。
暇つぶしでもいい。
入口さえくぐってくれれば、
その人の時間の中に、
この場所が少しだけ入り込む。
それだけで、博物館としては十分なのかもしれない。
俺はパソコンの画面に戻る。
資料番号を入力する。
一件。
また一件。
午後三時二十分。
自動ドアが開いた。
「こんにちはー」
さっきの男だった。
俺は顔を上げる。
「どうしました?」
男は少し気まずそうに言った。
「友達、まだ来ねえ」
「……そうですか」
「もうちょっといていい?」
「どうぞ」
男は恐竜の展示室へ向かっていった。
俺は画面に向き直る。
そして、少しだけ笑った。
今日も、暇な一日になりそうだ。




