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学芸員と昔の家

「……不便ですね」


囲炉裏の前に座りながら、大学時代の後輩、松下が言った。


「いきなりだな」


高宮は苦笑した。


「だって」


松下は周囲を見回す。


低い天井。


土間。


畳。


小さな窓。


中央には囲炉裏。


壁際には、当時使われていた生活道具が並んでいる。


「電気もないし」


「うん」


「水道もない」


「そうだな」


「冬、寒そうです」


「囲炉裏はあるけどね」


「家全体は暖まらないですよね」


「まあ……」


高宮も改めて部屋を見る。


確かに、現代の生活に慣れていると、


不便という言葉が最初に出てくる。


---


松下は囲炉裏の縁に手を置いた。


「ここでご飯を食べてたんですか?」


「たぶんね」


「ここで?」


「そう」


「家族みんなで?」


「そういうことだろうな」


松下は少し考える。


「狭いですね」


「何人くらい住んでたんだろうな」


「五人とか?」


「もっといたかもしれない」


「……」


松下は黙る。


囲炉裏の向こう側を見る。


「こういうところで、毎日過ごしてたんですね」


「うん」


「朝起きて」


「うん」


「仕事して」


「うん」


「帰ってきて」


「うん」


「ここでご飯食べて」


「うん」


「寝る」


「そう」


「……不便ですね」


「二回目だな」


「でも」


松下は少しだけ笑った。


「それが普通だったんですよね」


「そうだね」


---


二人とも黙る。


館内のほかの展示室から、


かすかに空調の音が聞こえる。


ここだけ時間が少し遅い。


松下は畳を見ながら言った。


「テレビもないんですよね」


「ない」


「スマホもない」


「ない」


「インターネットもない」


「当然ない」


「夜、何してたんでしょう」


「話してたんじゃない?」


「毎晩?」


「毎晩」


「話すことなくなりそう」


「どうだろうな」


高宮は囲炉裏を見る。


「仕事の話とか、近所の話とか」


「はい」


「天気とか」


「はい」


「飯がうまいとか」


「……」


松下が高宮を見る。


「高宮さん、昔からそういう話好きですよね」


「何のこと?」


「酒とか、ご飯とか」


「生活の基本だろ」


「そうですね」


松下が小さく笑った。


---


「でも」


松下が言った。


「こういう暮らしって、案外悪くなかったのかもしれませんね」


「そう思う?」


「はい」


「さっき不便って言ってたじゃん」


「不便です」


「じゃあ悪いじゃん」


「不便なのと、悪いのは違いますよ」


高宮は少し意外そうに松下を見る。


「……確かに」


「今の生活より大変だと思いますけど」


松下は囲炉裏を見る。


「それでも、ここで普通に暮らしてたんですよね」


「うん」


「その人たちにとっては、これが普通だった」


「そうだな」


「だったら、本人たちは本人たちなりに幸せだったのかもしれません」


高宮は何も言わなかった。


古い家の中を見渡す。


今の自分たちから見れば、


不便で、


狭くて、


暗くて、


寒そうな家。


けれど、


ここで誰かが笑っていた。


誰かが飯を食べて、


誰かが眠って、


誰かが朝を迎えた。


「……まあ」


高宮は呟く。


「住んでみないと分からないよな」


「はい」


「俺たちが便利だと思ってるものだって、なくなったら案外困るし」


「そうですね」


「逆に、なくても生きてはいけるものも多い」


松下は頷いた。


「難しいですね」


「何が?」


「生活って」


「急に哲学っぽくなったな」


「神田さんみたいですか?」


「それは言わないほうがいい」


二人で少し笑った。


---


しばらくして、


松下が立ち上がる。


「そろそろ行きます」


「もう?」


「はい」


「じゃあ、また」


「はい」


松下は引き戸に手をかける。


その前に一度だけ振り返った。


「……ここ、好きです」


「そう?」


「はい」


「何が?」


少し考えて、


「何もないところが」


そう言って、


松下は外へ出ていった。


引き戸が閉まる。


古い家の中に、


また静けさが戻る。


高宮は一人、


囲炉裏の前に座り続けた。


何もない。


テレビもない。


スマホもない。


インターネットもない。


ただ、


畳と囲炉裏と、


静かな空間だけがある。


「……こういうのもいいな」


高宮はそう呟いた。


もちろん、


明日もここで暮らしたいとは思わない。


やっぱり電気は欲しいし、


風呂も欲しい。


冷蔵庫も欲しい。


それでも、


昔の人がこの場所で過ごしていた時間を、


少しだけ想像する。


それは展示物を見るのとは、


少し違う感覚だった。


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