学芸員と発表
「……嫌だな」
朝。
高宮は鏡の前でネクタイを締めていた。
今日は博物館ではなく、県内の別の博物館で開かれる学芸員の発表会の日だった。
年に一度。
県内や近隣の博物館、美術館などの学芸員が集まり、それぞれの調査や研究、展示について発表する。
一般の人間からすれば、かなり地味な集まりだ。
けれど、学芸員にとってはそれなりに重要な日だった。
「発表会って、どうしてこういう服装になるんだろうな」
ネクタイを締め終える。
普段ならTシャツでも構わない仕事なのに、こういう日だけ妙に堅苦しい。
鞄の中には発表資料。
そして、帰りに飲むための店を昨夜から考えている。
そこだけは楽しみだった。
---
会場に着く。
入口には知っている顔が何人かいた。
「お、久しぶり」
「お久しぶりです」
「今年も来たね」
「一応」
「一応って何だよ」
そんな挨拶をしながら受付を済ませる。
会場には、県内各地の博物館、美術館、資料館などから人が集まっている。
大学の研究者もいる。
専門分野も様々だ。
普段働いている博物館では、同業者と話す機会なんてほとんどない。
だから、こういう場所は少し新鮮だった。
---
午前十時。
発表会が始まる。
最初は古文書。
次は地域植物。
その次は戦時中の生活資料。
専門的な話が続く。
正直、全部が面白いわけではない。
それでも、
「そんな資料が残っているのか」
と思う瞬間がある。
知らなかったものを知る。
高宮はそういう時間が嫌いではなかった。
---
昼休み。
喫煙所に向かう。
同じように休憩している学芸員が何人かいた。
「疲れたな」
「まだ半分ですよ」
「それ言わないで」
笑い声がする。
高宮は煙草に火をつけた。
「高宮さん、午後ですよね」
「そうですね」
「何分でしたっけ?」
「二十分です」
「長いなあ」
「そうですか?」
「俺なら五分で終わる」
「内容が薄いだけじゃないですか」
「ひどいな」
笑う。
煙草を吸い終える。
「じゃあ、行きます」
「頑張って」
「はい」
---
午後一時。
高宮の番が来た。
壇上に立つ。
会場を見る。
知っている顔。
知らない顔。
思ったほど緊張しない。
「それでは、○○市に残る地域資料について報告します」
話し始める。
資料の概要。
発見された記録。
過去の記録との比較。
そこから分かったこと。
普段、博物館で一人でやっている仕事。
古い資料を読む。
日付を確認する。
別の資料と照らし合わせる。
記録の食い違いを調べる。
そうして積み上げたものを、
今日は人前で説明している。
二十分。
最後のページ。
「以上です。ありがとうございました」
拍手。
高宮は一礼して壇上を降りた。
「お疲れ」
隣の学芸員が小声で言う。
「どうでした?」
「寝なかった?」
「失礼ですね」
「冗談」
---
発表会が終わったのは午後五時。
その後、近くの店で懇親会が開かれた。
「高宮さん、飲みます?」
「飲みますよ」
即答だった。
「意外」
「そうですか?」
「なんか、あまり飲まなそうなイメージが」
「好きですよ、酒」
高宮はビールを受け取る。
「タバコも吸うし、酒も飲むし、コーヒーも好きです」
「嗜好品好きなんですね」
「そうですね」
グラスを軽く合わせる。
「いただきます」
一口飲む。
「……うまい」
昼間ずっと人の話を聞いていたせいか、酒がいつもより美味しく感じる。
---
「高宮さんの発表、よかったですよ」
「ありがとうございます」
「普段、ああいうことやってるんですね」
「まあ」
「いつも暇そうにしてるのかと思ってました」
「実際、暇な時間も多いですよ」
「でも、ちゃんと研究してるんだ」
「暇だからできるんです」
「なるほど」
笑いながら、二杯目を注文する。
酒を飲みながら、学芸員同士で仕事の話をする。
展示の予算。
資料の保存。
収蔵庫の問題。
人手不足。
来館者数。
どれも華やかな話ではない。
それでも、
同じような仕事をしている人間と話すのは楽しかった。
---
店を出たのは午後八時過ぎだった。
「じゃあ、また来年」
「また来年」
駅へ向かう途中、高宮は少しだけ酔っていた。
悪くない。
むしろ気分がいい。
今日はいろいろ話した。
知らない研究を聞いた。
自分の仕事について話した。
そして酒も飲んだ。
年に一度くらい、こういう日があってもいい。
駅に着く。
「……」
高宮は喫煙所を探す。
見つけた。
少し嬉しくなる。
「お」
迷わず入る。
煙草に火をつける。
夜風が気持ちいい。
酒の後の煙草は、少しだけ気持ちがいい。
煙を吐く。
「……いい日だったな」
誰もいない喫煙所で呟く。
---
帰宅。
時計を見ると、午後九時半。
普段ならここからもう一杯飲むところだ。
高宮は冷蔵庫を開ける。
缶ビールが一本。
少し考える。
「……飲むか」
プシュッ。
缶を開ける。
テレビをつける。
ネクタイを外す。
ソファに座る。
今日の発表会のことをぼんやり思い出しながら、ビールを飲む。
外では車の音がする。
部屋の中は静かだ。
仕事の日の終わり。
いつもの晩酌。
特別なものではない。
けれど、高宮にとっては、
こういう時間も仕事を続ける理由の一つだった。
タバコ。
酒。
コーヒー。
そして、古いもの。
自分でも少し変な趣味だと思う。
でも、
好きなものがいくつかある人生というのは、
案外悪くない。
高宮はもう一口、ビールを飲んだ。
「……明日、仕事か」
少しだけ嫌そうな顔をする。
そして、
もう一口飲んだ。




