学芸員と喫煙所
「……ふう」
昼休み。
高宮は博物館の裏手にある喫煙所にいた。
古い灰皿。
簡素な屋根。
ベンチが一つ。
それだけの場所だった。
けれど、高宮はここが好きだった。
タバコが好きなのはもちろんだ。
火をつける。
煙を吸う。
ゆっくり吐く。
その一連の時間が好きだった。
ただ、それだけではない。
喫煙所という場所そのものが好きだった。
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博物館の喫煙所は、建物の裏側にある。
来館者からはほとんど見えない。
公園の木々に囲まれていて、
少し歩かなければたどり着けない。
だから、普段はほとんど誰もいない。
高宮にとっては、それが良かった。
ベンチに座る。
火をつける。
蝉の声を聞く。
木々の葉が風で揺れる。
遠くから、子供の声が聞こえる。
それだけ。
「……いいな」
誰もいないので、独り言も気にならない。
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高宮は昔から、喫煙所が好きだった。
例えば高速道路のサービスエリア。
長距離を走って、
「ちょっと休むか」
と思って入る。
トイレに行く。
飲み物を買う。
そして、
喫煙所を探す。
看板を見つけた瞬間、
少し嬉しくなる。
「あった」
それだけである。
喫煙所があると、
そのサービスエリアが少し好きになる。
別に立派な喫煙所じゃなくてもいい。
建物の隅にある小さなスペースでもいい。
屋根があって、
灰皿があって、
外の空気を吸える。
それだけでいい。
むしろ、妙に立派な喫煙ルームより、
少し古びた屋外の喫煙所のほうが好きだった。
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「何がそんなにいいんだろうな」
高宮は煙を吐く。
喫煙所には、不思議な時間が流れている。
仕事中の人間が、
ほんの数分だけ仕事から離れる。
運転中の人間が、
ほんの数分だけ車から離れる。
買い物中の人間が、
ほんの数分だけ日常から離れる。
誰かと一緒にいても、
ここでは一人になれる。
そして、一人でいても、
なぜか孤独には感じない。
知らない人が隣でタバコを吸っている。
言葉は交わさない。
目も合わせない。
それでも、
「同じ場所にいる」
というだけで、
妙な安心感がある。
高宮はそういう距離感が好きだった。
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午後一時。
喫煙所にもう一人やってきた。
博物館の清掃業者の男性だった。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です」
それだけ。
男性は少し離れたところに立って、タバコに火をつける。
二人とも何も話さない。
蝉が鳴いている。
煙が風に流れていく。
しばらくして、
「今日は暑いですね」
「暑いですね」
それだけ話す。
そして、また沈黙。
高宮はこういう時間が嫌いではない。
むしろ好きだった。
無理に会話をしなくていい。
気を遣わなくていい。
タバコを吸い終われば、
「お疲れ様です」
と言って戻ればいい。
それだけ。
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午後三時。
高宮はもう一度喫煙所へ来た。
今度は誰もいない。
灰皿を見る。
自分がさっき消した吸い殻。
その隣に、誰かの吸い殻が一つ。
それだけ。
高宮は新しいタバコを取り出した。
火をつける。
煙を吸う。
吐く。
風が少し吹く。
木の葉が揺れる。
「……」
ふと思う。
この喫煙所も、
いつかなくなるかもしれない。
建物が古くなって、
改修されて、
喫煙所が撤去される。
今では珍しくない。
そのとき、
自分はきっと少し寂しく思うだろう。
別に大した場所ではない。
ただの喫煙所だ。
それでも、
何百本、何千本とタバコを吸った場所には、
それなりに思い出が残る。
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以前、サービスエリアで見つけた喫煙所のことを思い出した。
夜だった。
高速道路を走っていて、
休憩のために立ち寄った。
建物から少し離れた場所に、
小さな喫煙所があった。
周囲は暗い。
遠くに高速道路の照明。
車の走行音。
冷たい夜風。
知らない人が二人、黙ってタバコを吸っている。
高宮も隣に立った。
誰も話さない。
それなのに、
妙に気分が良かった。
「こういうの、いいんだよな」
あのときも、
そう思った。
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午後五時。
閉館。
高宮は帰る前に、最後の一本を吸いに喫煙所へ向かった。
夕方の公園。
昼間より少し涼しい。
蝉の声も弱くなっている。
ベンチに座る。
火をつける。
煙が夕暮れの空へ消えていく。
博物館の建物が見える。
古い建物。
薄暗い窓。
その裏側にある、
誰にも気にされない小さな喫煙所。
高宮は煙草を吸いながら、
「ここで働くようになってよかったな」
と、ふと思った。
学芸員の仕事が好きなのか。
博物館が好きなのか。
それとも、
こういう何でもない場所が好きなのか。
自分でもよく分からない。
ただ、
展示室の静けさも。
雨の日の館内も。
古い写真も。
そして、この喫煙所も。
全部ひっくるめて、
この場所が好きだった。
タバコを消す。
灰皿に押しつける。
立ち上がる。
「……帰るか」
誰もいない喫煙所を後にする。
明日もまた、
ここに来る。
そしてまた、
一本吸う。
それだけのことだった。




