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学芸員と豪雨

「……すごいな」


朝から、雨が降っていた。


ただの雨ではない。


先日の雨とは比べものにならない。


窓の外が白く霞んでいる。


公園の木々は大きく揺れ、枝が風に煽られている。


屋根を叩く雨音が、館内まで響いてくる。


ザーッ、というより、


もはや、


ゴォォォ……


という音だった。


「今日、休館にしなくて大丈夫なんですかね」


受付のおばちゃんが言った。


「どうでしょう」


高宮は窓の外を見ながら答える。


「警報とか出てないなら、たぶん大丈夫じゃないですか」


「でも、誰も来ないでしょうね」


「でしょうね」


二人とも外を見る。


誰もいない。


公園の遊歩道は川のようになっている。


「……」


高宮は少しだけ笑った。


「何です?」


「いや」


「何か楽しそうですね」


「そう見えます?」


「見えますよ」


「そうですか」


高宮は窓の外を見る。


雨はさらに強くなった。


「……こういうの、ちょっと好きなんですよ」


「雨が?」


「豪雨が」


「変なの」


「半端な雨より、こっちのほうがいいじゃないですか」


「何が?」


「どうせ雨なら、徹底的に降ってくれたほうが」


おばちゃんは呆れたように笑った。


「子供みたい」


「まあ、そうかもしれません」


午前十時。


開館。


当然、来館者は来ない。


自動ドアが開く気配もない。


電話も鳴らない。


外は相変わらず凄まじい。


高宮は展示室を歩きながら、窓の外を見る。


水滴がガラスを流れていく。


一つの水滴が別の水滴と合流し、


さらに大きくなって、


窓の下へ流れていく。


何となく、それを目で追う。


「……」


静かだ。


雨はあれだけ激しいのに、


館内は妙に落ち着いている。


むしろ、普段より静かに感じる。


外の音が大きすぎて、


他の音が全部消されているからだ。


空調の音。


時計の音。


自分の足音。


全部、雨の向こう側にある。


高宮は展示室の椅子に座った。


「……いいな」


誰も聞いていないので、


小さな声で呟いた。


午前十一時。


雨はさらに激しくなった。


窓の外がほとんど見えない。


公園の木々も、輪郭しか分からない。


スマートフォンを見る。


大雨警報。


河川の増水。


道路の冠水。


ニュースが次々と表示されている。


「……」


高宮は少しだけ興奮していた。


もちろん、危険な状況になってほしいわけではない。


ただ、


ここまでの雨を見る機会はなかなかない。


それが少し嬉しかった。


子供の頃もそうだった。


台風の日。


学校が早く終わった日。


窓から外を眺めて、


「すげえ」


と友達と話した。


外に出てはいけないと言われると、


余計に外が気になった。


雷が鳴れば、


少し怖いのに、


少しだけ嬉しかった。


あの感覚が、


ほんの少し戻ってきている。


昼休み。


高宮は弁当を食べながら、窓の外を見る。


雨はまだ止まない。


「これ、今日ずっと降るんですかね」


受付から声がする。


「予報では夕方までみたいです」


「じゃあ今日は誰も来ないね」


「たぶん」


「珍しく暇ね」


「いつも暇ですよ」


「それもそうね」


高宮は笑った。


そして、弁当を食べ終える。


午後から何をするか。


資料整理。


棚卸し。


清掃。


やることはある。


来館者がいないなら、むしろ仕事は進む。


でも今日は、


少しだけ窓の外を見ていたかった。


午後一時。


突然、


ドンッ!


という音がした。


雷だった。


建物がわずかに震えた気がした。


高宮は反射的に窓を見る。


「……おお」


また雷。


今度は遠い。


ゴロゴロゴロ……


「すごいですね」


「怖くないんですか?」


「ちょっと楽しいです」


「本当に子供みたいね」


「そうかもしれません」


高宮は窓際まで歩いた。


雨。


風。


雷。


誰もいない公園。


普段なら子供たちが走り回っている場所も、


今日は完全に無人だ。


遊具が風に揺れている。


ベンチは水浸し。


木々が大きく揺れている。


まるで、


いつもの公園ではないみたいだった。


「……こういう日に博物館にいるの、結構いいな」


「何がいいの?」


「分かりません」


高宮は笑った。


「でも、なんかいいんですよ」


午後三時。


雨が少しだけ弱くなった。


けれど、まだ普通の雨とは呼べない。


高宮は少し残念に思った。


「……弱くなったな」


「何か残念そうですね」


「ちょっと」


「変なの」


窓の外を見る。


さっきまで白く霞んでいた公園が、少しずつ見えるようになっている。


水たまりではなく、


もはや小さな池のようになっている場所もある。


それでも、人の姿はない。


「今日は結局、誰も来ませんでしたね」


「そうね」


「まあ、こんな日に来る人もいないですよね」


「当たり前でしょう」


「ですよね」


高宮は展示室に戻った。


午後四時。


雨が止み始めた。


屋根から落ちる水滴の音だけが残る。


雲の隙間から、少しだけ光が差してきた。


あれだけ激しかった雨が嘘のようだった。


高宮は外に出る。


公園は一面、水浸しだった。


木々から水滴が落ちている。


池のようになった遊歩道。


折れた小さな枝。


濡れたベンチ。


いつもの公園なのに、


少しだけ違って見える。


高宮はしばらく立っていた。


「……すごかったな」


誰に言うでもなく呟く。


先日の雨も好きだった。


けれど、


今日の雨は別格だった。


怖いくらいの雨。


それなのに、


博物館の中にいると、


なぜか安心して眺めていられた。


閉ざされた窓の向こうで、


世界が一時的に別の姿になっている。


そんな感じがした。


午後五時。


閉館。


高宮は最後に窓の外を確認する。


雨は完全に止んでいた。


静かな公園。


水たまりに夕方の空が映っている。


今日一日、


誰も来なかった。


仕事もそれほど進まなかった。


でも、


悪い一日ではなかった。


むしろ、


久しぶりに少しだけ楽しかった。


「……また降らないかな」


そう思ったところで、


自分でも少し笑ってしまう。


「いや、さすがにもういいか」


外へ出る。


空気は雨に冷やされて、


少しだけ涼しくなっていた。


高宮は傘を閉じる。


そして、濡れた公園を歩いて帰る。


明日はきっと、


いつもの暑い夏に戻っている。


蝉が鳴いて、


子供が走って、


老人が散歩して、


誰かが博物館へ入ってくる。


今日みたいな特別な日は、


またしばらく来ないだろう。


だからこそ、


ちょっとだけ楽しかった。


そんなことを考えながら、


高宮は家へ向かった。

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