8.人殺し
夜中だが、まだ人通りは多い。近くを通り過ぎた数人の若者のグループが邪魔そうに道の真ん中で立ち止まっている俺をよけた。
俺はビル群を見上げた。自殺するというからには身投げをするのだろうか。そういえば電話口からは強い風の音が聞こえる。
「人を殺したから、自分も死ぬか?」
時間稼ぎをしようとして、俺は先ほどのマキタの発言に言及する。少し間を空けて電話口の声が応えた。
「いや、そうじゃないよ。誰かを殺しても生きていけるよ。ただ、僕が言いたいのは、僕は死んだほうがいいくらいの理由はあるってことだよ」
「お前は死ぬべき人間だが、今死にそうな理由は別にあるって言いたいわけか」
「そうだよ。だって自分一人じゃ死ねなかったから。殺人の罪に耐えかねたのなら、それを苦に黙って死ぬものだろうから」
「場所を言ってくれ、すぐに行く」
「これは、遺言なんだ。最期の時間なんだ。聞いてくれよ」
「ごめんだね。お前を助けた後に、酒の肴としてなら聞いてやってもいい」
この遺言とやらを聞いた後にマキタがどんな行動を取るかは、火を見るより明らかだろう。慎重にならなければという理性と、友人の死の予感に焦る本能が、心の中でない交ぜになっているのを感じた。
自分の次の手を決めかねている間にマキタが話し始める。
「前に、生まれながらに歪んだ、って話したろ?」
「ああ」
「配られた手札で勝負するしかない、って言ってたよね」
「……」
ポーカーの手を一枚ずつ明かすように、ゆっくりと話が切り出される。
「僕は遺伝子検査でエリートの判定を受けたんだ。推定IQは200を超えていた。両親は祝福しただろうね。神に感謝さえしたかもしれない。幼い頃は何人もの家庭教師に勉強を教わったよ。その中に数学のオリンピックの金メダリストまでいた」
自分の過去を語るマキタの声は、まるで歴史の教科書に書いてあるテキストを読み上げるように無味乾燥なものだった。感情を揺らしたくないという意志なのかもしれない。
「でも、見ての通り、僕は平凡な人間になってしまった。フリーランスで糊口をしのぐ生活だよ」
「はは、奇遇だな。俺もおんなじ職業だよ」
電話越しだが、マキタが微笑むのを感じた。
「僕は何かを成さなきゃならないんだ。人より優れた何かだ。代わりの効かない何か」
「それが人殺しだったか?」
「ふふ、自殺者を引き留める話し方じゃないね、それ」
言葉とは裏腹に、リラックスした時のような、いつものマキタの声が聞こえてきた。これで悪くないはずだ。この調子で話をしていけば自殺を思いとどまらせられる。話を続けようと俺は努めた。
「それで?続きを聞かせてくれるんだろ?」
「もうすぐさ」
一呼吸したマキタは言った。
「人生は配られたカードで勝負するしかないんだろ?僕にきたのは美しい手札だった。僕はそれを活かせず、勝負に負けた」
街の人混みが、この上なく騒々しく感じた。
「負けたのは、単に僕が弱かったから。それだけの理由しかないように思えているよ。その弱さに、流されて、流されて、最後には人様に顔向けできない罪を負ったんだ」
一気に語ったその言葉は、清々しささえ感じさせるようなリズムに乗せられていた。言いたいことを言った。そんな雰囲気をマキタの声から感じた。
まずい……まずい!
「そろそろだ。じゃあな、ユキ」
「おい……」
電話からは着信が切れた音だけが聞こえた。




