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冤罪遺伝学  作者: 早雲
第五幕
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7.知らない

「……いつか、ナツさんは言ってましたよね。遺伝情報を形成したのは偶然という名前の神様だ。そしてそれは犯罪捜査において物証という科学の神だ」


 彼は笑った。


「俺は少しでも神様を出し抜きたいのさ」


 彼は運命論者だ。でも運命には抗いたいのだ。


 こんな形で運命に抗いたい人間に、一体何が言えるというのだろうか?


「俺はあんたに期待していたんだ、ナツさん」


 向けられた視線を正面から受けとめるのがつらかった。思わずそらしてしまいたかった。


「この任務は俺にとって一縷の望みでもあった。もしかすると、あんたなら、作れるんじゃないかって。どんなカードでも引ける夢のようなシステムを」


 吐き捨てるように彼は言った。


「くそったれ。そんなもの誰にも出来やしないんだ」


 遺伝子工学はいつかはそこに届くかもしれない。でも、その前にDNA鑑定の与えた影響は彼の人生に深く根差してしまった。彼を振り分けてしまった。


 いや、そうじゃない。


「俺たちは、そう生まれたら、そう生きるしかない。選べる道なんて、ほんのわずかだ」


 そうじゃない。本当は、彼は何にでもなれた。どんな可能性もあった。自分で道を切り開けた。


 恵まれない人なんていくらでもいる。彼は先天的なギフトを持っていた。


 それなのに人生は彼の手のひらから零れ落ちていった。


「ナツさん、あんたはなんでも持っているじゃないですか。あんたが普通だって?冗談じゃない。俺はそんな環境に生まれなかったんですよ」


 彼は望むように生きるべきだった。望むように生きられるように努力するべきだった。それができなかったのは、単なる甘えなのだろうか。


「俺だってね、あんたみたいに恵まれた人間だったら、こんなくだらない事なんかしやしない。ナツさん、あんたみたいに強くてまっすぐで、賢い人間になったはずなんですよ」


 私は、どうだったろうか?


 私が今まで見てきたことや経験したことはすべて普通以上の、恵まれた事だったのだろうか?


 まあ、そうかもしれない。


 だけど、そんなに簡単な事かな。


 恵まれたって言ったって、案外人生うまくいかないもんだぜ?君が遺伝子に恵まれても上手くいかなかったように、私だってそれなりだよ。いつでもうまく行くわけじゃないんだ。


 私は君より持っているものが多いかも知らない。でも、なんの苦しみもないわけじゃない。それをどうやって伝えられるのだろう。


 私に、何が言えると言うのだ。私だってここに、死んでもいいと思って来たのだ。


 私は口を開こうとして、結局つぐんだ。


 それらしいことを言うのはやめよう。


 ユキには私の考えを伝えたかった。それは彼が前を向こうと抗っていたからだ。その抗いは、きっと私のものと似ていたからだ。彼は同志だったからだ。


 本田君は、多分それを望んでいない。彼は同志じゃない。


 彼が私の人生を知らないように、私も彼の人生を、何も知らない。


「まあ、私と君は、違うからな」


 悲しい気持ちが胸に広がった。


「君が私に怒りを向けているのは分かるよ」


 それだけではないかもしれないという事も。もしかしたら、倒錯した形の憧れなのかもしれないという事も、なんとなく私は感じた。


「恵まれた人間に対する怒りも、なんとなく理解できるよ」


 違う。


「君とは分かり合えないんだろうな」


 本当に言いたかったのは、そうじゃなかった。


 どんなカードが来るかなんて、誰にもわからない。


 次に引くカードはきっと悪くない。


 本当はそう言いたかった。


「じゃあな」


 私はその場を離れることにした。


 私は前を向く。


 彼は後ろを向く。


 私が正しいのだろうか、彼が正しいのだろうか。


 私はこぶしを握った。


 本当は思いのたけを声を枯らして伝えるべきなんだろう。


 あるいは怒りでもいい。真崎さんを直接手にかけたのではないにせよ、彼が彼女を殺したのは明白だ。


 だから、怒りを彼に向けて、ぶつけたっていい。


 こぶしを握った手をほどいた。


 私の言葉が何だというのだろうか。彼に何か言って、それで何が変わるというのだろう。


 踵を返し、本田君に背を向ける。


 私は何も言わずにそこを離れようとした。

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