7.知らない
「……いつか、ナツさんは言ってましたよね。遺伝情報を形成したのは偶然という名前の神様だ。そしてそれは犯罪捜査において物証という科学の神だ」
彼は笑った。
「俺は少しでも神様を出し抜きたいのさ」
彼は運命論者だ。でも運命には抗いたいのだ。
こんな形で運命に抗いたい人間に、一体何が言えるというのだろうか?
「俺はあんたに期待していたんだ、ナツさん」
向けられた視線を正面から受けとめるのがつらかった。思わずそらしてしまいたかった。
「この任務は俺にとって一縷の望みでもあった。もしかすると、あんたなら、作れるんじゃないかって。どんなカードでも引ける夢のようなシステムを」
吐き捨てるように彼は言った。
「くそったれ。そんなもの誰にも出来やしないんだ」
遺伝子工学はいつかはそこに届くかもしれない。でも、その前にDNA鑑定の与えた影響は彼の人生に深く根差してしまった。彼を振り分けてしまった。
いや、そうじゃない。
「俺たちは、そう生まれたら、そう生きるしかない。選べる道なんて、ほんのわずかだ」
そうじゃない。本当は、彼は何にでもなれた。どんな可能性もあった。自分で道を切り開けた。
恵まれない人なんていくらでもいる。彼は先天的なギフトを持っていた。
それなのに人生は彼の手のひらから零れ落ちていった。
「ナツさん、あんたはなんでも持っているじゃないですか。あんたが普通だって?冗談じゃない。俺はそんな環境に生まれなかったんですよ」
彼は望むように生きるべきだった。望むように生きられるように努力するべきだった。それができなかったのは、単なる甘えなのだろうか。
「俺だってね、あんたみたいに恵まれた人間だったら、こんなくだらない事なんかしやしない。ナツさん、あんたみたいに強くてまっすぐで、賢い人間になったはずなんですよ」
私は、どうだったろうか?
私が今まで見てきたことや経験したことはすべて普通以上の、恵まれた事だったのだろうか?
まあ、そうかもしれない。
だけど、そんなに簡単な事かな。
恵まれたって言ったって、案外人生うまくいかないもんだぜ?君が遺伝子に恵まれても上手くいかなかったように、私だってそれなりだよ。いつでもうまく行くわけじゃないんだ。
私は君より持っているものが多いかも知らない。でも、なんの苦しみもないわけじゃない。それをどうやって伝えられるのだろう。
私に、何が言えると言うのだ。私だってここに、死んでもいいと思って来たのだ。
私は口を開こうとして、結局つぐんだ。
それらしいことを言うのはやめよう。
ユキには私の考えを伝えたかった。それは彼が前を向こうと抗っていたからだ。その抗いは、きっと私のものと似ていたからだ。彼は同志だったからだ。
本田君は、多分それを望んでいない。彼は同志じゃない。
彼が私の人生を知らないように、私も彼の人生を、何も知らない。
「まあ、私と君は、違うからな」
悲しい気持ちが胸に広がった。
「君が私に怒りを向けているのは分かるよ」
それだけではないかもしれないという事も。もしかしたら、倒錯した形の憧れなのかもしれないという事も、なんとなく私は感じた。
「恵まれた人間に対する怒りも、なんとなく理解できるよ」
違う。
「君とは分かり合えないんだろうな」
本当に言いたかったのは、そうじゃなかった。
どんなカードが来るかなんて、誰にもわからない。
次に引くカードはきっと悪くない。
本当はそう言いたかった。
「じゃあな」
私はその場を離れることにした。
私は前を向く。
彼は後ろを向く。
私が正しいのだろうか、彼が正しいのだろうか。
私はこぶしを握った。
本当は思いのたけを声を枯らして伝えるべきなんだろう。
あるいは怒りでもいい。真崎さんを直接手にかけたのではないにせよ、彼が彼女を殺したのは明白だ。
だから、怒りを彼に向けて、ぶつけたっていい。
こぶしを握った手をほどいた。
私の言葉が何だというのだろうか。彼に何か言って、それで何が変わるというのだろう。
踵を返し、本田君に背を向ける。
私は何も言わずにそこを離れようとした。




