6.憧れ
エレベータを降りるとき、眼鏡にかかった前髪がうっとおしかったので、私は髪をかきあげた。私の仕草を見て、彼は言った。
「ナツさん、そんな風にしていると……」
「なに?」
「あんまりドクターには見えないですね」
「そうかな、結構普通だと思うけど」
私がそう言うやいなや、ホンダ君は全力で首を横に振った。
「いやいや、ナツさんの自己評価がすでにおかしいんですよ。二十五歳で博士号を取った人が言う『普通』なんてあてになりません」
私の意見を否定しつつも、私自身のことは褒めてくれる。嬉しいことは嬉しいのだが、あまり褒められ慣れていないから恥ずかしい。
「ナツさんは美人ですけど、男っぽいしゃべり方するのは、なんでですかね」
「そうか?喋り方、変かな」
やはり恥ずかしかったので、美人の方はスルーした。
「全然変じゃないですよ、ピシッとしててかっこいいです」
少しだけ、ほっとしている自分に気がついた。私はくすぐったいような気持ちをごまかすように言った。
「からかうのも、大概にしたまえよ」
本田君はクスクスと笑った。
そして、少し目を伏せていった。
「やっぱり、ナツさんみたいな立派な人は、生まれが違うんでしょうね」
私は少し自分が怪訝な表情をしているのを感じた。
「どうかしたのかい?」
「知り合いが言ってたんですよ。『人生は配られたカードで勝負するしかない』って……例えば、俺たちには生まれながらにして、タグが付けられている。個人の同定に使われるDNAの特定の領域の配列。それは生涯変わらないものじゃないですか。だから、生まれの違いかなって」
あまり聞いたことのない、彼の弱音みたいなもの。もしかしたら真剣に答えるべきかもしれない。そう思って私はゆっくり考えながら言った。
「……私たちをタグ付けされた存在に「してしまった」のは一九八五年に有名な科学誌に掲載された論文と、それを書いた若い学者だ。彼が書いたDNA指紋に関する論文は人間の個人識別を可能にしてしまった」
私は進化学の学者が書いた本に書いてあった記述を思い出して言った。
「偶然の神の御業を、人間が勝手にタグにしてしまった。環境と偶然により意図されず形作られた配列を、意図して個人識別のための鑑定技術に利用した……だから、多分、偶然の神は科学的客観性という神に変容した」
本田君が目を伏せて、わずかに頷いた。
「ま、でも」
私が上げた気楽な調子の声に本田君が顔を上げる。
「私たちの仕事って、もしかしたらそんな世界を変えるものかもしれないよ?」
この言葉に、彼がどう思ったのかは分からない。でもその時、彼は吹っ切れたような表情で笑った。




