3.対峙
社員証をかざした。ピッと小気味よい音を立てて扉のロックが外れる。半信半疑だったが、本当にアクセス権限が付与されていたようだ。
真っ白なブラックボックス。D-genes社のビルの敷地をまたいだのはそこまで久しぶりではないはずだが、とても長い間ここには足を踏み入れていないような気がした。最後に来たのは赤坂さんと対峙した時だ。
部屋の奥には黒いスラックスに黒いシャツを着た男が立っていた。私は見慣れた後姿に声をかける。
「やあ、久しぶり」
本田洋介は振り返りながら言った。
「お久しぶりです」
ここは密会にはうってつけだ。セキュリティクリアランスと連動してこの部屋に入る権限が付与されており、それは一部のものにしか与えられていないためだ。
私はレザージャケットのポケットに入れていたモノを取り出して実験台に滑らせるように放った。
「コーヒー、どうぞ」
私のセリフに驚きながら手元に滑り込んできた缶コーヒーをキャッチする。
「P2実験室ですよ?正気ですか」
その素朴な反応に、私の知っている本田君を見た気がして笑いが込み上げてきた。
つかつかと、彼の方へ向かう。
「長い夜になりそうだしね」
それに死んでも構わないから、という言葉はかろうじて飲み込んだ。
手を伸ばしてもギリギリ触れない距離で立ち止まる。
実験台にバイクのヘルメットを置いた。いつもの習慣だった。
本田君はプルタブに指をかける。
「コーヒーにうるさいナツさんにしては、珍しいですね」
自分の片手にもう一本持っていた缶コーヒーのプルタブを引いた。本田君も缶コーヒーを開ける。カシャっと景気のいい音が響いた。
「まず、聞きましょうか。どうしてここに来たんですか」
「君が呼んだんだろ?ユキのSTR配列の削除を餌にして」
私は言いながらも説明をすることにする。
「あとは、私の相棒が引き受けてくれるからね」
「相棒ね」
私は質問を返した。
「君こそ、どうして私を呼んだんだい?」
これが私を始末するための罠なのであれば、こんなバカげた会合は設定しないはずだ。
「さあ。どうせ来ないと思ってましたから。ですが、もしかしたら説明を聞きたいかと思いまして」
「説明か」
一番聞きたいことを聞くことにする。
「真崎さんや赤坂さん、それにユキの友人を殺したのは君か?」
「その通りです。二人は直接手に掛けたわけではないですが」
本田君とアカサカさんに告白されるかも、とかふざけたやり取りをしていたことが脳裏によぎった。過去を振り払い追及を続ける。
「君が殺させたのか?」
本田君は私から目をそらし、横を向いた。そちらの方向には大きなクリーンベンチしかない。
「例えば赤坂。彼は知りすぎていたから、死ななければならなかった」
口元を歪めた。
「彼はリークしようとしたんですよ。冤罪遺伝学のこと。ホワイトハッカーを雇ってね」
「……」
「そのホワイトハッカーがナツさんの相棒ですね。フユモト ユキヒト。一度挨拶しましたよ」
彼はつぶやいた。
「馬鹿な人達だ。今更抜けれるはずがないところまで来ていた。赤坂も真崎も。二人はあの冤罪遺伝学システムを作った張本人だ。なぜ正義ぶろうとしているのか僕には分かりませんでしたね」
横顔からは彼の内面はうかがい知れない。何を考えているのかが分からない。怒りよりも先に、恐怖が勝る。
「真崎さんは、なぜ?」
自分の声が震えるのを感じた。
「分かっているとは思いますが、彼女だって善人じゃない。冤罪遺伝学の技術コンセプトも、ビジネスプランも彼女が考えたものです。シンセバイオを通じて海外に輸出することだってあの人のアイディアだった」
「だからって、殺していいはずが……」
言葉は続かなかった。私が馬鹿なせいでプロジェクトを利用された。私もこのシステムを作った一人だ。誰かを弾劾することなんて、なぜ私にできるのだろう。
うつむいた私に彼が声をかける。
「そうです。殺していいはずない」
彼は淡々と言った。
「でも、仕方がないじゃないですか。彼女が自身の罪を外に漏らせば、それはすなわちこの国の醜聞です。少なくとも警察の上層部はほぼ全員が解任されるでしょう。強力な冤罪装置をあろうことか他国に売ろうとしていたんです。海外メディアからのバッシングも激しくなる。その情報をリークするということは国際情勢のリスクですらある」
自分の仕事を勝ち誇る様子もなく、すっと言葉が吐かれた。
「だから殺した」
実験台に腰掛けて、長い足を組んだ。
「もう一人、言ってましたね。『ユキの友人』、マキタ ショウゴ」
私は御徒町で聞いたユキの話を思い出した。『あいつは、馬鹿野郎だ』。そういったユキの顔には自責の念があった。本当に大切な友人だったのだ。自殺したことに対して悪態をいつまでも尽きたくなるような。
淡々と語っていた本田君が、ここで初めて自称気味の笑みを浮かべた。
「マキタを殺したのも俺です。ほかの二人と違って、俺が直接手に掛けたと言っていい」
「なぜ笑って…」
「ちなみに赤坂の殺人事件は、彼の部下の小西が犯人として捕まっています。ですが、それは知っての通り冤罪です」
「システムの実証のための実験だったんだろう」
私がそう答えると、本田君は相好を崩した。
「おお、流石ですね。では、本当の殺人犯は誰だと思いますか?」
答えられなかった。実証だったという事実に目が行ってしまい真犯人が誰かということに意識が向いていなかった。
本田君はそんな私の様子を見て、とっておきを差しだすかのように言葉を口にした。
「あれは傑作ですよ。何せ、赤坂を殺したのは、マキタなんですから」
「え?」
思考が停止する。ホンダ君は言葉をつづけた。
「赤坂を殺したのはマキタ。マキタに俺が指示して赤坂を殺させた。当然、殺人罪で捕まった赤坂の部下は冤罪です」
そして、と彼は言った。
「冤罪遺伝学システムの実証ですよ。PoCとしてアカサカの殺人の罪を別の誰かに着せた。このレポートで実際にこのシステムが、法治国家の司法行政に通用することも示した」
恐らく、システムの買い手にそのレポートを示した、ということだろう。
「あいつは俺と一緒で、警察組織の一員だった。非公式ではありますが」
「オオカミか」
「通称をご存じですか……ああ、真崎から聞いたんですね」
一人で納得したように頷いた。
「俺がマキタに自殺を強要した。自殺じゃなくてもいいんですけどね。拒んだら殺したので」
どこか、楽しそうにしゃべる。
「でも、 強要されたことを理由に、マキタは自ら死を選んだ」
私は話を聞き、どこか夢うつつだった。ここまで話を聞かされて、多分私は生きて帰ることはできないのだろう。
その時、通知音がした。




