7.動揺
銃声のような破裂音が夕空に響き渡った。
ここは真崎さんと会ったホテルの近くの公園。バイクを乗り捨てた場所だ。目当ての私のバイクは二晩経っても変わらずにそこに駐車されていた。良かった。変な輩に持っていかれていなくて。
これは私のセーフゾーンだ。死地に赴くまでは安全を抱えていたかった。
キックで起こしたエンジンの音を聞きながら、そのままシートにまたがる。ヘルメットをかぶった後に一度外していた眼鏡をかけた。
アクセルを絞りながら、クラッチをつなげる。力強い推進力を感じた。公道に出て、すぐにギアをセカンドに切り替えた。
行き先に向かって、スピードを上げる。
〇
漫画喫茶の個室で私とユキはこの危機を脱する手だてがないかを話し合った。解決のめどは立った。だが時間は残されていない。
焦る最中、一通未読のメールが増えたことに気がついた。スマートフォンのメールサーバーを開きっぱなしにしていたのだ。件名の下に本文の冒頭が見える。
『手打ちにしませんか。冬本之人のSTR配列を……』
メールの差出人は本田洋介。
黒いバンの助手席に座った、拳銃の発砲を制した男の姿が浮かんだ。多分、彼がそうだったのだ。
タップしてメールを開く。
『手打ちにしませんか。冬本之人のSTR配列をデータベースから削除することを条件にD-genes本社のブラックボックスに一人で来てください』
さらにスクロールすると文面と写真が表示された。画面から目が離せなくなる。スマートフォンに表示された文字列を何度も反復したが、意味は変わらない。
私の様子をおかしく思ったのか、ユキが声をかける。
「どうした?何が書いてある」
かろうじて私は声を振り絞る。
「真崎さんが、死んだ……」
私は体勢を保っていることができずに床に倒れそうになる。合皮に覆われたクッション素材が手に触れた。
自分の目が信じられなかった。
「意味がわからない」
怒りに任せて放った呻き声は自分のものではないようだ。
ユキは私が落としたスマートフォンを拾い上げ、メール文を目で追って言う。
「真崎は間違っていた……交渉にすらならなかったんだ」
「わからないって……」
先程目に入った文章が頭の中を反芻する。
彼女の遺体はシンセバイオから数キロ離れた県道付近で遺棄された。詳細は書かれてなかった。送られてきた写真を見ると、遺体に損傷があった……オオカミの尋問にあったんだろう。
彼女がどんな目に遭ったのかを想像して耐え難く胸が悪くなる。
ユキが気遣わしげに言う。
「ナツ……」
「わからないって言ってるだろ!」
自分の大声が静かな店内に響く。その声がさらに自分の思考を逆なでする。気持ちが悪い。
私は手で頭を覆い、床に突っ伏した。何も考えたくない。知りたくない。
静かな声が降ってきた。
「真崎明日香のことだったんだな……ナツの……」
激流が渦巻いた。コーヒーの黒と血しぶきの赤。彼女の声が聞こえた。私が跳ねのけたカップが割れた。彼女の無感情な目が虚空を見つめていた。あの時、なんでもっと話そうとしなかったのだろう。
流れの速さは増していく。轟々とうるさい。私のせいだ。私の。
〇
オレンジに染まった道を走り抜ける。カーブが来た。からだを使ってバイクを横に倒す。車体は大きく傾いて進行方向を変え続ける。カーブを抜ける瞬間にスロットルグリップをひねって、傾いていた車体を立ち上げる。
立ち上がりの瞬間はいつもと同じ。昨日感じたもう一人分の重みはない。平均体重より標準偏差一個分の大きい重さを感じない。
私は一人だ。
ユキに伝言を残して、反対を押し切って一人で向かった。エンジン音とヘルメットに入り込んでくる風切り音を聞いて、ひたすらに進んでいく。
多分、死地に赴くことになる。
もしかしたら、真崎さんと同じ場所に行くかもしれない。
その予測は奇妙な安堵感を私にもたらす。




