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冤罪遺伝学  作者: 早雲
第三幕
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10.振り分け

 粛々と作業をするのは嫌いじゃない。構築されたネットワークをチェックしていく。どこが問題か炙り出すために通信ログを見てパラメータをいじり実験する。通信がうまくいけば次の問題に取り掛かる。


 チェックと実験と改善を繰り返して、期待した通りにミラーサーバーが動作していることを確認した。D-genesのデータベースが手元のPCに構築された。


 DNAのデータベースをチェックしていく。


 人の名前、そして俺には理解できない文字列。誰も彼も、等しくただの文字列に落とされていく。


 俺は昔の友達を思い出した。冬でもトレーナー姿で、コートもダウンも羽織っていなかった女の子。


 ある日その子は言った。


『ユキちゃんと同じ学校には、いけないの』


 どうして、と聞く俺はあまりに子供じみていたのかも知れない。その子は答えた。


『ケンサの結果なんだって』


 テストの成績ならまだ納得するだろう。努力する機会があるのに本人のやる気がなかった。そんな説明もできるだろう。


 だが、よくわからない検査とやらで、なぜ振り分けられるのか。意味がわからない、と俺は言った。


 怒りながら疑問を発した俺と違い、その子は素朴に不思議がっていた。


『おとうさんと、おかあさんは、私にごめんね、ごめんね、って言うの。どうしてあやまるんだろう』


 その女の子はおっとりした性格で、テキパキした子供と比べたら、確かに利発そうには見えないだろう。


 だが、その子は優しかった。誰かが隠れて泣いていたのを察して、優しい言葉をかける子だった。嫌なことや悲しいことがあった友達に、その子は大丈夫?と声をかけた。


 同じ年でなぜそんなに人に優しくできるのだろうと驚いた。尊敬の念をおぼえたと言ってもいい。いや、もっと単純に、俺はその子の優しさが好きだったのかも知れない。


 でも、優しさは加点対象にはならないらしい。


 生まれる前に勝手に配られたもので、俺たちは振り分けられる。俺が初めてこのゲームにうんざりしたのは、多分、この時だったのだろう。


『もうあんまり会えなくなるねえ』


 ゆっくり、呑気に聞こえる声音には、寂しさも混じっていたんじゃないか。薄れる記憶に反するようにその声だけが大きくなっていく気がした。


 あの時、本当は俺にできることがあったんじゃないか。俺の持っているいくつかのカードを渡せたはずなんじゃないか。いつもの思考のループに入り込みかけた。


「わあ、出来てるね、すげえ」


 無邪気な声が俺を現実に引き戻した。ふと気がつくと、ナツが俺の作業しているデスクの隣に立っている。モニタを覗き込んで黒いターミナルの画面に表示されるステイタスを眺めていた。


 夜も更けてきた。事務所の電灯はそんなに光量が強くないから、ほんのり薄暗く、モニタの明かりが目立つ。


 俺はモニタを見ながら呟いた。


「不公平だよな」


 彼女の銀縁の眼鏡が少し光を反射した。モニタからゆっくりと視線を俺の方に向けた。何かと聞きたげな表情だ。


「性別も人種も病気のリスクも才能もあらゆることがすでに決まっている。それなら、なんで俺たちは自分の人生の責任を自分で取らないといけないんだろうな」


 多分、正しくない表現だから口を挟まれてもおかしくない。だが、ナツは黙って聞いている。


 中学の頃の生物の授業を思い出した。ああ、本当にうんざりしたっけ。俺は口をつくままに言葉を並べた。


「昔、こんな言葉を知ったんだ。『人生は配られたカードで勝負するしかない』。同じクラスには、勉強も運動も出来て、ゲームも持っているヨシイ君と、勉強も運動もまったくできない、冬でもトレーナーで過ごさなければならなかったミサキちゃんがいてさ。彼らに配られたカードが同じだとはちょっと思えなかったよ」


 そして配られたカードの最大の違いは、遺伝子検査で進学先が振り分けられたときに明らかになった。


 あの子とはあれっきり、会うことはなかった。もしかしたらどこかで今はいい暮らしをしているのかも知れない。そんな希望は甘すぎるだろうか。 


 あの子の姿に、マキタの姿が重なる。俺がマキタに冷たく言い放った言葉は、俺も現実に向き合いたくないが故の思考停止だった。


 ナツはデスクに少し腰掛けて俺の話を聞いている。


「中学の時に生物の授業で、どうやら生まれる前からカードが配られているということに気が付いたんだ。学校の授業でメンデルの法則を習った。生まれつき顔や体形が異なることは知ってた。だけど、その親世代、いやずっと前の祖先の特徴が俺たちに反映されていることは衝撃だったよ」


 歯止めが効かなくなる。こんなことを言うべきではないのに。


「ナツはよく知っているだろ?遺伝子っていうカードは、生まれる前に配られ終わっている」


 言い終わってすぐ後悔した。馬鹿なことをナツに聞かせてしまったと思った。


 ナツは俺の意見に反対するような気がしていた。数週間だが行動を共にして、なんとなくだが分かった。こいつは立派だ。真っ当に生きて、努力して、だからこそ、人間の可能性を信じている。


 ナツの表情を伺うように見た。その表情はいつもと大きく変わらず、切れ長な目を少しだけ伏せただけだ。多分、今の話は気に入らなかったのかもしれない。俺はそう思った。


 だから、ナツが口にした言葉が俺には意外だった。


「私もそう思うよ。人間は渡された手札で人生をやっていくしかない」


 いつも抑揚の抑えられたしゃべり方だが、今は意識してフラットにしゃべっているように思えた。


「トランプで手札が不公平なのにゲームが公平に成立する理由は、何度も繰り返し勝負するからだ。繰り返しゲームをやるから、手札の運は平等にならされていく」


 D-genesの実験室で見た遺伝子検査結果を示すカードのようなインターフェースがよみがえった。伏せられたカードが一枚一枚めくられていく。


「集団としての進化はそうかもな。何度も繰り返すトランプのゲームみたいに、何度も、何世代も子を産み、たまたま環境に適したやつが生き残る。何度も勝負できるから、集団としては一、二回の失敗は大したことじゃない」

「だが…」

「うん、だけれど、私たち現世に生きる人間にとって、人生は一度だ。集団遺伝学でいう一、二回の失敗っていうのは、私たち個人の人生そのものが失敗するってことだ。人生がゲームだとするなら、たった一度きりの勝負なんて、大変すぎるよな」


 そうだ。抗えない大きな力。遺伝子だけじゃない。どこに生まれたか、誰のもとに生まれたか。人の憎しみの歴史を勝手に背負わされることもあるだろう。自分の自由意志に果たして意味などあるのか。そう思わざるを得ないような、大きなうねり。


「DNAをタグにしたのが人間の勝手なら、こんな風に進化を運命づけたのは神様の勝手だ」


 俺はデスクに目を落とした。そうだろう。多分、俺は間違っていないのだ。そしてそう思った途端、諦念が胸を覆った。


「でもさ」


 デスクの塗装されたスチール以外に何も映ってない視界に、手の甲が、とん、という音を立てて入ってきた。ナツの手だ。


 俺は思わずナツを見上げた。ナツはデスクに手を置きながら、少しだけ、声を張り上げた。


「でもさ、次に何のカードが来るかだって、誰にも分からないんだぜ? 私、君に会えて良かったもん」


 少年みたいに笑う口元が見えた。


「50%だよ」

「?」

「遺伝子が人の行動に影響を与える割合」


 静かにナツは言った。


「カードって案外沢山引ける」


 駄々をこねるように俺は言う。


「新しく引くカードだって、所詮ランダムの、選べない手札を増やすだけだ」

「それでも次に何が来るかわからない」


 ナツは勝気に言った。


「それに、別に遺伝子だって生まれた時のまんまじゃないんだぜ。一世代のうちに変異もある。小さな変化かもしれないけど、確実に変わる」


 暗い事務所がほんの少し明るくなったように思った。


「私がしようとしてた事業は遺伝子治療だよ。変わらないと思ってることだって、変わっていくとは思わない?」


 そうか、月明かりが入ってきているんだ。そう気がついた。何か言おうと思って俺は口を動かす。


「ナツは……」

「ん?」

「いや、なんでもない」


 なんだよ、というナツから目をそらして、口をついて出そうになった言葉を心の奥底に隠そうとした。だが、隠しきれず心の中だけでそらんじた。


 まるで、君は希望そのもののような姿で、月明かりはまだ途切れない。

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