9.ミラーサーバー
「うぅ、頭痛い」
次の日の朝、ナツは手を頭部に当てながら事務所にやってきた。珍しくヘルメットを持っていない。二日酔いでバイクには乗れなかったようだ。
ナツは荷物をソファに置きながら俺の方を向いた。
「なんか、私、酔って恥ずかしいこと言ってなかったか?」
酔う前からテンション上がってたのは恥ずかしくないのだろうか?俺は言った。
「酒を飲む前だが、『こんな日はビールだと思わないか、若者よ!』と言ってたぞ」
自分で聞いておいてナツは俺の言葉をスルーして、作業デスクを指さす。
「それにしても、いま何の作業をしてるんだい?随分たいそうな感じだけど…」
台の上には比較的大きなサーバー用のデスクトップPCを置いていた。
「ミラーサーバーの構築」
ナツは怪訝な顔をした。
「今追っている件と別の仕事?」
確かに何も説明していなかったので、不審な行動に見えただろう。俺は説明する。
「いや、今回の件だよ。D-genesの例のデータベースを調べるときに、一回一回アクセスするわけにはいかないから、今はこっちのPCにダウンロードしているんだ」
ナツは頷いた。俺は話を続ける。
「だが、それだと向こうのデータベースが更新されたときに、こっちの情報は古いままだ」
「それで自動的にこっちのサーバーにあるデータベースも更新するというわけか」
「そう。データベースに何か手がかりが追加されるかもしれないし、システムの開発状況やアクセスした人もわかる」
ナツは腕組みして言った。
「もうこのサーバーは動いてるのか?」
俺は答えた。
「もうすぐだ。もともと構築済みのサーバーを転用しただけだから、そんなに時間はかからないな」
「へえ、すごい」
ナツが素朴な驚きを表した。正直あまり大した技術を使っていないのだが、それはそれで悪いことではない。有り合わせの材料を組み合わせて目的を達成するのもハッカーの本懐だ。
じっとサーバー用のコンピュータを見つめながらナツは言った。
「これって、どうやってデータベースのミラーリングをするんだい?」
「……結構複雑だし、あんまりおもしろくないと思うぞ」
ナツは食い気味に言った。
「いいから、教えてよ」
この時の俺は少し優越感に浸っていたことを告白しなければならない。大抵の場合、ナツの方が博識で俺が教わる側が多かった。ようやく自分の専門分野で、このクールで澄ました美人に優位に立つことができる。
この考えが浅かったことはすぐに思い知ることになる。
数分後、俺は自分の椅子にもたれかかりぐったりしていた。
「なるほど、よくわかったよ!ありがとう、面白い話だった」
ナツはニコニコした顔で満足げにそう話した。一方の俺は疲労困憊した声で言った。
「どういたしまして」
サーバー構築の話について、大量の質問をされた俺は自分の脳がオーバーフローしているのを感じた。サーバーのみならずコンピュータ科学全般に質問は及ぶ。中には俺が考えたことすらないこともあった。
喜々として質問してくるナツを無下にはできず、俺はできる限り質問に答えていこうと試みたが、途中から少し投げやりになってしまった。先ほど優越感に浸っていたことを恥じた。
元の作業に戻ろう。俺はアクセスしているユーザーをチェックしていく。
「アクセスしてきているのは、D-genes、警察庁、そしてシン……なんて読むんだ?」
俺の問いかけにナツは答えた。
「シンセバイオだね。シンドローム計画において、D-genesのパートナー企業だ」
「シンセ……シンドローム計画ではなんの役割を担っていたんだ?」
「D-genesでは基本的には健康に関連する遺伝子を読んで検査して、レポートに出すことを事業にしている。だが、別のサービスで他の会社と提携して、DNAを書くこともするんだ」
「DNAを書く?」
分からない概念が出てきて俺は混乱した。人生色々経験したつもりだが、中々知らないことは多い。
「ああ、遺伝子の塩基配列を調べることを読むっていうだろ?ATCGの文字列として。その逆、特定の遺伝子を合成する事を書くっていうんだ。D-genesがパートナーシップを結んだシンセバイオはDNAを書く会社だ」
「ああ、DNAを合成することを書く、と言っているのか」
「ちなみにシンセはシンセシス、合成って意味だ」
ナツはsynthesisとホワイトボードに書いた。
「書いたDNAってのは何に使うんだ?」
「例えば、簡易検査として使われるPCRはターゲットの遺伝子の存在を調べるために、短いDNAを使って調べるんだ。その短いDNAは検査したい遺伝子に合わせて、配列をデザインしなければならない。だから用途ごとに書き出す必要があるんだ」
あまり俺はわかっていなかったが、今ちゃんと理解しようと質問を考える余裕はなかったので、生返事をした。
「なるほど」
「あとは、特定のタンパク質を作らせる為にデータベースの遺伝子のDNAを『書き出して』そのDNAを別の生物に組み込む、とかな」
「そんなことできるのか……すげえ」
「まあ、解析を含めれば、DNAの読み書きそろばん、と言ったところかな」
思わず感心してしまった。やはり俺は教える側より教わる側らしい。




