6.経歴
俺はモニタに表示された、整形されていないPDFのデータをいかに手早く整えるかを考えていた。
「これは、ちょっと大変だな」
事務所のPCのモニタ前に座ってうんうん言っている俺を見かねたのか、ナツが隣から声をかけてくる。だが、今はその言葉に応じる余裕がなかった。
俺はあの髭の新聞記者の言葉に従い、公開データを漁っていた。目的はD-genes社の黒田本部長と赤坂課長の経歴調査だ。
だがこれが思いの外上手くいかない。黒田はいくつか会社の広報インタビューに応えており、略歴が記載されていたが、赤坂はそれすらない。
ナツも彼らの経歴をしっかりとは把握していなかった。確かに同じ会社の同僚だからと言って母校や前職のことまで根掘り葉掘り聞く方が珍しいかもしれない。
情報が少なすぎる。
困った俺たちは赤坂の研究とその共著を洗う作業を始めた。周辺情報を調べて輪郭を洗い出す作業だ。だが、それが面倒の始まりだった。
赤坂の名前が入った論文と特許が山ほどあったのだ。相当数が引っかかってきた。
「全部が赤坂さんの仕事じゃないかもしれないけど、結構彼は優秀だったんだな……」
ナツが驚いたような呆れたような声を出した。
だがこっちは喜んでもいられない。いちいち手作業でちまちま所属や共著の情報を抜き出して行くのは面倒だ。
俺がそう思っている矢先、ナツが画面から俺に目を向けた。
「いや、じっと考えてるところ悪いけど、手作業でやっても二時間もかからないんじゃない?」
「?」
「だから、エクセルとかワードとかなんでもいいけど、見つかったサイトや資料を片っ端からコピペして整理していけばいいのでは?」
俺は肩をすくめた。
「ナツ……もし淹れたてのコーヒーに、俺がガムシロップとコーヒーフレッシュを入れたらどう思う?」
ノータイムでナツが答えた。
「人間性を疑うかな」
言い過ぎな気がするが、まあ良い。
「これは美学の問題だ。例えカフェインを摂取するという結果が同じでも過程には拘るだろ?」
道理を噛んで含めるように伝えるが、ナツは腕を組んだ。
「無理筋だと思うけど最後まで聞いてやるよ」
不敵に微笑みながら俺の座っている横に立つナツには不思議な迫力がある。どうも完膚なきまでに言い負かされそうな気配に冷や汗をかくが、俺は持論の展開を続けた。
「つまり、検索した情報を手作業でエクセルにちまちま文字列を入力して行く作業は、俺の美学に反するってことだ。いや、もはや犯罪と言っていい」
この手のブルシットジョブは人がやるのを見ているだけで震え上がるし、自分がやることを想像すると吐き気が止まらないことすらある。
ナツは呆れたため息をついた。
「なるほどね…私としては手作業でも二人がかりでやったっていいんだけど」
ソファに座り込んだ。俺が座る時よりソファの沈み込みは小さい。
「私の下についてたTech-PMが似たようなこと言ってたな。エンジニアの美学は三つ。怠惰、怠惰、怠惰」
よく言われているのは怠惰、短気、傲慢なのだが、俺は笑った。
「怠惰を極めて勤勉に行き着くこともしばしばだな」
「本末転倒って、このことだと思うけど」
「それも含めて美学だ。そのTech-PMとは気が合うかもな」
一瞬、彼女の表情にかげりが見えた。変なことを言ったかもしれないと心配になる。だが、ナツはすぐに普段の声音で言葉を投げてよこす。
「じゃあ、私はしばらく休んどくから、作り終わったら声をかけてくれ」
ソファに寝っ転がりながら、少し嫌味な声が投げかけられる。
「君の美学で作られた、完璧で整理されたエクセルシートを、さ」
〇
「なあ、俺は門外漢だからよくわからないんだが」
「多分私はエキスパートだからよくわかるかもな。それで?何が聞きたい?」
俺も情報セキュリティの分野はエキスパートだと思っているが、まあいい。
ナツが嫌味な言葉を俺に、自分の身をソファに投げてしばらくして、俺は形式の違う複数のデータを処理する方向性を決めた。テキストエディタでスクリプトを書いて期待通りに動くか確認していく。その間ナツは寝ていた。
ようやくコードを書き終わり、処理が終わったときには一時間五十五分が経過していた。手作業で行ったときの見積もりは二時間だったので、五分ほどは巻いたことになる。
どうだ、見たか、とナツに言ったらかわいそうな人を見る目で見られた。
頭を切り替えて、モニタに表示されている使い捨てで書いたスクリプトによって出力されたcvsファイルの一つの行を指して、俺は自分の疑問を伝えた。
「これはどう説明する…赤坂は警察庁直下の科学警察研究所に所属していた」
赤坂慎二には、警察に研究者として勤めている経歴があった。専門は遺伝子鑑定だ。D-genes社から警察庁に一五〇億円の資金が流れている。その事実と照らし合わせると奇妙な一致だ。
ナツは神妙な顔でつぶやく。
「それも法科学第一部か」
「法科…?」
「部門ごとに研究対象が分かれているんだ。法科学第一部は生物学的な捜査手法の研究を請け負ってる」
俺は赤坂が何の仕事をしていたか理解しようと、csvファイルにまとめてある赤坂が著者の論文名を見ながら言った。
「MAD…何の略だ?」
「Murder Analysis Databaseだな」
ナツはソファに深く腰掛けた。
「殺人事件のデータベースだ。被害者の検死や現場の、容疑者の指紋や歯形、そしてDNA情報も一元化して管理するためのデータベース。赤坂さんはその構築に関わっていた……」
「すると……この技術をD-genes社のSTR配列のデータベースシステムの開発に応用した?」
「ありえなくはない」
言い淀むナツに俺は質問を追加する。
「赤坂は科学警察研究所からD-genesに出向という形をとってポストを得ているが、こんなことあるのか?」
公的機関から民間会社も無くはないだろうが、珍しいように思った。ナツは俺の疑問に答える。
「そもそもだが、この科学警察研究所、科警研という組織は閉鎖的なんだ。中途採用どころか、新卒すら数年に一回とるかとらないかと言ったところだ」
「そうなのか」
「人材の流動性の低さにかけては軍事研究所といい勝負かもな」
だとすると、この経歴はやはりおかしいということになる。だが、俺は別の気になったことを聞く。
「さっきも思ったが、詳しいな」
「何に?」
「この科警研って研究組織にだよ。組織の構造とかわざわざ調べないと出てこないと思うが」
ナツはうつむいた。しばらくモニタの下の部分を見ていたかと思ったら、ふと俺の方を向いた。
「赤坂さんが行っていたのは遺伝子鑑定の法科学第一部だ」
「そう言っていたな」
「そこには私の大学の先輩がいるんだ。彼女は赤坂さんと会っているかもしれない」
そして、とナツが言葉を紡ぐ。
「そして、君が見せてくれたSTRデータベースのアクセス権を持つユーザーのメールアドレス」
masaki.asuka@npa.go.jp
警察庁のドメインを持ったメールアドレス。あのアドレスの発見がこの不審な事態に巻き込まれる契機だった。
「真崎明日香。あれは彼女のアドレスだ」
ナツの言葉に俺は驚いた。だが、同時にこの事態を解消する希望が見えた。
「その人と連絡をとれば一撃で解決するんじゃないか」
俺の感じた希望は、ナツの言葉ですぐに潰えた。
「何度も取ろうとしている。でも音信不通だ」




