4.グループ
「犯罪捜査のための遺伝子データベース……なぜこんなものが」
俺の呟きに伊藤夏希が反応した。
「それは私が知りたいくらいだが……」
考えている様子の彼女に、俺はまだ考えるための前提条件すら足りないことに気がついた。とっかかりを得るために素朴な疑問をぶつける。
「STR配列、と言ったな。普通の遺伝子データと何が違うんだ?」
じっと逡巡して、ゆっくり彼女は答えた。
「STR配列はゲノム上のバーコードだと思えばいい。配列の差を見分けることで遺伝子鑑定による個人の同定を実現する」
「なるほど、その技術を犯人探しに使っている、と」
俺は納得したことを示すために首肯した。
だが、まだ疑問は残る。腕を組み、片手を顎に乗せてテーブルの上のモニタを注視している彼女に俺は言った。
「そもそも何であんたはこの件に関わっているんだ?」
会社の命令でこの件を調べているという可能性もあるのだが、どうも先ほどからの様子は、異なる動機を感じる。とても個人的な。
ふう、とため息をついて彼女は腕組みを解いた。
「私に起こった事も話すべきだな」
ソファを指して、座っても?と聞かれたので、俺は手で促す。彼女がソファに座ったのを見て、俺も反対側の同じ型のソファに腰掛けた。
彼女は言った。
「私は事業推進の責任者としてD-genes社のあるプロジェクトを進めていた。シンドローム計画というものだ」
聞きなじみのない単語が、一拍おいて記憶をよみがえらせた。そうだ、確かデータベースの名前が……
「プロジェクト・シンドローム……」
俺の反応をどう思ったのか、彼女の表情からは読み取れなかった。彼女は淡々と説明を続けた。
「microRNAによる遺伝子発現制御を応用したオーダーメイド予防医療の技術構築と市場投入を目的とした計画だ」
説明がまったく頭に入ってこず、一瞬思考が停止する。素直な感想が口から出た。
「なんだって?」
聞きなれない言葉を聞きなれない言葉で説明された俺は困惑した。
流石に彼女も俺に伝わっていないことは読み取ったらしく、平易な言葉に言い換えた。
「……遺伝子検査して悪いところを見つけてその人にあった治療を遺伝子レベルで行う商売をしようとしてたんだ」
優しい単語にされても、わかったようなわからないような感覚にさらされた。あまり深追いしない方が良さそうだ。
伊藤夏希はスパッと歯切れ良く言葉を続けた。
「そして、このデータベースはシンドローム計画で作られたものだ」
なんだって?
「はあ?だとするとあんたがこの事件の原因じゃねえか」
彼女は冷静に、とでも言うように手のひらを振った。
「早まるなよ。私が作ったんじゃない。というより、シンドローム計画を利用して勝手に裏で作られたデータベースだ」
そんなことがあるのかと不思議に思った。だが、もしそうだとすればかなり有利なポジションにいるのではないだろうか?
「プロジェクトの責任者といったな。だったら内部でこの件を調べられるんじゃないか」
「調べてたらよくわからん理由で懲戒免職くらいそうになったんだ。いまは元社員だ」
俺の浅はかな期待はすぐに裏切られた。一瞬落胆するがすぐに思い直す。元社員だとしても、彼女はD-genes社の関係者だ。そして今は会社と対立するポジションにある。
この人の話を深ぼればかなり真相に近づく。そう安堵した俺を見透かすように彼女はいった。
「何より問題なのは人が死んでる事だ。君に仕事を依頼した赤坂さんは最初自殺と思われていたけど、翌日になって彼の部下だった男が殺人容疑で捕まった」
言外にまだ安心できる状況じゃない、と釘を刺されたような気がした。確かに未だ危機の真っ只中にいることに変わりない。
自分を落ち着けるために、ゆっくりとソファの背もたれに身体を預けた。
「……俺の知り合いもだ。自殺のようだが……正直何がなんだかわからない。いきなりだったんだ」
「その件、自殺のままとは限らないかもな」
ソファから乗り出すように彼女は言った。
「他の誰かが犯人として逮捕されるかも。赤坂さんの件も、電話で遺言を聞いたといっていた彼の部下が逮捕された」
……俺もあいつから電話を……。
彼女は言った。
「これが単純な殺人事件出ないとすれば…暴力を厭わない誰かがこの事件の裏にいる」
モニタにはターミナルの黒い画面。彼女の声が続く。
「身を守る必要がある」




