10.血相
オフィスにはいない。メールも電話も通じない。赤坂さんへのコンタクトを一通り試したが無駄だった。大きな会社にいると社内であっても中々会う機会もない。
シンセバイオの広報であるシェパードが訪問した日を思い出した。彼がシェパードとコソコソ密談のようなことをした直後に、彼のシンセバイオへ出向が決定された。
何かがおかしい。『ブラックボックス』で赤坂さんが『告白』してから異常だとは思っていたが、ここにきて本格的に気持ちの悪い空気をまとってきた。
だが、プロジェクトの本筋でもやらなければならないことが多くある。そちらに時間を取られている間に、本田君の調査の報告から一週間近く経とうとしていた。
私はしびれを切らし、再び彼のオフィスへ向かうことにした。確か情報システム部は10階だ。エレベータに向かうときに、見知った顔を見た。
「よう」
「なんだい、こんな場所で会うなんて珍しい」
小橋君は廊下の自動販売機の近くの壁にもたれかかっていた。普段は別の階で会計関係の仕事をしているので、同じ建物でも用事がない限りは、そこまで頻繁に顔を合わせることはない。
「この自動販売機に珍しいジュースでもあるの?」
彼はクスリともせずに壁から体を離す。
「あんたを待ってたんだよ」
妙に深刻だ。
「…どうして?愛の告白なら間に合ってるぜ」
ごまかそうとして珍妙なことを口走ってしまう。どうも私は緊張を色恋沙汰の冗談で紛らわそうとする癖がある。
「聞いたか?」
彼は低い声で言った。赤坂さんの出向の件だろう。
「耳が早いな。黒田さんの指金みたいだな。彼の横暴さには驚いてるよ」
「何を言っているんだ?」
ねめつけるような視線。小橋君の表情が私に冗談ではないと告げている。
「赤坂のおっさん…死んだぞ。あんた、一体何を調べてるんだ?」
「は?」
廊下には私たちだけだったが、オフィスの扉が開く音がした。
「来てくれ」
文句を言う彼を半ば無理やりビルの外へ連れ出す。ビルのエントランスから出ると残暑の熱気が肌にまとわりつくようだ。気にせずに皇居の方面へ歩いていく。昼間のビジネス街は人通りがそんなに多くない。
私は短く小橋君に聞いた。
「どうやって知った?」
小橋君は戸惑いながらも答える。
「情報システムの知り合いだよ。赤坂の部下で、情シス内で経理担当に予算の話を聞いてたんだ。赤坂には内緒でな」
きっとその彼がこの前小橋君が言っていた小西という人だろう。
皇居の堀には濁った水が秋の日差しを反射していた。
「そいつが今朝血相変えて俺の席にやってきた。警察から電話があったってな」
「……」
「すでに通報はしているが、社内で知っている人間はまだ多くない。反応を見る限り、あんたもまだ知らなかったみたいだな」
「本当に亡くなったのか」
「自宅のマンションで首を吊ったんだ。目覚ましの音がずっと鳴り止まない、と近隣住民から苦情が出て大家が発見したらしい。他殺の線も消えてはいないそうだが、状況からは自殺と見ているそうだ」
信じられない思いで、私は虚空を見つめた。赤坂さんが私に打ち明けた秘密、シンドローム計画の裏側、冤罪遺伝学。その暴露が彼を追い詰めて殺したのだろうか?
「それにあんたに頼まれた、予算の話だ」
「……これ以上何が……」
「計上されてないけど、説明つかん支出があるんだよ。横領かと思ったけど、あまりにでかい」
「支出?」
「一五〇億円程度の」
「……かなりの額だな」
「いくつか消去された関連データを復元したんだ。そしたら研究予算がついていた。どことのものだと思う?」
「シンセバイオか?」
彼の答えは予想を大きく裏切るものだった。
「警察庁だよ」
隣から私にアカウンタビリティーを要求された。
「もう一度聞くぞ。あんた、一体何を調べている?」
目の前の景色がゆがむ。かろうじて紡いだ言葉は間抜けなものだった。
「私にも何が何だか……」
〇
もっと不可思議な事態になったのは、その二日後だ。
「赤坂のおっさんは自殺だと思っていたのが、他殺だった。そして、その犯人が小西と来たもんだ。本当に訳が分からん」
犯人として赤坂さんの部下が捕まったのだ。小西悟。彼こそが小橋君が情報システム部の予算データを手に入れた際の協力者だ。赤坂さんの遺言を聞いたと言っていたが、それは狂言だったと結論づけられているようだ。
煙が渦巻く魔境のようなエネルギッシュさを持つ飲み屋街の一角で、私達は待ち合わせた。社内でこんな話をしたくない、というのと、飲まなければやってられないとの理由から小橋君の希望で焼き鳥屋で話すことになった。
小橋君は渋い顔で砂肝の塩を頬張り、ビールを流し込んだ。
「訳の分からないと言えば、金の話もだ。前に、俺が小西に頼んで調べてもらったデータはセキュリティクリアランスがかかっていた」
私もビールを頼んではいたが、とても飲む気にはなれない。
「セキュリティクリアランス?資料にアクセスできないってことか?」
「俺は経理関係はシークレットまでは閲覧権限があるはずなんだけどな。俺が見られないってことはトップシークレットってことになる」
「それと今回の件にどう関係を?」
「上場している株式会社としてあり得ない金の隠し方をしているってことだ。多分、計算がずれた分の金は、今D-genesがやっている何かの事業の利益と相殺して隠す予定だったんだろう」
「そんなことできるのか?」
「工夫次第だな。利益ってものはキャッシュと違って実体がないから、どのタイムスケールで計算するかによって大きく数字が変わる。どっかのでかい企業の粉飾決算だって監査法人じゃ不正を発見できずに、内部告発があってようやく調査するに至ったしな」
小橋君はふと目をカウンターに伏せた。
「やはり小西が赤坂のおっさんを殺したってのは、信じられん」
一応報道で知った事実を私は口にした。
「赤坂さんの遺体に皮膚片が付着していたそうだ。皮膚片のDNAがその小西さんのものと一致したと」
「皮膚片?」
「ああ。報道では詳しく書いてなかったけど、おそらく遺体の爪に残ってたんだろう」
通常、自殺する際は紐状のものを括り付けて自分の体重によって頸部を圧迫する方法がよく見られる。縊死と呼ばれる死に方だが、これは絞死とは区別される。例えば後ろから紐により首を絞められて死亡した場合は、法医学的観点から絞死と判定される。絞死による自殺はほぼないと言っていい。
今回の赤坂さんの死は、自身の手による首つり自殺を装った絞死だった。これが他殺の線を浮上させ、第一発見者の小西が疑われた。そしてDNA鑑定が決め手となったというわけだ。
そう言ったことを一通り説明したら嘆息とも呆れとも取れるように小橋君が言った。
「随分詳しいんだな。さすがに遺伝学の研究者だと犯罪捜査についても知識があるのか」
私は首を横に振った。
「いや、たまたまだよ。詳しい人と仲が良かったんだ」
少し訝し気な顔で小橋君は訊いた。
「警察に知り合いでもいるのか?」
「……いや、ただのマニアの友達だよ」
あまり大っぴらに言っていいことではないような気がした。小橋君はなんだ、と言いながらビールを呷る。
本当は、大学の先輩が科学警察研究所にいた。それを思い出して心を乱される自分自身が嫌になった。
普段なら不快に感じるであろう居酒屋に充満する焼き鳥の煙は、なぜか安心を誘った。私の表情を少しでも隠してくれているような気がしたからだ。
多分、今の私は苦虫をかみつぶしたような顔をしているだろうから。




