8.部外者
D-genesの丸の内本社、摩天楼が見下ろせるガラス張りの会議室は社外の来客を案内するにはぴったりの場所だ。高いところから眺めるビル群は迫力があるし、このような立地に居室を構えられるという会社の資金力のアピールにもなる。気にしない人は気にしないのだが、少なくとも会社のお偉いさんとしては、その種のことを意識しないではいられないようだ。
今日、来客として迎えられたシンセバイオのジョン・シェパードが、会社の見栄ともいえる眺めに何を思ったのかは分からない。彼の表情からは感嘆するような様子も、呆れた様子も見て取れない。
彼は、我々が出したコーヒーに口をつけながら言った。
「日本の人は何を考えているかよくわからないと言われますけど、コーヒーの味もはっきりしませんね」
最初から慇懃無礼さは感じていたが、その印象はよりくっきりしてくる。文化の違いと捉えるべきか、単に彼の性格か。
私の隣に座っている本田君はあからさまに嫌そうな顔をしている。彼はあまり彼のことが好きじゃないのかもしれない。
私は冗談ともつかない彼の言葉を聞き流しながら今日の話し合いの議題を切り出す。
「連携案の詳細についてですね」
「ええ、是非顔を突き合わせて行いたくて」
これは方便だ。何せすでに連携案の計画は技術的な具体や事業方針までディスカッションされていて意思決定者と現場ともに合意をとっている。今更担当の窓口と話すことはあまり意味がない。
だから今回の会合は、単に連携を深めているとお互いが確認するための行為だ。これも一つの儀式と言える。
意味があるとすれば、彼にD-genes社内を見学してもらうことだろうか。提携先の会社がどんな様子かを実際に見るというのはあまり数値には表れない大事な情報を掴むことに繋がる。要はパートナーとしての価値があるか、引き続き確かめる意味合いがあるのだろう。
「では現状をまとめてみましたので、まずはレビューからしましょう。プロジェクトの計画に対して、現時点の進捗は……」
「いえ」
シェパードが遮った。本田君の怪訝な表情が視界の端に入った。
シェパードはそのまま要求を述べた。
「アカサカ・シンジに会いたいのですが」
「赤坂さん?」
「情報システム部のマネージャーの方です」
私は予想外のことに驚いたが、表情に出さないようにする。
「なぜでしょう?」
なぜプロジェクトの人員に含まれていない他部署の人間の名前が出るのだろうか?
会議室の扉が開いた。入ってきたのは赤坂さん、その人だ。
「こんにちは、ジョン」
慌ただしく扉を閉めながら赤坂さんは言った。たどたどしい英語だが、気にしないとでも言うように笑顔でシェパードが応じる。
「今回はありがとう、シンジ。社内のシステムを見せてもらえるとのことだったね」
「ええ、こちらへ」
突然の展開すぎて理解が追いつかない。私は日本語で赤坂さんに問いかけた。
「説明してもらえますか?何故プロジェクトに参画していないあなたが今日のアテンドをすることになっているのでしょう?」
「ええ、すみません。何か手違いがあったようで。黒田さんから仰せつかったんです」
「黒田さん?」
「また時間もないので、後ほど」
赤坂さんとシェパードは早々に会議室から出ていく。
わけもわからず私と本田君は目を合わせた。
〇
「馬鹿な」
役員に食ってかかったのは生まれて初めてかも知れない。私の言葉に低い声で黒田本部長が応じる。
「口に気をつけろ」
私の隣で本田君がハラハラした様子なのがわかった。深呼吸をする。
シェパードとの会議が中断されてすぐに私は黒田本部長に状況の報告と相談のためのミーティングを申し込んだ。赤坂さんがシンセバイオのシェパードのアテンドに割り込んだことについてだ。先ほどとは異なる社内用の地味な会議室の枠を取っていた。
だが、そこで私は思わぬ情報に混乱していた。
「……申し訳ないのですが、状況が飲み込めません。なぜ赤坂課長が突然シンセバイオに出向して、シンドローム計画の連携担当になっているのですか?」
「問題があるか?」
問題しかない。プロジェクトの方針の大部分は決まっており、ほぼ定期路線に差し掛かってきているのだ。ここにきてアクロバティックな人事が炸裂するとはまったく予想していなかった。
この計画にずっしり重い何かが眠っていることが、ようやく肌に沁みてきた。
その知覚が、きっと私をピリつかせている。
「彼が今回のプロジェクトで役に立つとは思えませんが」
赤坂さんの能力についてどうこう思っているわけではない。単にこの人事が気に入らないというだけの理由で文句を言った。
怒りを滲ませるかと思ったが、黒田本部長は意外に冷静だった。
「奴は元々遺伝学の研究者だ。君と同じくな。技術者としては不足ないだろう」
「そんなことを言っているんじゃありません」
「何が言いたい?」
「不思議なんですよ。なんの理由があって子飼いの男をお使いにやっているんですか」
黒田本部長は大きな目をギョロリとさせて睨みつけた。
「覚悟があって発言していると思っていいんだな」
彼の低い声と険しい表情はかなり場数を踏んできたであろう迫力を醸し出している。だが、私が引く理由は何もない。私は口を開いた。
だが、私が言葉を発するより先に本田君が猛烈な勢いで割り込む。
「黒田本部長、本当に申し訳ございません。ナツ……伊藤さんこのプロジェクトにかなり強い思い入れがあって、多分混乱してるんだと思います」
結果的には彼のフォローで冷静になった。いけない。ここで感情的になっても何もいいことはない。
本田君は理由をつけ、ミーティングを早々に切り上げた。
「すみません!では、失礼します!」
本田君は一瞬黒田さんの意図をうかがうかのように目礼した。すこし間が開いて私と本田君はその会議室を出て廊下に出る。
本田君は私についてくるよう手招きをして、別の近くの空き会議室に入り扉を閉める。普段の呑気さとは打って変わって本田君は絶望感ある表情になっていた。
「ナツさん、あんた役員とのミーティングの場で何言ってるんですか?」
シンドローム計画の裏で何か進んでいる疑いがあるとは言え、あまりに感情的になりすぎた。
「う、ごめん…」
「……まあ、訳の分からない事態になっているのは俺にも分かってきましたけどね」
普段の呑気な声音に戻しながら本田君は話し出す。
「それで、頼まれた件なんですが」




