7.同期
「それにしても、情報システム部の予算?何だってそんなもの……」
小橋君は小言を言いながらキーボードを繰った。
「悪いね」
私が言うと彼はもごもご言った。
「まあ、こっちも色々融通してもらってるからな」
私は中途採用だから、同期という概念はあまり無いのだけれど、それでも同時期に入社した社員とはよく話す。D-genesは中途採用でも研修などのカリキュラムが充実していたので、何かと顔を突き合わす機会が多かったのだ。
経理部に所属している小橋君はそんな同期の一人だった。もともと外資系の監査会社で会計士として働いていたようだが、あまり働き方が肌に合わなかったらしい。そこでD-genesに転職することとなった。多少年収は落ちてもキリキリ競争せず飲み会がある日本の企業がいい、とは本人の言だ。
社内のオフィスの一室。いくつかある社内の会議室を予約して、私は彼に頼んだ調査の結果を聞いた。私は小橋君に情報システム部の予算内訳を知ることができないか頼んでいた。
情報システム部に注目した理由はシンプルだ。赤坂さんの所属部署だからだ。元々彼は研究開発部で笹本さんの下にいた技術者のはずだ。だが、異例の人事で情報システム部の管理職につくことになった。
今の所属部署が彼のしようとしていることとどう関係あるかはわからないが、包括的な情報を得るのに予算の流れから追うのは悪くないだろう。少なくともデータベースを構築するためには、システムや設備構築が必要だ。そうなれば予算は誰かのポケットマネーというわけにはいかないはず。
小橋君は渋い顔でコーヒーをすすった。
「情報システム部の予算としては例年と変わらんね。別に特段変な箇所があるとは思えないが」
「そうなのか?」
「ああ、ここ数年、ほとんど変動なしだよ」
「内訳も?」
「総額も内訳も全然変わりないね。ウチの情報システム部は基本的に保守を仕事にしているからな。年毎で予算なんて変わらないさ」
私はあてがはずれ、ガッカリし、缶コーヒーをあおった。予算申請額の変動を見れば、あのメールの事実確認ができるかと思っていたが、その予想は甘かった。
「それにしても、情報システム部ね」
「それがどうかした?」
「いや、そこの課長の赤坂のおっさん、よくわからん人だよな」
「…どうしてそう思う?」
小橋君の反応に私は自分が色めきだったのを感じた。彼には赤坂さんから警告を受けたことは知らせていない。彼が赤坂さんにどのような印象を持っているのか気になった。
「んん、まあ詳しいわけじゃ無いけどな。赤坂さんはあんまりいい噂を聞かんぜ。秘密主義で独断で色々物事を進めたがるってな。あんたが情報システムになんかあるんじゃないかと思ってるのはそのあたりがかかわっているんじゃないか?」
P2実験室で陰謀論を聞かされたから、とは答えづらい。
だが、味方は多いに越したことはない。問題は社内の誰がこのプロジェクトにかかわっているか、分からないということである。事情はすべて打ち明けてしまったほうが良いだろうか?
「まあ、詮索はいいや。俺だって内々に情報を取っておきたいことくらいはあるからな」
私は少し罪の意識を感じた。
「悪いな」
「気にするな。協力者もいるしな。そんな大変な仕事にはならんさ」
「協力者?」
「情報システム部にいる赤坂のおっさんの部下と仲がいいんだ。小西ってやつなんだが知ってるか」
「あんまり知らないな……情報システムとやり取りはあまりしないしな」
「いい奴だぜ。まあそのうち一緒に飲みにでも連れていくよ」
小橋君は善良そうな顔で、それはそうと、と話を変える。
「本田は最近どうだ?元気にしているか」
「相変わらずだよ」
「仕事したくないと愚痴るだけ愚痴って、その実ワーカーホリックだからな。うまくやっているか」
「なんだい、気になるの?」
「ここに転職したての時にちょっと世話になったんだ。社歴は本田の方が上だが、こちらを立ててくれてな。会社のシステムで分からない部分があったときに、色々教えてもらった」
リラックスしたように彼は足を組み替えた。
「何度か飲みに行ってた時があってな」
「知らなかったな」
小橋君はわずかに口角を上げた。ほほえみのように見えるが微妙な表情だ。
「飄々としているようで、意外に繊細な男だからな。最近は飲みに行く機会も減っちまった。だからちょっと気になったんだ」
「なるほどね」
彼も随分面倒見がいい男だ。私は感心したが、彼の表情を見ると、どうも様子が変だ。彼は眉間に皺を寄せた。
「少し腹の底が見えないところはあるな」
「そうか?」
彼は何かを思い出したように言った。
「何度か飲みに行ったって言ったろ? 確かその時、前職のことを事細かに聞かれたな。根掘り葉掘りさ。そうだ、職場のトイレのドアの色について聞かれたのには驚いたぜ」
私は本田君の能天気そうな顔を思い浮かべる。彼があまり悪意のあることをするようには思えない。仕事では気が利く男ではあるが、だからと言って腹に何か隠して悪事をするのはあまり想像がつかなかった。彼が全身真っ黒の映画のスパイの格好をして銃を構える絵面を想像して、私は吹き出してしまった。
「ふふ、まあ外資系の監査会社の経歴はウチの会社じゃ珍しいからね。色々聞きたくなるのは分かるよ。トイレのドアの色は何かうまい冗談を言おうとして失敗したんじゃないか?」
小橋君は納得とも不服ともとれない微妙な顔で腕を組んで、こうつぶやいた。
「まあ、正直あんたがメンターだからそこまで心配することはないのかもしれないが」
若干の気恥ずかしさはあったが、私は表に出さないように努めた。
「買いかぶられてもね」




