6.調査
「どうしたんですか、ナツさん?」
長い廊下を早歩きで進んでく私に、本田君があきれたように後を追う。ここで大っぴらに話したくない。少し横暴に聞こえる声で答えてしまった。
「とにかく来てくれ」
オフィスに入り、小さな会議室を見つけて中に入った。本田君が部屋に入るや否や、すぐに扉を閉める。すこし仰々しく見られるかもしれないが、見栄えを気にする余裕はない。
「それで、どうしたんです。赤坂さんに何か言われたんですか?」
「……シンドローム計画のデータベース、データシステムのアーキテクチャは君の仕事だったな」
本田君は慎重に頷く。
シンドローム計画で使用するD-genesの顧客の遺伝子データは、基本的に筑波支部のデータセンタに保存されている。私自身は一度視察を行ったことがあるだけだが、本田君は実務でデータベースにアクセスしているはずだ。
「ええ、それが?」
「D-genesのデータベースに……」
冤罪遺伝学に関連があるものがあるか、と言いかけたが寸のところで思いとどまった。本田君は信用に値する人間か?一瞬疑念が頭をよぎる。
赤坂さんが私にしたのは一種の告発だ。同僚であろうとプロジェクトに関係した人間は疑ってかかるべきかも知れない。
「どうしました?」
本田君は私の顔を覗き込むように尋ねた。
彼は技術構築の責任者としてシステムの開発に携わっている。そもそもデータベースを掌握するポジションだ。
ならば彼に情報を共有するのは間違いだろうか?いや、誰かと協力しなければこの疑惑の真偽を確かめるのは難しい。その点、彼は適任だ。データベースを探るという情報学的スキルもあるし、ポジションもある。
それにどうせ打ち明けるなら、多少なりとも人となりを知っている人間に打ち明けたい。彼が悪い人間だとは思えない。私は飲み込んだ言葉を再び吐く。
「D-genesに不審なシステムが存在していると赤坂さんから警告を受けた。プロジェクトを中止してほしいそうだ。具体的には何もわからないけど、冤罪遺伝学というらしい」
彼はしばらく固まっていたが、ようやくといった風情で聞き返す。
「はい?」
「シンドローム計画の裏で別のプロジェクトが走ってるらしい」
「ナツさん、ドラマの構想でも練ってるんですか?」
「D-genesの顧客の遺伝子データベースは物理的にはどこに?」
「ナツさんも知っているでしょう?筑波支部のサーバーです」
「それ以外にはあるか?」
腕を組んで壁に寄りかかりながら、不満そうに本田君は言った。
「ミラーサーバーはありませんよ。僕は何度も作るべきだって言ってますが……」
「じゃあ、筑波支部のサーバにしか遺伝子データベースはないんだな?」
「まあそうです」
「データベースの内部を調べてくれ」
ふう、とため息のようなものを本田君がついた。今までの驚いたような態度とは裏腹に、静かな声で私をたしなめる。
「やめといたほうがいいんじゃないですか?」
組んでた腕を解いて、部屋の端から中央の私がいる方へ歩いて来た。
「シンドローム計画は今、佳境ですよ。ここのPoCが成功するか否かでプロジェクトの進退が決まる」
会議室は電気をつけ忘れていたが、窓からの日の光で暗くはなかった。だが、日が陰ってきた。彼の顔も陰る。
「赤坂さんは最近様子がおかしかった。言っちゃなんですが、彼が何を言おうとプロジェクトの方針に大勢ありません。そんな人間の言葉に振り回されてどうするんですか」
「まあ、彼の様子がひどかったのは否定しないよ」
実際、ブラックボックスでの彼の様子は変だった。目の焦点が合ってないように見えたし、早口の口上でところどころ会話が成立していないように思えた。
本田君は私の目を覗き込んできた。
「ナツさんがプロジェクトの責任者でしょう?こんなことをやってる暇ないんじゃないですか」
少し不愉快な気分になったが、本田君がプロジェクト外の調査を躊躇する気持ちはわかる。私だって、突然上司がプロジェクトの陰謀説らしきものの調査を命じたら反発するだろう。私は言い含めるように言葉を発した。
「確かに君の言うとおりだけど、一方でプロジェクトの問題を見逃すのもリスクだ」
「馬鹿げた噂話でも?」
「協力して欲しい。少し調べてもらって、もし問題ないことがわかったらすぐに本筋に戻していいから」
最後に、と言いかけた。だが、私は赤坂さんからもらった名刺の情報を共有するのを躊躇した。なぜかこれは共有しないほうがいい気がする。切り札を持っておきたい。いや、何の切り札だろう。
とにかく今はすぐに動くのが最善だろう。本田君のいうとおり、もしプロジェクトになんの裏もなかった時には、すぐにプロジェクトの進行を取り戻さなければいけない。
私は踵を返して部屋を出ようとした。本田君の声が追ってくる。
「ちょっと待ってください」
「すまないが、よろしく頼む。私は別ルートで調査するから」




