4.儀式
長身の白人の男が私に手を差し伸べてきた。高級そうに見えるスーツに時計。私がその手を握ると、彼は少々強めの力で握り返してきて微笑んだ。
「こんにちは、ドクター・イトウ」
彼の英語にイギリスのアクセントが多く含まれていることを聞き取った。私もできるだけ明瞭に伝わるように、普段より大きめの声を出した。
「こんにちは、ミスター・シェパード。お会いできて光栄です」
「ぜひ、ジョンと呼んでください」
「では、私のこともナツ、と」
ジョンは先ほどの微笑みを崩さない。
「ナツ、ようこそ、シンセバイオ株式会社へ」
整備された樹木に囲まれたワインディングロードを抜ければ、そこには白く、無機質な建物群が見えてくる。敷地との境界の検問は厳重だったが、それでも精一杯自然に溶け込ませようという努力を感じた。まだ整備の途中のようだ。
シンセバイオはDNA合成の会社だ。mRNAワクチンやDNAアプタマーをはじめとした、遺伝学的アプリケーションの開発をメインで行っており、核酸合成のパイオニアと言える。
そして、ここはシンセバイオのR&Dの日本支部。
アテンドをしてくれていた長身の男、ジョン・シェパードはこのR&Dの広報を担当していた。研究成果が上がったときに適切に一般の顧客や経営者、投資家に伝えることが役割だ。
「ヨウスケ・ホンダです、よろしく」
「よろしく、ミスター・ホンダ」
私と一緒に来た本田君がシェパードと握手をする。心なしか、本田君の手に青筋が浮かんでいるように見える。力比べでもしているのだろうか。シェパードは涼しい顔だ。
少々ぐったりした顔をした本田君の握手が終わったタイミングで、私は口を開いた。
「初めてシンセバイオを訪問しましたが、想像以上に立派な施設ですね。支部なのでもっと小規模なものを想像していました」
「イギリスに拠点を置く会社であるにもかかわらず、日本にも研究開発拠点をおいているのは、少々不自然でしょう?」
「ええ、正直に言えば。私は法律家ではありませんが、R&Dは知財流出の心配もあり、本国以外に拠点を置くのは好ましくないように思います」
もちろん知財の流出リスクはゼロではありませんが、と彼は説明を始める。
「それを上回る利益があるのも事実です。シンセバイオはすでに日本で核酸合成の事業を手広く展開しています。例えば、東京にいる研究者が我々のホームページからPCRのプライマーを発注すれば、すぐさま関東の工場で製造されます。一日もたてば、あなたのラボに郵送される」
私はかつて自分が大学のラボにいた時を思い出しながら言った。
「ええ、私も昔、現役の研究者だったときは実際にプライマー合成を御社に発注したことがありますよ」
「この核酸合成のサービス自体は特に研究開発というわけではありません。通常の製造業です。しかしながら、このようなディープテックの製造業はトラブルシューティングにも専門的な知見が必要になるのです。そして高度なラボ設備も」
「なるほど、このR&Dの施設は日本で行われる核酸合成における製品の品質管理を担っている、ということですか?」
「その通り。もちろん品質管理だけを行っている部署をR&Dとは呼びません。せっかく集めた人材と設備です。現在は発展的な研究開発を進めているところです」
広報の彼はおそらく説明しなれているのだろう。私の質問に対して滑らかな説明を行った。
私は確認するように言う。
「それが今新規事業として行おうとしているmiRNAのテイラーメイドサービスですね」
シェパードはにこりと如才ない笑顔を私に向けた。
「そうです、そのために御社のDNA検査技術が是非ほしい。本日のプレゼンテーション、楽しみにしています」
高級時計をつけた左手を建物の奥へと向けて広げると、シェパードは言った。
「ではこちらへ」
〇
「miRNAは、かつてジャンクDNAと呼ばれていた領域に含まれる配列から転写されています。しかしながら、遺伝子発現のネットワークの制御において、今やこれほどのキーマンはいないでしょう」
三十名弱の聴講者を前に、大会議室でスクリーンにスライドを表示しながら準備してきた説明を行う。あまり英語が堪能なほうではないが、少なくとも必要な語彙が抜けてしまうということはないだろう。
「あなた方、D-genes社が持つ遺伝子検査のシステムをベースに、テイラーメイドでmiRNAを設計するというサービスは、非常に画期的です」
オフィスカジュアルに身を包んだ女性が手を上げつつ話し始めた。容姿からは日本人と思えるが、とても流暢な英語だった。もしかしたらイギリス本国から来た人材かもしれない。
女性はこう続けた。
「発現ネットワークの制御にmiRNAを使うケースはほとんどが臨床です。しかし、今回のユースケースは予防医療的なアプローチです。任意でサービスを選べるという状況では、利用者に心理的な抵抗感が存在するのではないでしょうか?」
「その可能性は確かにあります。ただ、事前の市場調査によると若い世代や科学になじみ深い経歴を持ったグループは積極的なサービス利用を望む声もあります。この辺はもう少し精緻に分析する必要がありそうですが、そこまで大きな障壁にならないかと考えています」
別の男性が手を挙げる。
「RNA試薬を弊社が合成しサービスに活用する場合、その物流が問題になると思いますが、どのように考えていますか?RNAは非常に反応性が高く、それは保存性が低いこと意味します」
先ほどの女性よりは滑らかさに欠けるが、はっきりした声で男性が質問をした。良い質問だ。
「このサービスを展開するにはコールドチェーンの確立は必須ですが、すでにmRNAワクチンをはじめとした試薬輸送のための必要なサプライチェーンが構築されています。こちらを流用することによって、コストを下げることができます」
スクリーンに投影されているスライドを切り替えた。事業の試算結果を表示する。
男性は頷いた。実際、この手のサービスは試薬の輸送などが問題になる。RNAワクチンもコールドチェーンの普及なくして全世界への配給は決してかなわなかっただろう。
「今回の活動の技術要素はわかりました。しかし、D-genesとの協業の目的ははっきり皆が認識しておく必要があるかと。ドクター、この協業の目的について、あなたはどのように認識していますか」
落ち着いた声の黒人男性が発言する。話し方から察するに、彼自身は十分この共同プロジェクトの目的を知っているのだろう。
そのうえで、シンセバイオのR&Dの面々の前で、このプロジェクトの目的を宣言して欲しい。それが彼の言いたいことだろう。
なるほど。私はこの場を技術交流会だと考えていたが、彼はシンセバイオとD-genesの協力を内側に強調するための儀式として捉えているのだろう。私は質問に答えることにする。
「この協業の目的はテイラーメイドmiRNA合成サービス、プロジェクト・シンドロームのPoCと事業化です」
prove of concept、PoCとは、ある製品やサービスの実証実験をローンチ前に行うことだ。その事業が本当に成り立つかを確かめる試験のような役割である。
私は改めてプロジェクトの概要を説明する。
「このサービスは我々がユーザの遺伝子データを元に、疾病リスクを判定し、必要ならばmiRNAによる処置を行います」
聴衆を見渡す。同じ話を聞かされ飽き飽きしているような雰囲気は特に感じない。
「我々D-genesはゲノムデータの解析による疾病の早期検知を可能にしました。そして次に望まれるのは疾病の予防のアプローチです」
予備のスライドを写す。
「このサービスは3つのステップに分かれています。検査、解析、出力です」
本当はもっと複雑なステップを踏むのだが、説明を簡単にするために詳細はなるべく省くようにする。
「一つ目は遺伝子検査。顧客のDNA塩基配列を読み、データベースに蓄積します。このデータベースはD-genesが保有しているものを使います。長年続けてきた遺伝子解析サービスにより累積された塩基配列のデータは、この事業を行うにあたって明確な優位性となります」
間を開けずに続ける。
「二つ目は解析。ゲノムデータからどの遺伝子にどのような疾病リスクがあるかを判断します。また対処が必要な場合はその個人に合ったmiRNAの配列も設計する必要があります」
次のポイントを強調するために私は声を張り上げた。
「そして三つ目は出力です。生成されたmiRNAの塩基配列はあくまで、コンピュータ上の文字列の情報です。これを現実のRNAの配列として『出力』しなければなりません。ここで核酸合成の老舗であるシンセバイオの技術がアドバンテージを持ちます。あなた方がPCRのプライマーやmRNAワクチンを製造する技術をそのまま転用することが可能です」
私は先程のプレゼンの言葉を言い換えて強調することにした。
「このサービスはほとんどをオンラインで完結させることを想定しています。miRNAの処置も全国どこのクリニックでも受けられる。これを可能にするのが、D-genesが持つ予測公衆衛生学の知見とシンセバイオが保持している核酸合成に関する一連の技術です」
私の説明が終わったと見たのか、シェパードが手を上げた。
「ありがとうございます。これで御社と行う協業についての理解が深まりました」
シェパードは笑みを浮かべている。
「私からも一言。ドクター、素晴らしいプレゼンテーションをありがとうございます。D-genesのような世界でも有数の偉大なDNA検査会社と組めることを光栄におもいます」
彼はひとしきり今回のプロジェクトに関する好意的な見解を述べた。私も登壇の締めくくりに礼を述べる
「本日はありがとうございます。御社のような世界トップクラスの技術力を持つ会社と協業できることを光栄に思います」
半分おべっかのようなことを言ってしまったが、半分は本音だった。シンセバイオのR&Dの人材は優秀だ。論文や特許の発表数は一般的な大学をゆうに超えるレベルだ。
私は挨拶を終え、スクリーンの前から聴講席で議事録をとっていた本田君の隣に座った。
本田君は感心と呆れた顔を器用に両立させながら、ボソッと言った。
「よくそんな急なプレゼンでスラスラ喋れますね。しかも英語で」
多分、私はしかめ面をしたと思う。博士課程にいた人間は大体、英語慣れさせられている。何度も英語で自身の研究を発表し、そのたびに意地悪な質疑に対応しなければならない。
そして私も博士号を持っている。苦い思い出がよみがえってきた。
「どうしたんです? しかめ面して」
「いや、気にしないでくれ。軽くトラウマがフラッシュバックしただけだから」
過去に思いをはせていると、シンセバイオ側の研究者が部屋の前のスクリーンに立った。彼らの発表を聞く番だ。私は姿勢を正す。




